謎のパラボラ
蒲谷鶴彦先生のご子息・剛彦さんが日本野鳥の会奥多摩支部の会報に鶴彦先生の足跡を連載しています。その関係で、私が先生から伺っていることと蒲谷家に残された記録の照合を依頼されます。これに、Tさん、T本さん、O村さんも加わっての情報交換をしています。それにしても、話をいちばん聞いている私が、録音をしていなかったことが悔やまれます。この仲間での課題は、弟の芳比古さんと作った初号機の録音機とパラボラ+マイク、そして音源の行方です。物持ちの良い先生は、その後の機材は箱も含めてすべて残っています。しかし、記念すべき初号機がないのです。初期の録音は、日本野鳥の会の会有志の支援を得ていました。しかし、会長の中西悟堂から破門状態になったので機材と音源を返し、ゼロからやり直したのです。音源は、どうやらその後日本野鳥の会収録という形で、レコードやフォノシートになっています。しかし、機材はどうなったのかわかりません。戦後のことなので、どこかの物置か押し入れに残っていればと皆で話しては機会があれば見つけ出したいと思っています。
別件の資料漁りで『野鳥』誌の100号記念号を見ていたら、添付の写真が気になりました。これは、巻頭のグラビア写真の一部です。(日本野鳥の会発行『野鳥』25巻2号1960年より引用、撮影者不明)
写真には、大きなパラボラが写っています。昭和30(1955)年7月1日となっていますので、年代的には問題はありません。ただ、パラボラに書かれている文字が気になります。JOQRならば文化放送なのですが、KOMA、あるいはKOMRと読めます。
さっそく当日の鶴彦先生のアリバイを剛彦さんに確認です。剛彦さんによると6月19日~25日は清棲幸保さんと陸中海岸でヒメクロウミツバメとコシジロウミツバメなどの録音をしています。ちょうど、このエピソードを執筆中でした。そして、7月7日~8日は 軽井沢(ノビタキ録音中ゼンマイが切れる)とあり、このエピソードも聞いています。ということは、どうも家にいたらしい。陸中海岸の録音の音源整理、文化放送の『朝の小鳥』の編集作業中といったところでしょう。
今度は、中西悟堂のアリバイを確認しました。年表を見ると、白山に行っています。『定本野鳥記 6巻雲表』に、この白山行の些細な報告がありました。そして、同じ写真も掲載されていて、写真に写っているパラボラを支えている人とその隣は北陸放送の職員となっていました。ですから、パラボラに書かれたアルファベットはKOMRではなくJOMR、北陸放送でした。残念ながら、鶴彦先生のパラボラではないでしょう。
ちなみに、悟堂は北陸放送の収録のために写真に写っている人々とともに室堂から御前峰、大汝峰などを縦走しています。このとき、悟堂は滑落し、そのときの傷がもとでその後も腰痛に悩まされます。このときの武勇伝の虚偽は、写真にいっしょに写っている鈴木秀男さんから聞いたことがあります。いずれにしても、鳥の声と解説を収録しながらの取材、今ならテレビでも当たり前ですが、当時はラジオでも斬新な企画であったことと思います。
その後、剛彦さんからは「集音機の中心にはロープで吊るマイク取付け部が有ります。この機構はこの当時のマイク保持方法ですが、集音機の向きを変えた時マイクが揺れることが有り、父は支柱タイプの保持機構を考案、自作しております。従って、この集音機は父が使っていたものでは有りません」との情報、残念ながら先生のパラボラではありませんでした。
この謎解き、一晩のメールのやりとりで解決しました。しかし、残念ながら機材の行方はまだ解決できず。これからも探索は続きます。
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