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2011年11月20日 (日)

40年経って-千葉の干潟を守る会記念イベント

 昨日は、千葉の干潟を守る会40周年記念イベントのシンポジウムとその後の懇親会に参加しました。懐かしい顔ぶれに、私はかなりはしゃいでおしゃべり興じてしまいました。葬式や忍ぶ会ですら盛り上がるのですから、おめでたいイベントではなおさらです。
 設立当時から関わっているのは代表の大浜清さん他、数名ほど。多くの方がその後の活動の中で参加してきた方で、懇親会には10数名参加されました。驚いたのは、シンポジウムも懇親会でも私が若い方なのです。最近参加された方の多くは、定年を迎えてからと言っていましたからなおさらです。
 守る会の発足当時は、代表の大浜さんは40才。私たちは20才でしたから、運動を支えた人たちの平均年齢は30才代だったはずです。不思議なのは、40年経って途中参加の方がいるのに関わらず、当時の者がそのまま40年たったような年齢構成なのです。ですから、雰囲気は探鳥会やバードウォッチング・ツアーと変わりません。
 この「若い人が来ない」という問題は当然、話題になりました。「若い人は来ないから、退職者を狙って戦力を高めよう」という開き直った意見もありました。「環境教育が学校現場でなされていないからだ」という意見もありました。
 考えてみれば、この運動に関わった私たちは環境教育を受けてはいません。私などは、「日本は国土が狭いのだから、富士山を削って東京湾を埋め立てれば良い」と尊敬していた社会科の教師の教育を受けていたのですから、よく埋め立て反対運動に足を踏み入れたものです。ですから、教育の問題よりも、もっと他のところに問題はあると思います。ゲームと携帯で日々を送る若い人たちの問題もありますが、仮に運動に参加したくても高齢者ばかりの場に溶け込めるわけはありません。私自身、若い頃に老人会のバードウォッチングの指導を頼まれ、親孝行をしているような気持ちで付き合いました。しかし、それはその場だけのことでした。運動を始めれば、毎週のように顔を合わせるのですから溶け込めるわけはありません。
 いずれにしても、若い人=学生からせいぜい30歳代の柔軟な考え方と発想がない組織が発展するとは思えないのです。この問題、真剣に考え取り組んでいくべきでしょう。

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