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2011年11月

2011年11月30日 (水)

動く図鑑MOVEの『鳥』

 今日は、スワロフスキー野鳥ステップアップ塾でした。鳥の名前がどのように決まっていったのか、そして図鑑の歴史をお話ししました。実際に江戸時代からの図鑑に触れていただいたので肌で日本の鳥の研究史を理解してもらえたと思います。
 ということで最新の図鑑を紹介いたします。

Move_2

 講談社の動く図鑑MOVEの『鳥』です。夏に、イラストレイターの箕輪義隆さんにお会いしたときに「ウズラが渡るときにどのくらいの高さを飛ぶのか知っていますか」と聞かれました。ウズラすらまもとに見たこともないのに、渡るようすなど知るわけもありません。「なんでそんな凝った情報を調べているのか」聞くと図鑑の仕事しているとか。このほか、シギダチョウが羽を広げたときの模様を描いているとも言っておりました。なんともマニアックな図鑑と思っておりましたが、これが子供向けの図鑑の『鳥』だったのです。
 さっそく購入。手にしてみると、日本だけでなく世界の鳥が取り上げられていました。多くは迫力ある写真で構成されていますが、写真では撮れないシーンを箕輪さんのイラストが補っています。おおむね目を代表する種、スズメ目は科を代表する種がだいたい登場します。いずれも迫力ある写真の連続で、大人も楽しめます。というか、子供にはもったいないと言ったら編集に関わったS田さんに怒られるかな。
 また、MOVEとあるようにDVDが付いているのが売りです。映像は、NHKの資料からで『ダーウィンが来た』のいいとこ取りといった映像が収録されています。DVD部分は図鑑というより、食べ物の取り方や繁殖の仕方の面白い部分を集めて番組にしたという感じです。ですから、見ていて飽きることはありません。
  これで、子供の野鳥ファンが増えてくれれば、バードウォッチング業界の未来も明るくなると思います。
出版社: 講談社 (2011/11/10)
ISBN-10: 4062162113
発売日: 2011/11/10
出版社のURL:
http://zukan-move.kodansha.co.jp/pc/contents/birds.html
アマゾンのURL:
http://www.amazon.co.jp/%E9%B3%A5-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E3%81%AE%E5%8B%95%E3%81%8F%E5%9B%B3%E9%91%91MOVE-%E5%B7%9D%E4%B8%8A-%E5%92%8C%E4%BA%BA/dp/4062162113

2011年11月28日 (月)

古い絵はがき-日光戦場ヶ原

  ネットオークションで、日光の古い絵はがきを入手しました。
 まず1枚目。こちらのタイトルは、「日光湯元 戦場ヶ原三本松」です。赤沼方向から光徳方面を見たところです。

Postcardnikko1

 現在、戦場ヶ原の真ん中に三本松という地名があり国道沿いに展望台、飲食店、駐車場があります。ほぼ、そのあたりの風景だと思われます。地名の由来となったカラマツが3本あったのですね。三本松には茶屋がありましたが、建物がそれのようです。しかし、今にも壊れそうな家です。続いてもう1枚。タイトルは「日光湯本道戦場ヶ原」となっています。こちらは、光徳方向から赤沼方面を眺めています。道を麦わら帽子の男性が歩いていますが、木の下には10人ほどの男性が写っています。ほとんど白い服を着てみなりが良く見えます。避暑に来たお客さんたちでしょうか。

Postcardnikko2
 どちらの絵はがきも、いつの時代のものか不明。少なくとも戦前、昭和初期のものと思われます。この2枚はまったく別のところから入手したのですが、カラマツの枝振りが同じことから同時代のものでしょう。
 今と大きな違いは、繁茂しているズミの林が見えません。ズミのあるおかげで、蒸散を促進し湿地の乾燥化が進んでいるとも言われています。この絵はがきの風景のようにズミの木がないのが本来の戦場ヶ原の風景だとすると、湿地の状況も今とはずんぶんちがったものだったことでしょう。

2011年11月27日 (日)

またサルの群れに会う-足尾

 今日は、日光野鳥研究会の自然観察会で足尾に行きました。冬枯れの山間の道を歩くと、カラ類やホオジロの群れが飛び交いジョウビタキが寂しげに鳴いて迎えてくれました。

Asio
 前回、稚児の墓ではサルの領域に入り込んでしまってサルに威嚇をされました。今回の足尾でもサルの群れに遭遇しました。30頭ほどの群れが、私たちが歩いて行く林道の山側の斜面を移動していきます。サルたちは、たえず「クウ」とか「キュルル」と静かに鳴いてリラックスしている様子です。私たちは双眼鏡で観察するのをサルたちも眺めています。お互いに観察しあっている感じです。今日の群れは、我々に威嚇をすることなく、友好的な感じでした。
 ちょうど、お昼になったのでお弁当を広げましたが反応なし。サルの群れは我々を追い越して山の中へ入ってきました。人を恐れないのは、人に餌をもらっているからかと思ったのですがそうではありませんでした。人から食べ物をもらう習性のない群れでした。
 野生動物とは、お互いに干渉することなく、お互いに関心を持ち合う関係が理想だと思っています。今日のサルの群れとの関係は、私としては満点です。

