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2012年9月

2012年9月30日 (日)

八方ヶ原自然観察会

 週末は、台風と台風の間をすり抜けて日光に行ってきました。
 今日は、八方ヶ原にて日光野鳥研究会の自然観察会です。
 専属の気象予報士のT中さんによると「風が強くなるかもしれないが、15時までは大丈夫。ひょっとすると晴れ間もある」とのことでした。日光から約1時間半、八方ヶ原の駐車場に到着すると濃霧。10m先も見えません。ところが、会員の方々が顔をそろえた頃になると、霧がだんだん晴れて来て、大入道、剣が峰、釈迦岳の山々が見えてきました。そして、頭の上には青空が広がってきます。さらに、遠くに那須野ヶ原も見えてきて、台風はどこ吹く風という感じになってきました。
Happougahara120930

 それと同時に、シジュウカラやヒガラが飛び交い始めました。遠くで鳴くホシガラスの声を聞いた人もいます。強めの南風に向かって、ヒヨドリの10数羽の群れが鳴きながら渡っていきます。地付きのノスリがときおり上空を旋回するのみ。遠くをチゴハヤブサらしい鳥が飛んでいくのを見た方がいます。
 森の中は、キノコがいっぱい。それ以外にも、チョウやクモを見ているうちにお昼となりました。ひょっとしたら雨の中で昼飯と思っていただけに、雲が多いとは言え秋空のもとでのお弁当は何を食べても美味しいです。
 日光を引き上げる時になり、なんと特急スペーシアが台風のために運休の情報。駅に行って確認すると、私たちが予約をしていた便まで運行し、それ以降は運休とのこと。まさに、台風の隙間をすり抜けた感じの日光行きでした。

2012年9月26日 (水)

『朝の小鳥』10月分スタジオ収録-鳥の名前のアクセント

 本日の午後は、文化放送にて『朝の小鳥』の10月放送分のスタジオ収録でした。
 いつも困るのは、鳥の名前のアクセントです。たとえば、メジロの”ジ”にアクセントを置くか、アクセントをどこにも置かないで読むかで、かなり印象が異なります。”ジ”にアクセントを置くと地名、山手線の駅の名前になり、アクセントを置かず平板に読むと鳥の名前になるとこだわっています。
 NHKには、けっこう厚い『NHK日本語発音アクセント辞典』があってこれは市販もされ、他の放送局でも使っています。この辞書を以前、見たときにはタンチョウは載っていましたが、探鳥は載っていませんでした。タンチョウは”チョ”に、探鳥は平板の違いがあると思っています。
 このようにアクセントを気にするようになったのは、以前NHK-BSの『野鳥百景』という番組でナレーションを担当した加賀美幸子さんと仕事をしたとき以来です。なにせ100種類の鳥の名前が出てくるのですから、たいへんでした。超が付くくらいベテランの加賀美さんですが、さすがに鳥の名前のアクセントまでご存じなく、よく聞かれました。私は、いつも何気なく鳥の名前を言っているだけなので、どこにアクセントを置くかなど考えたことはありません。そこで、いつも言っているように言って、聞いてもらい、アクセントを確認してもらいました。この時、私のアクセントがNHKの標準となり日本の鳥の名前の規準になってしまったら怖いなあと思ったものです。
 今日、収録されたソウシチョウは、新参者です。アクセントをどこに置くのか、悩むところですが、このように長い名前は平板で言っておけば不自然になりません。問題は、短い名前の鳥たち、今日の収録ではコガラ、タゲリ、コガモです。コガラは”コ”、タゲリは平板、コガモは”ガ”かなと思いますがいかがでしょうか。

『朝の小鳥』放送スケジュール
2012年10月7日 ソウシチョウ
        14日 コガラ
           21日 タゲリ
           28日 コガモ

2012年9月25日 (火)

虫の季節

 秋の虫の声がにぎやかになってきました。都心など街路樹の多いところでは、アオマツムシがにぎやかです。このアオマツムシをさけて録音をしようとすると、けっこう苦労します。栃木県日光でも駅前の樹木では鳴いています。そこで、木のない草むらを探して録音してます。クズの多い所ではカンタンが良く鳴いてます。そのほか、食草と虫の種類に関しての知識はありませんが、草むらの茂り具合と虫の声のボリュームは比例しているように思います。
 虫の声は、鳥と違って近づいて録音できるので録音ボリュームを絞ればグランドノイズも気にならず、きれいに録音することができます。この季節、ぜひ虫の声の録音にチャレンジしてください。
 ちょうど7年前の今頃、日光駅の近くで録音した虫の声です。カンタンなどが鳴き続けています。そこへ、車庫へ入る電車がゆっくりと通過してきました。PCM-M1+AT825Nで録音、フェードインとフェードアウトをかけている以外、加工はしていません。

「akinomusi204-050923.mp3」をダウンロード

2012年9月23日 (日)

