鈴木孝夫先生宅訪問-日本野鳥の会の歴史を聞く
昨日は、戦中戦後の日本野鳥の会を支えられた鈴木孝夫先生のお宅にうかがいました。鈴木先生のご専門は言語学、そちら方面の著作は多数、慶応大学に席を置きご研究されていました。岩波書店から全集が発行され、ウィキペディアにも記載されている方です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%AD%9D%E5%A4%AB
訪れた面々は、幹事役のバードフォトアーカイブスの塚本洋三さん、録音仲間のTさん、音楽家の生録。さん(拙ブログのリンクを見てください)、そして、故蒲谷鶴彦先生の奥様とご子息の剛彦さん。剛彦さんは現在、日本野鳥の会奥多摩支部報「多摩の鳥」に父鶴彦先生の足跡を連載中です。原稿を書くにあたり、当時の日本野鳥の会の様子を知りたいということになり、鈴木先生を訪問することになりました。
鈴木先生のお宅は、私も通い慣れた渋谷の南平台のお近くでした。伺ったのは午後1時30分ですが、それから6時近くまでお話しをうかがいました。YAMAHAのW24で録音していたのですが、3G近いファイルができていました。
鈴木先生と鶴彦先生はほぼ同年代、日本野鳥の会の発足当時に小学生であった2人が入会されいっしょに行動されていた鳥仲間です。それだけに日本野鳥の会の歴史の生き字引です。そして戦後、日本野鳥の会の復興にあたっては当時20代のお二方がご尽力されたことになります。今こうして日本野鳥の会があるのも、こうした先人の方々の努力のおかげです。そんな苦労話を聞きたかったのですが、とくにかく鈴木先生のお話は面白くて楽しくて、あっという間の3Gです。
また、日本野鳥の会を会長を長く務めた中西悟堂を目の当たりに見てきただけに、悟堂の人となりも興味深いものでした。そして、多くの人が日本野鳥の会に関わり、連綿と”野鳥好き”の系譜が守られてきたことに改めて感心いたしました。いずれにしても、こうして歴史を知ることで流れを理解し未来につなげる役目を果たさなければと思う訪問でした。
まずは、鈴木先生お疲れ様でした。私たちが帰った後、どっと疲れが出たのではないかと心配です。また、スケジュール調整からご手配、ケーキから飲み物までご用意いただいた塚本さん、ありがとうございました。皆さま、お疲れまでした。
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