2011年11月25日 (金)

マガンは静かに眠るのか

 今回の蕪栗沼に同行したA部さんから「ねぐらのマガンは、夜は眠って静かになるの?」という質問を受けました。カラスは、どんなに大きなネグラでも基本的には静かです。ムクドリは小規模だと静か、大きなねぐらだと一晩中鳴いています。では、マガンはどうでしょう。
 ソニーのPCM-D50を一晩中、置いて録音してみました。午後4時から翌朝の午前6時40分までの14時間40分です。モノラルに変換して、波形表示してみました。

Whitefrontedgoosesound

 ネグラへの帰還は、午後4時40分から5時40分までおよそ1時間、喧噪が続きました。ネグラ立ちのピークは6時から始まり、やはり1時間あまりかかっていました。録音終了後の7時過ぎてもまだ飛び立っていない群れが結構いましたのでやはり1時間かかっています。10万羽のマガンのネグラ入りもネグラ立ちも、1時間かかる大仕事であることがわかります。
 ところで、マガンは一晩中鳴いていました。4時間経った左3分の1ほどのいくつかのピークは雨がカバーに当たる音ですが、中央から右の8時間や12時間あたりのピークはマガンの声です。いずれにしても、マガンの声は一晩中、蕪栗沼に響き渡っていたことになります。ただ、1km離れた駐車場あたりに来るとかなり声が小さくなります。ですから、人家はかなり離れているので騒音被害はないのが幸いですね。

2011年11月24日 (木)

タイマー録音大失敗の巻

 宮城県蕪栗沼に行ってきました。2年ぶりの来訪です。今まで、伊豆沼を含め何10回と訪れていますが、こんなに暖かいのは初めて。今日は、アキアカネがまだ飛んでいました。

Kabukuri
 伊豆沼や蕪栗沼は、訪れるたびにマガンが増えています。今年は10万羽にならんとしています。それだけに凄い迫力の音となりました。大きな鳥が万単位で一度に飛び立つのですから、その羽音はまるで機関車のようです。今回は、SONY PCM-D1を手元に、PCM-D50を一晩、YAMAHA W24とOLYMPUS LS-7でタイマー録音、さらにFOSTEX FR-2LE+ステレオマイクAT-825Nを投入しました。まだ精査をしていませんが、どう聞いても現場で感じると音と録音された音の違いがあります。自然の音の迫力を固定し再現する難しさをまざまざと思い知られされています。
 ところで今回、大失敗をいたしました。タイマー録音を仕掛けたYAMAHAのW24がなくなったのです。W24は、人の通る農道からは見えない木の根元に設置。いっしょに義弟は、この木の枝の上にOLYMPUSのボイスレコーダーを置きました。私たちは、マガンの帰還を待っていたので現場には午後5時までいました。もう、かなり暗くなっており、録音機を見つけられるのはまず無理な状況で、人はいませんでした。それに、現場を最後に引き上げたのはおそらく我々です。そして今朝、最初に現場に着いたのは我々です。昨夜は雨が時々降っていましたから、夜の蕪栗沼を訪れる人がいるとは思えません。いたとしても、暗い中で見つけられるはずはない所なのです。
 しかし今朝、回収しようと置いた場所に行くとないです。別の所に置いたPCM-D50やLS-7は無事でした。不思議なことに、すぐそばに置いた義弟のボイスレコーダーは無事なのです。もし、人が犯人ならば、とりあえずいっしょに持って行くと思います。OLYMPUSは持って行かずYAMAHAが取れられたということになると、YAMAHAの担当者は喜ぶかもしれませんが、そんなことってあるでしょうか。
 木の上に置いたOLYMPUSが残り、下のYAMAHAがなくなったのですから、地面を歩いて行ったタヌキかキツネがくわえて持って行ったのではなかというのが、皆の推理です。いずれにしても、タイマー録音を勧めて来ただけに、このようなことも起こりうることをお知らせしたいと思います。これからは、木に縛り付けるとかして、動物に持って行かれないような工夫が必要だと感じました。それにしても、こんなことがあるのですね。

2011年11月22日 (火)