山階芳麿賞と70周年シンポジウム

 先日、日本鳥学会でお会いした山階鳥類研究所の岡奈理子さんの促され、本日は有楽町の朝日ホールで開催された『第17回山階芳麿賞贈呈式・受賞記念講演』と『山階鳥類研究所財団設立70周年記念シンポジウム』に行ってきました。これは、山階鳥類研究所の主催による一連のイベントです。また、総裁の秋篠宮様がご挨拶や賞の授与をされるなど、権威のある雰囲気のイベントでした。秋篠宮様は最後までご参加され、話の内容にうなずくなど熱心に話をお聞きになっておりました。
 山階賞は、長年イヌワシの保護の携わってきた日本イヌワシ研究会が受賞しました。過去の受賞者を見ると皆個人、それも鳥学に寄与された研究者の方ばかりです。今回のように団体、それもイヌワシの保護に関わり社会的な活動をして、なおかつ現在進行形の活動に対して授与されるのは異例です。このほうが、受賞の意味と効果は大きなものがあると思いました。
 日本イヌワシ研究会代表の小澤俊樹さんによる講演は、わかりやすいばかりではなく熱意の伝わってくる素晴らしいスピーチでした。また、イヌワシは人が山を手入れすることで生息することができる人依存の鳥であることを知りました。現在のように、林業や山仕事が衰退し山が荒廃すると減ってしまうと言うのです。ということは、原生林に覆われていたであろう縄文・弥生時代では絶滅危惧種だったのだろうかと思いました。
 シンポジウムは「鳥の魅力を追う人びと」というテーマで、4名のパネラーの方のお話でした。お一人おひとりの話は、たいへん勉強になりました。まだまだ、鳥について知らないことがたくさんあるものです。
 ただ、これが山階鳥類研究所のこれからに繋がるのかと言うと?でした。世界、そして日本の鳥類学の実情をどう捕らえているのか、あるいは鳥業界のなかで研究所の位置づけはどうなのか、それに基づいて今何をやるべきなのかという流れが見えませんでした。また、研究所の発表者の方はもっと研究所の実績や活動を発表された方が良いように思いましたし、外部の方は研究所の使命、あるいは鳥学研究で今、何をすべきかというところに論点を置かれた方が、70周年らしい内容になったのではないでしょうか。
 いずれにしても日本の鳥学の一角をなす山階鳥類研究所の動向は、これからの日本の鳥学に大きく左右するだけに、さらなる発展を祈らざるを得ません。
 まずは、スタッフの皆さま、お疲れ様でした。また、ご招待たいだきました岡さん、ありがとうございました。

2012年9月21日 (金)

新しい分類と『鳥NEO POKET』の紹介

 今回の日本鳥学会では、新しい分類によるリストが発表になるというのが、ひとつのエポックでした。念のために書いておきます。日本の鳥の名前は、日本鳥学会によって統一されています。もちろん、勝手に名前を作っても良いのですが、それなりの根拠のある見識がなくては支持を得ることができません。私のように見識がなく図鑑の制作に関わる者にとっては、学会の発表するリストがどうなるのか、とても気になるのです。
 リストは、正しくは『日本鳥類目録』と言い、日本鳥学会の創立10周年を記念して発行されて以来、今回は改訂第7版目となります。今回は、とくにDNAなどの研究の発展により、分類が大きく変わっています。たとえば、今までのリストはアビから始まってスズメの仲間になり、ワタリガラスで終わるというものでした。新しいリストでは、キジの仲間が最初になり、カイツブリよりカモが先に来るなど、大きく変わっています。そして、スズメ目の中も最後はホオジロの仲間となります。かなり前から欧米の図鑑では、この順序で整理されていたのですから、日本は遅きに失した感があります。
 たとえば、今まではタカとハヤブサは隣同士の間柄でした。今回は、その間にフクロウ、キツツキなどが入り、ハヤブサはオウムに近い仲間となり、非スズメ目の最後となっています。ミフウズラもキジの近くにいましたが、カモメやチドリと並び、キジからはかなり離れた位置となります。
 今までの分類は剥製から形態によって分類されてきましたが、DNAの解析からどの仲間からいつ分化したのか解るようになった結果です。アマツバメとツバメをいっしょにしてツバメと名前を付けた昔の人を分類の知識がなかったと言うのと同じように、今度は言われなくてはなりません。
 なお、私の気にしていたオオムシクイは、コムシクイともども、独立した種となりました。しかし、蒲谷鶴彦先生が種として提唱されたオオトラツグミは亜種のまま。ちょっと残念です。
 これからは、頭を切り換えて新しい分類順に馴れなくてはと思いながら、学会から帰ってきたら小学館から『鳥NEO POKET』が送られてきていました。

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 なんと、この本は新しい分類に従って作られています。NEOシリーズは、大判の子供用図鑑として定評のあるシリーズ、『鳥』は大人も楽しめる図鑑でした。それが、新書版のサイズとなり野外へ持っていけるようになりました。先日、お会いした小学館の編集者からポケット版を出すと聞いていましたが、まさかこのタイミングとはすごいものです。まずは、この本で新しい分類に慣れ親しむことができると思います。

鳥 (NEO POKET)
柚木 修・著、上田恵介・監修、水谷高英・イラスト
単行本: 192ページ
出版社: 小学館 
ISBN-10: 4092172877
ISBN-13: 978-4092172876

