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2011年4月 7日 (木)

リュウキュウオオコノハズクは伊豆七島にいた

 オオコノハズク・ネタでお世話になったA部さんから、また面白い情報をいただきました。

 沖縄県のレッドデータのサイトのリュウキュウオオコノハズクの分布に、何と伊豆七島が入っていました。
 http://www.pref.okinawa.jp/okinawa_kankyo/shizen_hogo/rdb/sp_data/g-00944.html
 しかし、さらに調べると「沖縄県文化環境部自然保護課改訂版 レッドデータおきなわ-動物編-」
 http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/contview.jsp?cateid=70&id=9962&page=1
鳥類のページ(73-74ページ)では、伊豆七島が消えていました。
 改訂前のページに伊豆七島を入れたのには、何らかの根拠があったからだと思います。
 伊豆七島が分布に入っている図鑑類も確かにあるようです。
 ちなみに環境省の生物多様性センターのサイトには、伊豆七島は入っていませんでした。
 http://www.biodic.go.jp/rdb_fts/2000/73-048.html

 なかなか面白いところをお調べになってのご指摘です。毎度のことながら、A部さんの報告書を押さえるするどさは勉強になります。
 私も伊豆七島のリュウキュウオオコノハズクの件、気になり調べてみました。
 はじめは誤記かと思いA部さんにも「誤記ではないか」とお伝えしました。しかし、伊豆七島のリュウキュウオオコノハズクには根拠がありました。このようなときに開くのが、困った時の3大図鑑『山階図鑑』『黒田図鑑』『清棲図鑑』です。これらの図鑑の基本は亜種単位の記載ですので、リュウキュウオオコノハズクの項があります。
 古い順にまず『黒田図鑑』(1933-1934)。この図鑑のリュウキュウオオコノハズクには「伊豆七島八丈島および沖縄本島に分布する」と書かれ、沖縄より八丈島のほうが先です。次に『山階図鑑』(1934-1941)には「沖縄島のみて発見せれたものではあるが、近年は沖縄島に近き屋我地島にても1羽採集」と書かれています。さらに「なお、伊豆七島南部の八丈島に比較的稀ならず棲息するものは1923年に籾山徳太郎氏により別亜種として記載せられたが、沖縄産標本と比較するにこの差少なく、オオコノハズクの分布地内における差異より遙かに小さい。されば亜種を分かつことは困難と思われる」とありますから、籾山徳太郎が八丈島産のものを新亜種として発表しましたが、あとでリュウキュウオオコノハズクとしたことがわかります。これらの流れを受けて、戦後の『清棲図鑑』(1965)は、リュウキュウオオコノハズクの国内分布は「伊豆八丈島」、海外の分布(当時)の「沖縄本島」となっています。
 ただ、いずれも体色の記述はあるものの鳴き声についての記述はありません。
 つぎに籾山徳太郎が、亜種とした論文を見る必要があります。関連しそうなのは、論文が『鳥』と『動物学雑誌』にあるのですが、『鳥』は今、地震の後の後遺症で本の山に埋もれて見ることができません。『動物学雑誌』の閲覧はネットでの閲覧が可能ですが、有料です。
 そこで「籾山徳太郎 オオコノハズク」で検索すると山階鳥類研究所の標本のリストに行き着きました。籾山徳太郎が、八丈島のオオコノハズクを別亜種として発表したタイプ標本は山階鳥類研究所にあったのです。ありがたいことに標本とラベルの写真もアップされています。下記URLです。
http://decochan.net/index.php?q=%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%8F%E3%82%BA%E3%82%AF&p=2&o=ss
 このリストによると、八丈島で最初に採集されたのは、1922年6月13日の雄で、学名はOtus bakkamoena hatchizionis、和名はSima-oh-konohadukuとなっています。同じく雌は、1922年6月に採集されて保存されていました。これが、籾山徳太郎が新亜種として発表したタイプ標本となります。このときの和名は、シマオオコノハズクです。