BINOS Vol.18-日本野鳥の会支部の論文集

 日本野鳥の会神奈川支部の研究年報『BINOS Vol.18』が届きました。
Binosvol18_2

 現在、このような論文集は、本部のStrixと栃木県支部の『Accipiter』があります。Strixは数年間、休刊をしていましたが、BINOSは休むことなく18年間発行されています。たいしたものです。
 BINOSの今号は、とくに内容が濃いように思いました。タゲリの越冬生態については今まで詳しく書かれた報告がなかっただけに興味深く読みました。チョウゲンボウを25年間追いかけた記録も凄い。また、コシジロオオソリハシシギという亜種がいることは初めて知りました。良く見つけたものです。このほか、各地の鳥相の調査記録も10年を超えるものばかり。昔は、1年間も調査をすれば発表したものですが、10年20年が当たり前になりました。それだけに説得力ある内容です。
 神奈川支部は拙ブログでも以前、記事にしたように重鎮の浜口哲一さんがお亡くなりになりました。日本野鳥の会の数ある支部のなかで、もっとも学究的な支部として評価の高かった神奈川支部を指導してきたのが浜口さんです。その柱を失ったのですから、どうなることかと心配しておりました。しかし、このBINOSを見る限り浜口さんの意志は受け継がれていると確信できます。
 それにしても、BINOSの発行部数は数100部です。日本野鳥の会の会員数は4万人、神奈川県下にはその1割ほどの会員がいます。バードウォッチャーに関しての数字はわかりませんが、数10万人。ひょっとすると100万という数字になるかもしれません。それにも関わらず、野鳥について科学的な取り組みをする人が少ないのです。
 日本野鳥の会神奈川支部Webサイト、BINOS最新号についてのURLです。購入方法も書かれています。
http://www.mmjp.or.jp/wbsj-k/binos/BINOS_18.html
これだけの知識と情報が、定価1,200円・送料80円で入手できます。

2011年11月21日 (月)

脚輪の着いたカルガモ-六義園

 昨日、六義園の池で脚輪の付いたカルガモがいることに気がつきました。カルガモは、10羽ほどの群れのなかの1羽で、左足にビニール、あるいはプラスチック製の緑ないし青色に見えるリングが付いています。見る限り、記号や数字は描かれていません。また、右足にはリングはありませんでした。脚輪は、電源コードなどを絞める器具に似ています。一度、絞めると戻らないように返しのついたもので、返しを受ける部分が四角くあるように見えます。金属製のリングが付いていないことから、正式な標識調査と思えません。
 写真では脚輪が付いているのがわかると思いますが、数字などは見えません。

Spotbilledduckring_2

 後輩の山階鳥類研究所の尾崎副所長にメール。さっそく返事をもらいました。やはり、正式のものとは思えないとのことでした。このようなバンドは、安価で入手しやすく退色も少ないので一部のカラーマーキングでは使われているそうです。ただし、バンダーであれば必ず金属リングをつけますので、恐らく許可を得ていないかバンダーでないとのことでした。
 いずれにしても標識調査というのはリングを付けるだけではなく、その後の情報が集約されるシステムがない限り意味がありません。個人的、あるいは興味本位のマーキングは、野生の命をもてあそびプレッシャーをかけるだけだと思います。

2011年11月20日 (日)

40年経って-千葉の干潟を守る会記念イベント

 昨日は、千葉の干潟を守る会40周年記念イベントのシンポジウムとその後の懇親会に参加しました。懐かしい顔ぶれに、私はかなりはしゃいでおしゃべり興じてしまいました。葬式や忍ぶ会ですら盛り上がるのですから、おめでたいイベントではなおさらです。
 設立当時から関わっているのは代表の大浜清さん他、数名ほど。多くの方がその後の活動の中で参加してきた方で、懇親会には10数名参加されました。驚いたのは、シンポジウムも懇親会でも私が若い方なのです。最近参加された方の多くは、定年を迎えてからと言っていましたからなおさらです。
 守る会の発足当時は、代表の大浜さんは40才。私たちは20才でしたから、運動を支えた人たちの平均年齢は30才代だったはずです。不思議なのは、40年経って途中参加の方がいるのに関わらず、当時の者がそのまま40年たったような年齢構成なのです。ですから、雰囲気は探鳥会やバードウォッチング・ツアーと変わりません。
 この「若い人が来ない」という問題は当然、話題になりました。「若い人は来ないから、退職者を狙って戦力を高めよう」という開き直った意見もありました。「環境教育が学校現場でなされていないからだ」という意見もありました。
 考えてみれば、この運動に関わった私たちは環境教育を受けてはいません。私などは、「日本は国土が狭いのだから、富士山を削って東京湾を埋め立てれば良い」と尊敬していた社会科の教師の教育を受けていたのですから、よく埋め立て反対運動に足を踏み入れたものです。ですから、教育の問題よりも、もっと他のところに問題はあると思います。ゲームと携帯で日々を送る若い人たちの問題もありますが、仮に運動に参加したくても高齢者ばかりの場に溶け込めるわけはありません。私自身、若い頃に老人会のバードウォッチングの指導を頼まれ、親孝行をしているような気持ちで付き合いました。しかし、それはその場だけのことでした。運動を始めれば、毎週のように顔を合わせるのですから溶け込めるわけはありません。
 いずれにしても、若い人=学生からせいぜい30歳代の柔軟な考え方と発想がない組織が発展するとは思えないのです。この問題、真剣に考え取り組んでいくべきでしょう。