アマゾンのURLです。
http://www.amazon.co.jp/%E9%B3%A5-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E3%81%AE%E5%9B%B3%E9%91%91-NEO%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88-%E6%9F%9A%E6%9C%A8-%E4%BF%AE/dp/4092172877/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1348202090&sr=1-1

2012年9月20日 (木)

”Forest Notes”という名のスピーカー

  まだ、日本鳥学会ネタを続けます。
 以前、記事にしたように学会は発表を聞くだけでなく休憩室でのおしゃべりも勉強になります。今回、休憩室は教室を2つ解放してお茶やコーヒー、お菓子のサービスがありました。教室なので教壇があります。その教壇の上に30cmくらいの四角い木の枠が置いてありました。不思議なことにこの木枠から鳥の声が聞こえるのです。

Forestnotes_5

 私が怪訝な顔をしていると「これは、スピーカーなのです」と教えてくれました。スピーカーならば、振動するコーンがなくてはなりません。厚さ1cmほどの木枠なのですからどこから音が出るのか不思議です。実は、コーンにあたる部分は、木の枠に左右に収まっているのだそうです。また、枠の上部にはバッテリーや基板が隠され、アンプ、通信機の機能が入っています。
 さらに、流れている鳥の声は八ヶ岳山麓からの生中継とのこと。スピーカーのみならず、自然音も同時に配信するというプロジェクトなのです。この企画は、株式会社 ケンウッドデザインと東京大学の産学協同のプロジェクトでもあるのです。
 音に関しては、教室ということと生中継の音源ということで、検証はしていません。ただ、スピーカーらしくない装置のためインテリアとしては、とても魅力的だと思いました。
 蒲谷鶴彦先生が良く「野鳥の声は、隣の部屋にスピーカーを置いて聞くくらいの方が良い」とおっしゃっていたことを思い出しました。野鳥の声は、近くても10m、遠ければ数10m離れて録音しているのですから、スピーカーの前で聞くものではないのです。部屋を隔てて聞くくらいのほうが、グランドノイズも聞こえず自然に聞こえるのです。
 ひとつ部屋を隔てたくらい、あるいは広間の片隅にこのスピーカーを置き野鳥の声を流せば、とても自然に聞こえるわけです。あるいは、サンクチュアリのネイチャーセンターのなかにこのスピーカーを置き、外の音を流すというのも有でしょう。そのとき、スピーカーらしくないスピーカーですから、どこから音が聞こえてくるか解らない、そのためムードが醸し出させるという効果があるのではと思いました。
 ただ、まだ試作段階だそうで、価格も決まっていないとのこと。いずれにしても、これからの発展が楽しみです。

2012年9月19日 (水)

海洋鳥は洋上で鳴くのか

 日本鳥学会ネタを続けます。
 久しぶりに山階鳥類研究所の岡奈理子さんと話す機会がありました。岡さんは、私のいた日本鳥類保護連盟が研究所にあった頃からの職員。当然のことながら、当時は毎日顔を合わせていたのですが、ここ数十年は学会でお会いするくらいになってしまいました。
 岡さんは研究所の職員として、はじめて博士号を習得された方ではないでしょうか。そして、いまやミズナギドリ類の研究者として世界的に知られる存在です。年は、私とたいして変わらないのですが、昔と変わらない不思議な方です。
 先日の学会では、遭遇できたのでお話しをうかがいたいと思ったら、若いイケメンの研究者に横取りされてしまいました。そして、最終日にやっと彼女が私を見つけてくれて、話ができました。私が聞きたかったのは「洋上でミズナギドリ類などの海洋鳥は、鳴いているか」です。海洋鳥の声の録音は、だいたい繁殖地のコロニーに戻ってきたときの声です。夜に戻ってくるものが多いので姿が見えず、鳴くことで雌雄がコミュケーションを取るためです。ウトウは「ウーッ」とか「ブーッ」低い声、オオミズナギドリは低い「ブーウ」雌は高い「ピーィ、ピーィ」、ケイマフリやウミスズメは「ピッ」系、そうかと思うとカンムリウミスズメは「ビビビ」、この前記事にしたオーストンウミツバメやコシジロウミツバメは、また特有の声です。ただいずれも、コロニーかコロニー周辺での記録です。
 たとえば、北海道フェリーが健在だった頃、水平線の彼方までハシボソミズナギドリが飛んでいるのを見たことがありますが、フェリーの上から声は聞こえませんでした。また、フルマカモメが海面を埋め尽くすほど下りているのを見たことがありますが、ときおり「ビャア」と言う声がかすかに聞こえる程度、鳥の数に対してとても静かでした。ですから、波の音がうるさいなかで飛び交う海洋鳥は、洋上では声によるコミュニケーションはあきらめているではないかと思っていました。それを、確認したくて岡さんへの質問でした。
 答えは「良く鳴く」です。彼女の研究対象のハシボソミズナギドリは、良く鳴いていたそうです。また、彼女が聞く機会がある限り、良く鳴きあっていたとのこと。海洋鳥は、音によるコミュニケーションを取っていることになります。
 たしかに、波間に入ってしまえば、相手の姿が見えなくなる鳥たちですから、鳴き合ってお互いの存在を確認する必要があるのでしょう。天敵に襲われる危険はないにしても、食べ物を見つけ合う情報交換は必要なのですから、鳴かなくてはならないことになります。
 そこで、課題ができました。海の上でよく聞こえる音は、どんな音が有利なのでしょうか。隙間を通り抜ける高い音か、それとも遠くまで届く低い音か。あるいは、水面に反響しやすい音の音域というのがあるのでしょうか。海の上で鳴き合うミズナギドリなどの海洋鳥をぜひとも聞いてみたいものです。