 このほか、伊豆七島産のオオコノハズクの標本は35体保存されています。このうち八丈島産の本剥製があり、これにはハチジョウオオコノハズクと書かれています。また、籾山徳太郎が採集した八丈島産16体にはすべてO. b. hatchizionis、ハチジョウオオコノハズクとラベルに書かれています。そのほか亜種名まで書かれているのは、飯島魁が採集した1897年1月大島採集したものだけで、これには本州産の当時の亜種名O. b. semitorquesと記載されています。それ以外の新島、神津島、三宅島で採集されたものは、亜種名まで書かれていません。
 この籾山徳太郎がハチジョウオオコノハズクとしたものを、その後『山階図鑑』の記述のようにリュウキュウオオコノハズクとして扱い、八丈島にリュウキュウオオコノハズクが生息していることになったことがわかります。そして、八丈島が含まれる伊豆七島も生息地として記載されたことになります。これが根拠となり、A部さんが見つけられた報告書の内容に反映されていたことになります。
 このリュウキュウコノハズクの生息地して八丈島、または伊豆七島が記載されているのは、最近の外国の図鑑にも載っています。たとえば『Handbook of The Birds of The World Vol.5』(1999)には、Japanese Scops-Owl(Otus semitorques)の項で亜種のO. s. pryeiの生息地として"S Ize Is(Hachijo) and S Ryukyu Is (Okinawa to Iriomote)"と書かれています。また、もっとも新しいブラジルさんの図鑑『Birds of East Asia』(2009)にも、Collared Scops-Owl(Otus lettia/semitorques)の項にpryeiとして”Izu Is and in Nansei Shoto(Okinawa to Iriomote)”と書かれています。
 また、最近の日本の図鑑『叶内図鑑』では「伊豆七島の一部と沖縄島に分布」とあり、リュウキュウオオコノハズクの生息地して伊豆七島の記録は、今だ生きていることになります。こうなると、知らなかったのは私とA部さんだけだったのではないかという不安がつきまといます。
 今回の検証では、伊豆七島のリュウキュウオオコノハズクの記録は標本によるもので、それも戦前の捕獲記録です。それも発表当時は、別亜種として記載されました。そして、その後の伊豆七島からリュウキュウオオコノハズクの記録を見つけることはできませんでした。もし、以前の記事「オオコノハズクの課題」のように本州と伊豆七島のオオコノハズクの鳴き声が異なることが事実となれば、籾山徳太郎の記載した亜種が生き返るかもしれません。
 まずは、この八丈島産の19体が本当に沖縄のものと同じ亜種なのか、なんとか確認したいところです。DNAをちょいちょいと調べて、わかるものならば簡単なのですがいかがでしょう。

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コメント

こんにちは。日本鳥学会の日本鳥類目録5版(1974)は、亜種リュウキュウオオコノハズクの分布に伊豆諸島を含めていますが、目録6版(2000)では伊豆諸島は亜種オオコノハズクに含めています。2つの版の間にこのことについて新しい研究があったというような話もききませんが、どういう判断なのでしょうか。

個人的な感想としては、伊豆諸島と南西諸島が同じ亜種というのはちょっと無理があるように思えます(地理的にこれだけ離れていて直近の祖先が同じとは考えにくい)。形態が似ているとしても他人のそら似という可能性もあるかもしれません。これについては今後DNAの研究が有用でしょうが、並行して音声からもなにか分かれば興味深いですね。

kumagerasu様
 いつもコメント、ありがとうございます。
 私も同意見です。沖縄島と八丈島だけのというのも違和感があります。もし、八丈島にいるのならば、五島列島とかトカラ列島などでも記録があってもいいかなと思います。
 少なくとも今のところ、三宅島ではリュウキュウオオコノハズクの声を聞いた人はいませんので、かなり疑問です。
 それにして日本鳥類目録の内容変更は、理由を書いて欲しいものですね。

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