2011年11月19日 (土)

歴史を見ると今が見えてくる-鳥の名前と識別の歴史

 やっとスワロフスキー野鳥ステップアップ塾のためのパワーポイントが完成いたしました。素材を集めながらコツコツと作ったら1ヶ月かかってしまいました。題して「スズメはどうしてスズメになったのか」副題は「鳥の名前と識別の歴史」です。
 鳥の名前がどのように付いて、どう統一されてきたか。これを語ると鳥学と図鑑の歴史となります。日本の鳥の名前が最初に出てくる書籍は魏志倭人伝。近世は、江戸時代のシーボルトから始まります。明治時代は外国人、大正は貴族たちの日本鳥学会、昭和は中西悟堂の日本野鳥の会、戦後は、高野伸二さんの図鑑を中心とした野外識別の時代となり現代にいたります。
 野外で鳥の名前がわかるという当たり前のことができるようになったのは戦後。それも確立したのは、1970年代以降で図鑑と双眼鏡の普及が大きな役割をはたしています。こうした歴史を見渡すと流れがわかり、今自分がどこにいて何をすべきなのかわかるのだと思います。それにしても、私は良い時代に生まれバードウォッチングをはじめたことになります。
 図鑑について言えば、望遠レンズがなかった時代は絵が命です。日本で最初の日本人による図鑑『有益鳥類図譜』(1893[明治26]年、成島譲吉、籾山鈎)は、石版刷りの手彩色。ホトトギスの絵を上げておきますが、浮世絵を彷彿させられます。

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 ここから高野伸二さんの『フィールドガイド日本の野鳥』(1982年)までの図鑑の絵につながって行くことになります。この先人たちの苦労が、今の日本のバードウォッチングを支えてくれているのです。といったお話しです。
 スワロフスキー野鳥ステップアップ塾の受講生の方、楽しみにしていてください。この話は、来月18日の日光野鳥研究会の講演会でも取り上げる予定です。会員の方もお楽しみに。

2011年11月17日 (木)

イギリスのバードウォッチング事情

 珍しく外国のお客さんを迎えました。イギリス人のビルさんです。35年前、ビルさんは日本に来るためにロンドンからハバロフスクまで汽車できました。このシベリア鉄道のなかでカミさんといっしょになり、それ以来のお付き合いです。建築がご専門、芸大で勉強され日本の古い建築様式の話は私の知らないことばかりです。また、最近では漆塗りを始めたそうです。さらに、奥さんは現在、藍染めに凝っているとか。茶道の話をすれば羽箒のことも知っているという、私以上に日本通の方です。さらに、息子さんはバードウォッチャーで、日本に在住していた時は小学生でしたが、もう20代半ばとなってしまいました。
 午後のひととき六義園を探索し、日本とイギリスの世情からバードウォッチング事情まで、話はつきませんでした。私が不思議なのは、アメリカ人のバードウォッチャーは日本にツアーで来ますが、イギリス人のツアーはまずありません。ビルさんが言うのには、イギリスはバードウォッチャーが多いけれど日本まで来るほどマニアは少ない、家のまわりでバードウォッチングしていれば、それで満足しているからではないかとのことでした。
 イギリスの野鳥の会に相当するRSPBの会員数は数10万人。日本との人口比で言ったら100万人に相当する数を誇っています。薄く広くバードウォッチャーのいるイギリスの現状を今一度、検証してみたくなりました。
 それにもまして、ビルさんのお住まいの南ウエールズは自然がいっぱい。話を聞くだけで、わくわくさせられました。いつか、ロビンの声を録りに行きたいと切に思いました。

2011年11月16日 (水)