2012年9月17日 (月)

日本鳥学会-私的総括

 4日間、東京大学で開催されていました日本鳥学会が終了いたしました。たくさんの方々にお会いして、私自身はとても楽しい4日間でした。まずは、発表者の方、お疲れ様でした。また事務局の方々におかれましては、大人数の参加者がいるにも関わらず、事故もなく無事に終了され、お世話様でした。
 適当に参加して適当にさぼっていたので、いろいろ言える立場ではありませんが、気になることのいくつか。
 以前にも指摘しましたが「だから何なんだ」という意味不明の発表は、相変わらずありますね。意味のひとつは社会貢献だと思いますが、とても少ないです。また、間接的には、その研究により鳥学や生物学の発展に寄与すれば、それで良いと思います。しかし、どう考えて結びつかないテーマと結果、言い換えると研究のために鳥をこねくり回しているだけというものです。例を挙げるのははばかれますが、質問者からも「何の意味があるのか」と言われるようでは、まずいのではないでしょうか。
 今、社会貢献という意味では、震災関連、原発あるいは放射能関連の報告が必要な時でしょう。ところがわずか3.5件。0.5は、放射能の影響を示唆したオオジュリンの尾羽の異常の報告です。時世を考えれば、もっとあって良いはずだと思います。今後の経緯も含めて、多くの研究や報告が今度されることを期待します。
 私は、東京周辺で開催されるときにしか参加していないので、割り引いてお読みください。ただ、たまに参加するために学会の雰囲気の変化をより感じられます。たとえば、1999年の東京大学から2008年の立教大学あたりまでは、大学と学生、そして博物館関係者(森林総研、山階鳥類研究所を含む)といった研究を生業している人たち。日本野鳥の会など、趣味で研究をしているアマチュアの人たち。環境調査などの職業としているプロ集団と、おおざっぱに3つに分けられると思いました。そして、発表者も参加者もそれぞれ同じくらいの比率、3/1という印象がありました。
 ところが、2010年の東邦大学あたりから、ちょっとこの比率が変わってきたと思いました。大学の先生と学生の比率が多くなったと思いました。今回は、とくにコンサルのプロ集団が減って、趣味の方たちも少なくなったと思いました。おそらく、鳥類学の講座のある大学が増え、その卒業生たちが博物館に就職していると言うことだと思います。ある意味、あるべき姿なのかもしれません。コンサルの参加者が少なくなったのは、環境調査に必要なワシタカの研究が一段落したこと、公共事業が減って個人的な研究発表をする余裕が無くなったためでしょう。私としては、アマチュアによって支えられてきた学会の流れは、いつまでもあって欲しいと思います。
 先日の記事では、鳴き声に関するものが増えたと書きました。同じように増えたテーマとして、歴史的あるいは人文科学的な取り組み増えました。たとえば、産物誌から江戸時代のタンチョウの分布を推定、小川三紀コレクション、採集人折居彪二郎、茶道の羽箒に解析、アビの名前の由来などです。そして、カラスをテーマとした発表は相変わらず多いですね。私は、へそ曲がりで人のやらないことをやっている積もりで、録音、歴史、カラスに取り組んでいたのですが、結局みんなと同じことをやっているに過ぎなかったと自覚いたしました。
 適当にサボりましたが、充実した4日間でした。それにしても、年寄りにはちょっときつい4日間でした。

2012年9月16日 (日)

フクロウの亜種の検討とモズの物まね-日本鳥学会

 以前より本土のフクロウと北海道の亜種エゾフクロウの関係については、大阪市立大学の森美由希さんらが中心となって研究されています。拙ブログの関連した主な記事です。
 http://syrinxmm.cocolog-nifty.com/syrinx/2011/09/post-4de8.html
 http://syrinxmm.cocolog-nifty.com/syrinx/2011/12/post-0b12.html
 今年の学会でも、今までの研究の成果が森さんによって発表されました。今回は、鳴き声に加えDNAでも、本州と北海道では大きな違いあるというものでした。これは種レベルの違いといっても良いほどだそうです。また、本州から九州のフクロウは、亜種フクロウ、モミヤマフクロウ、キュウシュウフクロウの3亜種に分けられていますが、鳴き声による差異は少なく、DNAからも亜種と言えるほどの違いがなさそうというのが論旨です。
 鳴き声がきっかけとなり、種の存在と亜種がシノニムであることが証明できたら、とても面白いと思います。
 大阪市立大学の学生さんたちは、鳴き声によるアプローチが得意で、西田有佑さんはモズの物まねに取り組み、ポスター発表をしていました。昨日、詳しい話をうかがいたかったですが、ポスターの前はいつも人だかりができてとてもではありませんが、お話しをゆっくりと聞ける状態ではありませんでした。ということで本日、シンポジウムの開催中にポスター展示場に行って、ゆっくりと拝見してきました。
 私自身、モズの鳴きまねを録音しようとしていますが、なかなか録音できないで苦労しています。さらに、録音して鳴きまねのように聞こえても声紋が一致せず、検証の難しさを感じています。ところが、西田さんは何種類もかなり似ているパターンを録音して比較しています。そのなかには、西日本にいないはずのコムクドリとコルリの鳴きまねをするモズがいて、このモズが夏の間、東日本の山地に行っているのではないかと推測しています。脚輪も発信器も付けず、鳴き声から鳥の移動を証明することができるとは、面白いことです。
 これからも彼らの研究から目が離せませんね。

