『鳴きまねコンテスト』の優勝者
先日のデジスコドッドコムに投稿したコラム「下宿は四畳半から」の意外な反響に驚いています。反響のおかげで30年ぶりの出会いがありました。今年はコノハズクと30年ぶりに出会いましたが、今回は人との出会いです。
私のコラムを読んだS木さんより「仲間に伝えたい、掲示板で紹介したい」がよろしいかとのメールをいただきました。もちろん、一人でも多くの人に読んでいただくことが書き手のとしての本望です。喜んで了解いたしました。このメールのP.S.に「中学3年生のとき日本野鳥の会が主催した『鳥の鳴きまねコンテスト』で日本一になった。」一度、私に聞かせたいとのこと。
実は、私はこのコンテストの審査員の一人だったのです。当時は、日本鳥類保護連盟の職員でしたが、日本野鳥の会のU木さんのお誘いで審査に加わりました。また、このときの審査委員長は漫画家の岩本久則さん。司会は、江戸家猫八(当時は小猫)さんがおやりになり、彼とはじめて会った記念すべきイベントでもあります。なお、このコンテストは(およそ)30年前のバードウィークに新宿の野村ビル(たぶん)で行われたもので、その後は行われていません。そのため、S木さんは最初で最後の優勝者となります。
この春、日光市での猫八さんとのトークショーで「猫八さんと初めて会ったのは『鳴きまねコンテスト』でしたね」「そういえば、あのとき優勝した中学生は、今どうしているでしょう」と話したばかりだったのです。30年前とはいえ、猫八さんもちゃんと記憶されていたほど、中学生の鳴きまねはうまったのです。当時、日本野鳥の会にいたU木さんは今年お亡くなり、あの中学性を探すすべもないなあと諦めていたところだったのです。
ところが、拙コラムのおかげで向こうから連絡をいただきました。当然のことながら私が審査に加わっていたことはご存知なく、まったくコラムの筆者の了解を取りたいとのことでの連絡だったのですから、思わぬ出会いです。もちろん、当時の中学生は40才を超えた立派なバードウォッチャーになっておりました。そして、ご自身のブログではバードウォッチングやバードウォッチャーに対する深い考察がされています。
リンクに加えた「野原から」で、お読み下さい。S木さんのご指摘とおり、バードウォッチャーや野鳥カメラマンの野鳥への弊害は法律違反になりそうです。このままの状況が続けば、いずれは規制する法律、あるいは条例が制定されるかもしれないと危惧します。
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