『朝の小鳥』12月分スタジオ収録-海外での野鳥録音

 今日の午後は文化放送にて『朝の小鳥』12月放送分のスタジオ収録でした。
 12月は、日本の小鳥たちは静かなので南半球で夏のオーストラリアの野鳥たちです。3年前に行ったケアンズとキングフィッシャーパークで取材した音源です。なにしろ鳥が多かったので、あと3年くらいは持ちそうです。
 このとき録音した中には良い声で鳴いている鳥がいても、名前がわからなくて使えないという音源がたくさんあります。ガイドにあとで聞けば良いやと思っていたのですが、私がわからない声はやはりわからないのでした。また、旅行中に地元にいる鳥が入っているというCDを買ってあとで調べれば良いと思ったのです。しかし、似たような声で鳴く種類が多く確定することができません。たとえば、ミツスイの仲間はなんと多いことか。そして、皆同じよう系統の声で鳴いています。
 最近では、ネット上にも声をアップしているサイトがあるので、これもたよりにしました。しかし、短い上に音質も問題もあって、これもなかなかぴったりと一致するものがないのが悩みです。
 蒲谷鶴彦先生の海外で録音された音源を聞いたことがあります。それには鳥の声の後に「大きさヒヨドリ、頭に短い冠羽、顔が白い」などと目立つ特徴を先生が吹き込んでおりました。先生でも海外では名前がわからない、そのため見えた特徴を吹き込んでおくと良いと教わりました。先生は「それでもわからないものは、わからなかった」とおっしゃっておりました。
 海外での野鳥録音は、その場で姿を確認して名前のあたりを付けておかないかぎり、名前を調べることはかなり困難です。後で調べれば何とかなると思わないことです。
  なお、『朝の小鳥』12月放送内容は下記のとおりです。
   2011年12月4日  コキミミミツスイ
         11日  カノコバト
               18日  インドハッカ
         25日  チャイロモズヒタキ

2011年11月14日 (月)

取材を受ける-カラス問題

 今日は、久しぶりにカラスの問題について新聞社の取材を受けました。記者の方は東京のカラス捕獲事業が10周年を迎えたのを機に検証してみたいとのこと。そういえば、私がカラスに関わるようになったのは、1999年に行われたカラスシンポジウム以来。あれからもう10年以上たってしまったことになります。では今、東京のカラスはどうなっているかというと下記のグラフを参考にしてください。

Crpwgraph

 このグラフは、東京都のWebサイトに発表された数字を元に制作しました。ただ、東京都はカラスの”生息数”と言っていますが、正しくは12月に40数ヶ所のネグラに集まるカラスの数です。そのため”ネグラ入り数(緑色)”としました。また、捕獲数(オレンジ色)はトラップを使用して捕らえられた数=殺された数です。巣落としによる雛や卵の駆除数は含まれていませんので、実際はこれ以上のカラスが殺されています。
 グラフをみると、捕獲が行われて3年後に、6割くらいの数になります。しかし、その後は2006年のようにネグラ入り数を上回る数を捕獲しても減少することは無く、下げ止まった感じになります。さらに、ここ3年は増加傾向さえ見えます。
 この捕獲事業は、緊急対策であったはずですが、すでに10年経ってしまいました。また、目標は7000羽にするということでしたが、ほど遠い数字です。このグラフを見る限り、現状の捕獲では、これ以上のカラスの数を減らすには効果がないことがわかります。東京都は、カラスを減らす効果のない対策をやり続けていることになります。
 効果がなければ対策を変えるというのが、民間では常識です。この常識が行政では通じないようです。そのために税金が無駄遣いされ、カラスが無為に殺されていきます。いったいいつまで東京都は、カラス捕獲事業を続けていくつもりなのでしょうか。

2011年11月13日 (日)

芝川第一調整池-あしだちの会

 今日は、足立自然にふれあう会の「芝川第一調整池」の観察会に参加しました。JR武蔵野線の東浦和と西川口の間、見沼の一角にあたります。見沼は、以前にも行ったことがあります。そのときは、工事中で調整池は立ち入り禁止、まわりを歩いただけでしたので、初めての場所ということになります。
 調整池は、周囲4km。7割ほどをアシやガマが生い茂り良い感じです。いわば、渡良瀬遊水池のコンパクト版という環境です。この周囲を巡る堤の上を歩くので見晴らしは良く、気持ちの良いバードウォッチングを楽しめます。着いたときは、朝霧に包まれ幻想的な風景が広がっていました。

Sibakawa
 午前中だけで40種を超える鳥たちを見ることができ、探すまでもなく次から次に鳥が出現してくれる感じです。そのため、歩くペースはなかりゆっくりとなってしまいました。鳥が多いと言うことは猛禽類も多く、たえずチュウヒ3羽が舞い、ハイタカ、オオタカ、ノスリ、チョウゲンボウが登場しました。
 野鳥録音的には、気になるノイズは遠くを走る武蔵野線、釣り人の話し声、今日はラジコン飛行機が飛んでいました。武蔵野線は本数が少ないし、釣り人を避け、平日に行けば問題なさそうです。また、早朝ないし夕方にタイマー録音を仕掛ければ、いろいろな鳥の声が録れそうな環境です。これから、いろいろ作戦を考えるととても楽しみな場所となります。