2012年9月15日 (土)

日本鳥学会に参加

 昨日から東京大学で、日本鳥学会が始まっています。今日から、研究発表やポスター発表といったメインイベントの開始となりましたので、参加いたしました。学会は、例年になく参加者が多く、発表会場は立ち見もでるほど。また、ポスター会場はあまりの熱気で、私はピンポイントで見ていくしかありませんでした。おかげで、今日だけでもブログネタを1週間分くらい仕入れることができた感じです。
 まずは、録音関係から。今年も鳴き声に関する研究発表が増えて来ました。ポスターには声紋が表示されていたり、使用機材にICレコーダーが記載されているものが何枚もありました。その中で、いちばん興味深かったのは関伸一さんのトカラ列島の無人島(複数)にICレコーダーを1年間設置して鳥類を調べたという報告です。
 関さんは、以前の学会でアカヒゲの亜種のDNAを解析し、亜種に分かれていった時期と氷河期が一致するという発表をされ、私はたいへん感銘を受けた方です。
 ところで私自身、タイマー録音で1週間の放置、仲間では30日間の放置でデータを収集したという報告を受けています。しかし、1年間できるとは、はじめは信じられませんでした。
 関さんによると、無人島のため渡るのがたいへんなので1年間放置だそうです。機材は、ICレコーダーで外付けの電池ボックスを付けて長持ちさせ、タイマー録音で時間を限定して録音、さらに全体を筒状のケースに入れ木の幹にくくりつけています。そして、オーディオテクニカのピンマイクを下から出して、雨の影響を少なくするという方法で録音しています。それでも、1年間たつとノイズが多くなってしまったとのことでした。
 この結果、アカショウビンとアカコッコの生息を確認できたり、逆にヤマガラのいない島があるなど、無人島ごとの鳥相の解明ができたとのことでした。この今も、島には録音機が置いてあるそうです。また、さらなる発見があることと思います。
 実は、学会は発表を聞くばかりではありません。控え室でのおしゃべりが、とても勉強になるのです。たまたま同席した川上和人さんも、ある鳥の存在を確認するためにやはり無人島に録音機を置いているそうです。こちらは、3ヶ月放置。これは、冬から春に海が荒れるので上陸が不可能のためです。ちょうどこの季節が、海鳥の繁殖期なので録音機を置くことで存在を確認したいとのことでした。
 川上さんの機材は、Song Meter SM2。このような機材があるのは初めて知りました。こちらは、野外の調査用に開発されたマイクと録音機です。このような機材がアメリカでは販売されているのですから、それだけ需要があるということでしょう。詳しくは、下記URLで。
 http://www.batmanagement.com/Ordering/acoustic/WildlifeAcoustics/WildlifeAcoustics.html
  川上さんの話では、有人島から無人島までの距離は3km。できたら、有人島にいてモニターできないかという話になりました。そこにいた研究者の同志で、電気のない無人島で電波を3km飛ばすだけの電力をどうやって確保するのかなど、いろいろ議論とアイディアが出ました。はたして、今日の議論が新発見に繋がるのか。これまた、学会の楽しみとなります。

2012年9月14日 (金)

PCM-D1生産終了

 Tさんと Zikade さんから、SONYのPCM-D1が生産終了になったという情報をいただきました。お二方ともPCM-D1使いで、Tさんは野鳥、Zikadaさんはセミの素晴らしい音を録っています。でも、いったいどうしたらこういう情報を得られるか、お二方の情報収集能力には感心させられます。
 PCM-D1は、マイクと一体型のメモリ録音機の最高峰として登場したのが、2005年11月です。私は、この頃はメモリ録音機の性能に懐疑的で購入したのは4ヶ月後でした。その1ヶ月に石垣島西表島への録音行を予定していたので、どうせならと思い買ったものでです。このときは、あくまでもDAT録音機のサブ機のつもりでした。
 しかし、使ってみると1台で完結している機能に手放せなくなり、webサイトにも長文の使用リポートを書いてしまいました。

