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2010年8月26日 (木)

田中徳太郎を探せ

 私が初めて日本野鳥の会の探鳥会に参加したのは高校生の時、今は無き「野田の鷺山探鳥会」でした。鷺山というので山だと思って軽登山靴に登山用の厚い靴下を履いて行ったら田んぼの真ん中の農家と雑木林で、とても恥ずかった思いをしました。そして、万単位のシラサギの騒音と臭いを今でも覚えています。
 野田の鷺山に行ってみたいと思ったのは、田中徳太郎さんの写真集「白サギ」(1961年 東京中日新聞)を持っていたからです。シラサギの美しさをモノクロ写真であますところなく捉えた写真集には目を奪われました。
 当時はただきれいな写真というだけでしたが、今改めて田中徳太郎のシラサギの写真を見ると、野鳥写真を生態写真から芸術写真に高めた偉業は大きなものがあります。その後、田中徳太郎の写真を越える芸術性のある野鳥の写真を撮っているカメラマンが日本にいるでしょうか。
 その鷺山に行くと金属製の展望台(ヤグラかな)があり、その上でカメラを構えている人がいて「あの人が田中徳太郎さんだよ」と、幹事の方が教えてくれました。まだ、双眼鏡も持っていないときでしたので顔を見ることもなく出会いもありませんでした。今思えば、せっかくの機会、おしいことをいたしました。
 数年前、バードフォトアーカイブの塚本洋三さんから「田中徳太郎さんの遺族を捜しているので、情報があったら教えて」と頼まれました。どうも私が熊谷三郎の遺族を捜し当てた実績とインターネットで検索をするのが得意だと勘違いされているようです。でも人捜しは私立探偵みたいで嫌いではありませんが。
 田中さん探しは、ひとつに蒲谷鶴彦先生ご夫妻が鷺山をたずねたときの写真がどうも田中さんが撮影したようなのです。その使用の承諾を得たいとこともあります。そして、田中さんは何冊も写真を出されているのですから膨大な写真があるはずです。モノクロ写真を収集されている塚本さんから見れば、失ってはいけない日本の財産、大コレクションですから、ぜひとも遺族と連絡を取りたい気持ちはわかります。私も気合いを入れて捜索をはじめたのです。 
 さっそく”田中徳太郎”で検索すると、その後も何冊も写真集を出しているので、その本の情報はたくさん出てきます。また、鷺山の跡にはシラサギ記念自然史博物館」があって、以前行った時はたまたま休館日、そして今回調べたら閉館になっていました。
 唯一、遺族らしい情報は、地元のWebサイトでサッカーの話題があり、そのなかで「そのとき少年団の監督さんだったのが田中さんという方で。」「今のクイーンズ伊勢丹のところの写真館の田中さんでしょ?」「お父さんが田中徳太郎さんという白鷺の写真を撮るとても有名な方でね。私は白鷺というといつもあの写真館を思い出しますもの。」どうも、息子さんはサッカーの監督をされていたようで、それも浦和駅前で写真屋さんを開業していたようです。しかし、秋ヶ瀬公園に行く時に寄った浦和駅前の伊勢丹のなかには、もう写真館はありませんでした。
 その後、動物写真家の内山晟さんとお会いしたときに「田中徳太郎さんは師匠。お世話になりました」との情報、それでは連絡先を教えてとお願いいたしましたが、今では年賀状のやりとりもなく、ここでの情報は切れてしまいました。
 塚本さんは、それでも諦めることなく「シラサギ記念自然史博物館」を管理していた浦和高校を訪ねたり、浦和の街を探されたようです。
 先日、久しぶりに田中徳太郎の名前を検索してみると、なんと作品展が開かれていたことがわかりました。
   http://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/photo-exhibition/2008/20080429.html
 すでに終わっていますが、Webサイトの掲載されているシラサギの写真には○C伊東きく代の名前、私は田中姓でないので遺族とは思わず、写真を管理しているプロダクションの代表者程度に思ってしまいました。この情報を塚本さんに伝えると、すぐにフォトサロンに電話、なんと伊東さんは妹さんで、写真はすべて保存されていることがわかりました。
 長くなりましたが、昨夜の峯岸さんのお通夜でお会いした塚本さんからの報告です。また、詳しいことは塚本さんのWebサイトの”Day by Day”に報告されています。「浦和学院高校に田中徳太郎のサギの写真が実在している!」と「田中徳太郎の原板は健在!!」をお読みください。
  http://www.bird-photo.co.jp/index.htm
  塚本さんの次の指令は「堀内讃位の遺族を探せ」。

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コメント

私がよくいく南浦和駅近くのすし屋のマスターが、中学時代サッカー部で、田中徳太郎さんの息子さんと同じボールを蹴った仲間だったようです。写真を見たことがあります。でもその妹さんとお目にかかれたのですから、よかったですね。

石渡様
 そういえば地元でしたね。
 今なら名誉市民とか県民栄誉賞などの価値のある仕事した方だと思います。
 

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