2011年11月10日 (木)

千葉の干潟を守る会40周年

 千葉の干潟を守る会が40周年を迎えコメントを求められました。昨日、コメントの載った『谷津干潟から三番瀬へ-千葉の干潟を守る会40年史』が送られてきました。

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  私が創立の場にいたことから創立者の一人として敬意を払っていただけるのは、たいへん心苦しいですね。というのは創立は1971年、私は学生で東京湾のシギチドリの調査をボランティアでやったりしていた流れで、干潟の保護運動に関わりました。何もわからず気持ちだけで活動していた時代です。ですから、その後も40年間も運動を続けてきた方々の努力とは比べようもありません。
 私自身は、調査をしていた幕張から習志野にかけての干潟がサンドパイプが唸りを上げて埋め立てられて行くのを見て、自分がさほど挫折感を感じないことにショックを感じつつ、ボランティアによる市民団体の限界を感じ、活動の場を移します。
 その後、守る会は日本野鳥の会千葉支部の設立を促し、さらに日本野鳥の会本部との決別、支部の解散、新支部の結成などの曲折。また、埋め立てはご覧のように行われ、谷津干潟が残り観察センターができます。そして、現在では三番瀬の保護に取り組んでいます。
 歴史に”もし”は禁物ですが、もし守る会の運動がなければ谷津干潟も埋め立てられ、浄水場やゴミ処理工場などの施設ができていたでしょう。三番瀬も埋め立てられ、道路や施設できてしまう可能性があります。今のご時世ならば、谷津干潟は残るかもしれませんが、当時は風前の灯火だったのです。もし守る会の活動がなければ、ずいぶん鳥の生息地も変わっていたはずです。
 またもし、さらに守る会の主張がとおり、埋め立てが行われない東京湾とはどうなっていたのかも考えさせられます。たとえば、東京ディズニーランドも幕張メッセもありません。湾岸道路もないということは、その先の成田空港もないかもしれません。そのような状況の日本経済は、果たして発展していった国際状況のなかで現在のような地位を日本が保て行けるのか、今の生活を享受できるのかと考えてしまいます。ですから、自分の生活のレベルを落とすことなく環境を守れ自然を保護しろという主張は疑問です。結局のところ、多くの保護運動に私は感情移入できないでいます。
 千葉の干潟を守る会のことを考えると、青春時代の思い出、多くの人との出会い、市民運動の難しさと限界と、さまざな思いが千々に心をよぎります。

2011年11月 9日 (水)

ちょっと珍しい出会い-トモエガモ♀

 久しぶりに近所の公園を歩いていたら、池の片隅にコガモがいました。都心では珍しいコガモだと思い、じっくり見るとちょっと顔つきが違います。嘴の付け根に斑点があります。どうやら、トモエガモの♀のようです。フィールドガイドを持っていなかったので、カミさんに電話をして特徴の確認をしました。嘴の付け根の斑点は記憶通り、トモエガモ雌の特徴で間違いありません。また、嘴は黒、翼鏡はコガモと同じとのこと。しかし、くだんのカモは、黒いのは嘴の先のほうだけ、黄色みがあります。また、翼を広げても翼鏡の緑色は見えませんでした。よく見ると、なんとなく幼げな顔をしています。今年生まれの雌の幼鳥かもしれません。

Baikalteal
  以前、このようにトモエガモが都心の公園の池に出現したときは、周辺の池や河川でも雄や雌が見つかったことがあります。いずれしても、コガモがいたらよく見ることをオススメします。これから、しばらく各地でトモエガモが見つかるかもしれませんね。

2011年11月 8日 (火)

三宅島の大録音会-1975年

 先日の柚木修さんを忍ぶ会には、新旧のバードウォッチング業界の方々が集まられたので、いろいろなネタが拾えました。
  いちばん興味深かったのは、S津さんから「蒲谷鶴彦先生と文化放送主催の録音の会が三宅島で開催され、学生アルバイトとして参加した。その時の写真がある」とのこと。さっそく送っていただきました。撮影日は1975年5月11日、撮影場所は三宅島の錆ヶ浜です。蒲谷先生は前列の中央右、双眼鏡を下げ腕章を付けています。