http://www.birdcafe.net/howto/howtoall.htm

  もちろん、今でもメインはPCM-D1です。いつも手元に持っています。バックアップに質実剛健なマランツのPMD-620、長時間録音とタイマー録音用にYAMAHAのW24などを使い分けていますが、いつもウエストポーチに入れて手の届くところに置いてあるのがPCM-D1です。
 今日、PCM-D1専用のハードディスクを見たらおよそ7年間で約400Gのデータを録音していました。あと、1年半くらいで、そろそろ用意している500Gのハードディスクが満杯になってしまいます。この中には、念願のコノハズクやタマシギなど鳥の声が入っています。録れた時は、思わず録音機にキスをしてしまった音源です。
 そのPCM-D1が、生産終了とは残念です。デジカメの世代交代は早ければ半年、長くても1年です。それに比べれば、よく7年近くも持ったのです。デジタル器機の世の習い同様、後発の方が高機能で安価という傾向はメモリー録音機でも変わりません。しかし、バッテリーの持ちやタイマー録音などの機能が向上した機種がその後も出てきていますが、マイク性能はPCM-D1を越えるものはあるでしょうか。いずれにしても、私はまだまだPCM-D1を手放せないでいます。
  Tさんと Zikade さん、貴重な情報ありがとうございました。

2012年9月12日 (水)

オススメ本『ミゾゴイ-その生態と習性』

 暑くってどこにも行く気になりません。この暑さは、営業妨害です。ということで毎日、読書に明け暮れています。
 文庫本ばかりでまずいと、今日は鳥の本に目を通しました。川名国男著の『ミゾゴイ-その生態と習性』です。イギリスやアメリカでは、1種類だけを扱った内容の専門書がたくさん出版されています。こういった本をモノグラフと言いますが、日本では多くありません。それだけ、1種類の鳥を1冊の本になるくらい極めている研究者が少ないということになります。ということで、川名さんはミゾゴイを極めています。
 先日アマゾンで購入、奥付を見たら自費出版でした。どうりで、大型書店を探しても売っていないはずです。自費出版らしく製本もレイアウトも質素な造りです。しかし、ミゾゴイの繁殖生態を克明に記録しています。
 以前、記事にしたように私のミゾゴイの音源は使用に耐えるものではありません。図鑑の企画で、ミゾゴイの音源が必要なときは、あきる野市在住のM上さんから「好きなように使って良い」と預かっている音を使っています。これは、M上さんが家に帰ったら玄関の前でミゾゴイが鳴いていたので、家にカセットテープの録音機を取りに行き、録音したというものです。家の前でミゾゴイが鳴くあきる野って、いったいどんなところだろう思ったのですが、川名さんの記録もあきる野でした。
 本来ならば身近な自然であった里山に生息していたミゾゴイの詳しい生態は、ぜひこの本を読んでいただきたいと思います。ここでは、鳴き声についてのみ紹介させていただきます。記録では、鳴いたのは4月14日~24日のわずか11日間。ただし、ほぼ一晩中鳴いていたとのことです。どうも、鳥というのはさえずっても、反応する相手がいないと鳴く必要がないと判断して、鳴き止んでしまうようです。昔の記録を見ると、さえずりの期間も頻度も長いのです。それだけ、密度が高かく鳴き合う相手がいたのでしょう。他の鳥でも同様で、数が少なくなると鳴くのは渡来直後のみとなり野鳥録音を難しくしています。いずれにしても、現在では4月中旬にミゾゴイ作戦を実施しなくてはならないわけです。なお、鳴き始めるは日没後前後の夜の鳥のゴールデンタイムです。
 なお、筆者の使用機材の紹介では、OLYMPUSのLS-10が記載されていました。メモリー録音機の発達と普及が、ミゾゴイの鳴き声の解明にも活躍したことでしょう。

Japanesenightheronbook

『ミゾゴイ-その生態と習性』
川名国男・著
A5版168ページ
ISBN-10: 499064560X
ISBN-13: 978-4990645601

アマゾンのURL.
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%BE%E3%82%B4%E3%82%A4-~%E3%81%9D%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%85%8B%E3%81%A8%E7%BF%92%E6%80%A7~-%E5%B7%9D%E5%90%8D%E5%9B%BD%E7%94%B7/dp/499064560X/ref=sr_1_10?s=books&ie=UTF8&qid=1347448561&sr=1-10

2012年9月11日 (火)