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 蒲谷先生から、そのような会があったということは伺っておりました。私は勝手に10人程度の規模のツアーで、カセットデンスケが普及してからのことと思っていました。しかし、写真を見るとざっと72人が写っています。かなり大規模なツアーであったことがわかります。写っている録音機はオープンリールです。カセットタイプのポータブルな録音機は、まだ普及していなかったようです。この時代、すでに生録ブームが始まっていたことがわかります。
 写真を見るといろいろなことが見えてきます。まず、若い人が多いですね。当時、野外録音が多くの若者の心をとらえていたのです。女性も多く、重い録音を持って苦労されたのはないでしょうか。双眼鏡をぶら下げているのは、見える限りでは蒲谷先生の他は2名しかいません。この内、1名は学生のアルバイト。服装もアウトドア風の方は少ないですね。当時ならばヤッケが定番です。これから、多くの参加者が野鳥というより野外録音に興味を持った方々であったと推測できます。ちなみに、日本野鳥の会の会員数は現在40,000人に対し当時は2,000名程度、バードウォッチングの趣味は超マイナーな世界であった時代です。
 当時は、大噴火(2000年)以前の三宅島です。まだ、神明池の周辺の原生林があり、イタチの導入もされていない原生に近い自然が残っていた時代の三宅島です。S津さんの当日のフィールドノートには、大路池でオオミズナギドリを記録しています。当時は、オオミズナギドリのコロニーが三宅島にあったのです。参加された皆さん、きっと素晴らしい録音が録れたことと思います。
 S津さん、貴重な情報をありがとうございます。これも亡くなった柚木さんのお導き、彼にも感謝です。

2011年11月 7日 (月)

タイの洪水の野鳥への影響

 昨日の柚木修さんを忍ぶ会では、久しぶりM柳さんにお会いしました。学生時代から鳥を見ている仲間の一人です。M柳さんの会社はタイに工場があり、現在水没しているとのこと。そういえば、タイでのバードウォッチングの報告メールをいただいたことがありました。よくタイに行くと思ったら、遊びではなく仕事だったですね。
 彼が心配しているのは工場より鳥のことでした。森林性の鳥たちは、森は高台にあるので大丈夫。心配なのは、アシ原性の鳥たちだとのこと。氾濫したチャオプラヤー川流域には、広大なアシ原は広がっているそうです。アシのなかの虫を捕ったり、隠れたりする種類は壊滅的な被害を被っていることになります。翼がある鳥のこと、一時は避難することができるでしょう。しかし、越冬地の環境が激変してしまっているのですから、生存率が下がる可能性はあります。
 また、もう3ヶ月も水位が高いのですから、河口周辺に広がる広大な干潟も水没したままということになります。M柳さんの言葉を借りれば「東京湾の小櫃川河口の干潟がせこく見えるほどの広大な干潟」があるそうですから、困っている鳥たちも多いことと思います。
 日本のアシ原性の鳥でタイで越冬している可能性のある鳥は、オオヨシキリやコヨシキリが思い浮かびます。これに加えシギやチドリは、かなり多いと思います。一刻でも早く水が引くことを祈ります。そして、来年も変わらず、これらの鳥たちが無事に日本にやってくることを重ねて祈ります。

2011年11月 6日 (日)

柚木修さんを偲ぶ会

 柚木さんが亡くなったのは、昨年1月。一周忌に忍ぶ会を行う予定の2週間前に3.11大震災が起きてしまいました。その延期された会が今日、彼の友人知人90人が集まり行われました。私と柚木さんとは学生時代からのつきあいですから、仲間の同窓会の様相、彼を失った悲しみととも懐かしい仲間に会え楽しんでしまった会となりました。

Yunoki
 柚木さんと私の年は同じ、同じように中西悟堂の著作に巡り会い野鳥に目覚め、学生時代に野鳥と自然保護、そして青春を謳歌した仲間です。卒業後、私は日本鳥類保護連盟の職員として、彼は一年遅れで卒業し日本野鳥の会の職員として活動をします。当時の日本野鳥の会は、任意団体から財団法人になり事務所をかまえたばかりの頃で、専従の事務局員は3名+バイト2名、ボランティア多数という時代です。そのため、かなりアバウト事務局運営が行われていて国民健康保険は各自で加入するなど社会保険もまともにない状態でした。ですから給料も驚くほど安い時代です。私のいた連盟も給料の安いのは同じでしたが、いちおう社会保険はあったので彼らにはうらやましがれたものです。そういった劣悪の環境のなかで、調査を行い自然保護の活動をしていました。日本野鳥の会の事務局の黎明期を支えた一人が柚木さんであり、今や50人の職員を有する日本野鳥の会が存在するのも、当時苦労をした彼らがいたからこそだと思います。
 当時を思えば、私も柚木さんも色々なものと戦っていました。言わば、毎日が戦いの日々であり、私自身は柚木さんらの仲間がいることが支えとなり戦えたことになります。戦友を失うということは、こういうことなのかと解った日でした。

2011年11月 5日 (土)

テントウムシの日-日光

 栃木県日光に通うようになって、秋のある日がテントウムシの日になることに気がつきました。朝晩の寒さを感じるようになり紅葉が始まる頃の天気の良い日、いっせいにテントウムシが飛び交います。多い時は、風景が飛んでいるテントウムシで霞むほどになります。どうやら、越冬をする隙間を探すための日のようで、この日にうっかり窓を開けておくと部屋中がテントウムシだらけになります。
 今年は、私が日光にいなかった日がテントウムシの日だったようで、窓のカーテンの陰にびっしりとテントウムシが集まっていました。

Tentomusi

 見ると、ナミテントウがほとんどでオオニジュウヤホシテントウもいます。不思議なことは、窓は閉まっていました。それもアルミサッシで密閉性の高い構造です。いったいどうやって入ってきたのか家人とともに隙間を探しましたが、見つけることができませんでした。
 毎年、冬になって暖房を入れるとカーテンレールの隙間などに入り込んだテントウムシが動きだし、結局は死んでしまいます。ですから、この日は暖かくて良い天気、以前見たテントウムシの日ほどではありませんでしたが、テントウムシたちが盛んに飛んでいます。家のテントウムシたちにも新しい越冬場所を探すように立ち退きをお願い、箒で掃き出しました。
 

2011年11月 4日 (金)

久しぶりのオシドリ-六義園

 今日の六義園では、久しぶりにオシドリを見ました。雄が1羽、まだ銀杏羽のないタイプで、エクリプスからきれいな羽毛になりかけのものでした。

Mandarinduck

 カルガモの群れやマガモといっしょにいたのですが、とても警戒心が強くたえず頭を上げてはあたりを見回しています。体を細め、緊張している様子です。だんだん人が増えてくると、とうとう居たたまれなくなったように飛び立っていきました。
 六義園でオシドリを見たのは、何年ぶりでしょうか。1980年代は9月下旬から10月上旬に渡来し20羽ていどが毎年越冬していました。そして、3月から4月上旬に渡り去る冬鳥の常連でした。チェックしたら、最多数が40羽(1985年12年22年)という記録もありました。今頃になると、色づいた葉が散った池の水面を色彩を競うかのようにオシドリが群れていたことになります。
 かつて東京のオシドリは、普通種。上野の不忍池では、餌付いていました。明治神宮の南池でもすぐそばまでやってきてくれて、バードウォッチャーの目を楽しませてくれたものです。それが、減少著しい鳥になってしまいました。とくに、六義園では池の周辺の樹木を取り払ってしまったことが、減少に拍車をかけました。
 日本庭園によく似合うオシドリ、江戸時代の柳沢信鴻さんの日記も出てきます。日本庭園の本来の風景を取り戻すならば、オシドリの隠れることができる植生を復活してほしいものです。

2011年11月 3日 (木)

シカのラッティングコール-霧降高原

 湯西川から川俣、奥日光と紅葉と温泉三昧の3日間を楽しんでまいりました。前泊の霧降高原で、夕方と早朝のタイマー録音を仕掛けてみました。秋の夕暮れや早朝の録音は、あまりしたことがないので、どんな音が録れているのか楽しみでした。まだ、すべてチェックをしていませんが、ルリビタキのささやくようなさえずりが録れていました。ルリビタキが秋もさえずるのをはじめて知りました。このほか、鳴き合いながら渡っていくツグミ、カラ類の群れ、カケスのだみ声が秋らしい音です。そして、シカの雄のラッティングコールは、けっこう早朝に鳴いているのに驚きました。アップしたのは、YAMAHAのW24で録音、かなり遠いので加工しています。



 普通、シカのラッティングコールはだいたい3声ですが、これは4声。友人のハンターによると、力のある雄の証拠だそうです。
 シカのラッティングコールは、古来より秋の風物詩として詩歌の題材として取り上げられます。はじめて、この声を聞いたときは雄叫びですから、なんとも大きな声。なんでこの声から秋の寂しさやわびしさを感じるのか、不思議に思いました。しかし、山ひとつ超えて遠くから響いてくると、同じ声でもまったく違った雰囲気になることに気がつきました。かすかに聞こえると、山間の秋らしい音となり胸に染みこむように伝わってきます。
 鳥では、ホトトギスの声が同じだと思います。近くで鳴くと、けたたましく鋭い声というのが正直な感想です。何で、この声が古来より歌人に好まれ万葉集では人気ナンバーワンなのか不思議でした。しかし、山の向こうからかすかに聞こえるホトトギスの声は、里山に初夏の訪れを伝える音となり、雅な雰囲気さえあります。
 シカのラッティングコールもホトトギスのさえずりも、大きくクリアに録るのは可能です。しかし、山一つ超えて聞こえてくる音を、雰囲気を生かして録音することはたいへん難しいと思います。少なくとも、まだ私にはできません。

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