六義園下見-ヤマガラ

 昨日は日本野鳥の会のE沢さんとO山さんが来訪、昼下がりの六義園を歩きました。
 ハシブトガラスが気持ちよさそうに水浴びをしているのを観察したり、セミ時雨を楽しむことはできました。午後ですので、鳥の影も少なく暑い時間でした。しかし、六義園でいちばん高い藤代峠に登ると吹き抜ける風がとても気持ち良くて、しばらく動かなかったほどです。また、森のなかや木陰はとても涼しくて風さえあれば天国です。
 こんななかでも、常連の鳥仲間のH本さんとE原さんがいました。さすがに常連だけあって風が抜け、かつ鳥のいるポイントで待機していました。六義園では、すでに夏鳥が通過しています。ここ2週間の間に、センダイムシクイ、メボソムシクイ、サンコウチョウなどを見た人がいます。また、1週間ほど六義園では珍しいヤマガラが数羽、居着いています。そのうちの1羽がツミに食べられたと、H本さんが写真を見せてくれました。ツミの若鳥が脚で押さえている小鳥の色は、間違い無くヤマガラ色をしてます。よりによってとも思いますが、漂行して来て疲れているところを襲われたのでしょう。
 都内では、明治神宮のように昔からヤマガラが繁殖している緑地もあります。しかし、六義園のここ数10年の経緯を見ると数年に1回、通過して行くのが見られる程度の記録しかない鳥です。ヤマガラの好きそうなエゴもありますし、巣になりそうな洞のあるスダジイもたくさんあります。それなのに、なぜヤマガラが六義園に居着かないのでしょう。つい、いると言うことから環境との関係を考えてしまいますが、いないということから環境選択の要因を見いだすことができるかもしれません。
 ところで、昨日の目的は小田急の友の会会員を対象した探鳥会の下見です。会員の方には『ファミナス』誌の9/10月号にお知らせが掲載されていますので、ご都合のつく方はぜひご参加いただければと思います。

2012年9月 8日 (土)

世の中、意外と狭い-満州鳥類原色大図鑑の水野馨さん

 3月に幻の図鑑『満州鳥類原色大図鑑』(水野馨・1940)を手入れたことを記事にしました。著者の水野さんについては、どのような方は解らず謎の人物だと書きました。1960年代、日本野鳥の会の『野鳥』誌にソ連(当時)の鳥のことを書いていた水野姓の方がいたので関係があるかもと書きましたが、S部さんから「それは水野武雄さんで別人だと思う」と教えていただきました。まずは、訂正させていただきます。
 さらに、山階鳥類研究所のS藤さんから、水野さんの息子さん(次男か)と知り合いだとの情報をいただきました。なんと、S藤さんは山階に就職したお祝いに父親の形見の図鑑だといって『満州鳥類原色大図鑑』をもらったという果報者です。当然、家宝ですね。
 そして、私が理事をやっている日本バードカービング協会のT原さんから「水野馨は伯父さんだ」とのメールをいただきました。バードカービングのイベントや理事会でいつもお会いしているT原さん、こんな身近に謎の鳥類研究者の身内がいるとはびっくりです。世の中、狭いものです。
 T原さんによると、水野馨さんは1895(明治28)年広島生まれ。広島師範学校の専攻理科(博物)を卒業。そして、中学校の理科の教師として1925(大正14)年に満州に渡り、教鞭を取る傍ら鳥類の研究をしていたそうです。黒田長禮博士と親交があった言い、教えを得たでしょう。終戦の1945(昭和20)年に満州から広島県に引き揚げ、1980(昭和55)年に亡くなったとのこと。享年86歳でした。晩年は、菜園造りに専念していたということで、T原さんもその姿を見ています。ただ、その後はなぜか鳥に関することにはまったく関わってはいなかったとのことです。
 S藤さんからは「満州を引き上げる時は、ソ連兵が家に踏み込んで来て、たくさんあった標本は捨てたまま、命からがら逃走したという鬼気迫ったお話も聞きました」と、伝えられています。前回の記事に書きましたように、命をかけ苦労して蒐集した満州の鳥についての資料がすべて水泡に帰してしまったのですから、思い切りをつけての再出発の人生だったのでしょう。
 また、T原さんからは「30歳で渡満して50歳で帰国するまで、伯父にとって最も充実し達成感のあった20年間であったことと思います。華やかな学歴もコネもない伯父が努力一筋であれだけの実績を残せたのは、新天地と言われた満州という時代と場所があったからなのではないでしょうか。何気なく接していた伯父の人生を想い、なにか感慨深いものがあります。」とメールをいただきました。さらに、T原さんが水野さんの長男の方に私のブログのコピーをお送りしたところ、ご丁寧な礼状とお礼に品をいただいてしまいました。なんとも恐縮の極みです。
 今とはまったく違う世情のなかで、野鳥に関わる研究された水野馨さんのご苦労を今の私には推し量ることはできません。ただ、私たちがこうして安穏に野鳥と接することができるのも平和な世の中だからであることは間違いありません。そして戦乱の中、水野馨さんはじめ多くの先達が、火を絶やさないでくれたおかげと感謝いたします。
 情報をいただいたS部さん、S藤さん、そしてT原さん、どうもありがとうございました。重ねて感謝いたします。

2012年9月 7日 (金)

「デジスコ通信」に投稿-いつの頃から

 群れで鳥を見ないというバードウォッチングをしているTさんから「いつの頃から珍鳥ポイントにバードウォッチャーが集中し野鳥カメラマンが押しかけるようになったのか?」という疑問を投げかけられました。
 考えてみれば、一人で見た谷津干潟のオグロシギの群れ、葛西のツルシギの群れのなかのミヤコドリ(当時はミヤコドリのほうが珍しかった)、仲間と見たセイタカシギ(当時は大珍鳥だった)、日本で初記録のハシブトアジサシは連れ立って行った4,5人で見ていただけでした。今思えば、かなり豪華なシーンでも貸し切り状態、当時は私一人で見るなんてもったいないと思ったこともあります。
 しかし、今ではちょっと情報が出回り、私に「ないしょだけど」と伝わってくる頃には、もうバードウォッチャーと野鳥カメラマンの群れに囲まれています。私の記憶では、バブル期に増えたバードウォッチャー、日本野鳥の会の会員が1万人を越えた頃と一致し、さらにインターネットがそれに拍車をかけた、ここ20年来の現象だと思います。という野鳥受難史の一部を書いてみました。
 下記のURLでご覧いただけます。
 http://www.digisco.com/mm/dt_65/toku1.htm

2012年9月 6日 (木)

障害者とバードウォッチング

 昨日、日本野鳥の会の事務所にて、目の不自由な方へのバードウォッチングをどのように展開するかの検討を行いました。今から20年前、日本野鳥の会では盲人用の図鑑『さわる図鑑』を作りました。当時、職員だった私も関わりました。とくに、この図鑑を使っての探鳥会の指導にたずさわりました。そのとき、レクチャーを受けたのが筑波大学の鳥山由子先生です。昨日も鳥山先生にお越しいただき、目の不自由な方を取り巻く環境の変化など実情をうかがいました。
 20年前、印象的だったのは鳥山先生に「赤い鳥を赤いと言って良いのか」という質問をしたら「かまわない。色が解らなくてもきれいな色をしているという感動が伝われば良い」と言われたことです。重ねて、伝える側が感動していなければその感動が伝わらないという主旨のことを言われました。これは、健常者への指導でも言えることだと思い、今までの指導の姿勢を大いに反省したしだいです。
 また探鳥会の当日、私が「コゲラいます」と参加者に教えたら「2羽いますね」と言われました。しばらくするともう1羽が顔を出し、本当に2羽いたのです。健常者の私には1羽しか最初は見つけられなかったショックは大きいものでした。このことは、鳥山先生も覚えていて、私が驚いていたことはもちろん、それを言った盲人の方の方の名前まで記憶されていたのには驚きました。かくも、いろいろ学ぶことの多い障害者向けのバードウォッチング企画、今後どのように展開できるかは担当のH田さんの手腕に期待をいたします。
 ところで、打ち合わせのあと安西英明さんが事務所のある敷地で、カネタタキがよく鳴いていると教えてくれました。見送りのついでに、鳴いている場所に案内してくれました。以前、記事にもしたように私にはカネタタキの音が聞こえません。私は、5,000Hz以上の音が聞こえません。カネタタキの声は、6,000~7,000Hzですから、かなり近くで鳴いてくれないと聞こえないのです。
 ですから、安西さんから「今、鳴いている」と教わっても残念ながら私には聞こえませんでした。安西さんは私より6歳若いのですが、私は6年前には聞こえなくなっていましたから、安西さんの耳は私よりはるかに若いことになります。
 言っておきますが、安西さんが私に意地悪をしているわけではありません。高齢者が多くなったバードウォッチャーにどのように指導をしていったら良いのかの情報交換なのです。たとえば、私はアオジの地鳴きが昔とは違って聞こえます。高い音が聞こえなくなり、低い部分だけが聞こえるからです。そうなると、高齢者には「チッ」と鳴くと教えるより「ツッ」や「ズッ」と鳴くと言った方が伝わるのです。このあたりのことがわからないと指導がうまくできないのです。
 年を取ると言うことは、少しずつ障害者になっていくことなのかもしれません。しかし、昨日の記事に書いた有田さんの活動、目の不自由な方の感性などを考えると、それほど悲観することはないと思っています。
 

2012年9月 5日 (水)

『有田一郎著作別刷集 2012年』をいただく

 高校時代、日本野鳥の会東京支部の探鳥会に行くと、ぽっちゃりとした体型でいつでもニコニコしながら鳥を見ている同年代の男の子がいました。それが有田一郎さんです。鳥へ情熱は柔和な印象とは異なり、探鳥会の終わった後も鳥を探し、次の会で「あの後、○○がいた」と私を悔しがらせました。
 その有田さんから『有田一郎著作別刷集 2012年』が送られてきました。還暦を記念し、今まで発表した論文をまとめたものです。厚さがわかるように撮ってみました。

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  有田さんとは年代が同じであるばかりではなく、私が日本野鳥の会の職員のときに職員でした。また、都市の鳥とくにスズメやカラスへの取り組み、そして江戸の野鳥、さらには野鳥録音と、野鳥への嗜好がよく似ているのです。ただ、彼の目の付け所というか、研究眼のすごいのは、人のやらないことで必要なことをちゃんと押さえていることです。たとえば、鳥との距離など、今から調べようもないことをちゃんと18年前に調べています。ですから、相変わらず私を悔しがらせてくれます。
 ただ、たいへん残念なことに6前に脳内出血で倒れ、後遺症で目も耳も聞こえづらくなり、フィールドに出ることが思うようにできなったと聞いています。それでも、箱根でスズメのセンサス調査を行い、自身の32年目のデータと比較しているのですから凄いものです。
 私自身、年取るとできなくなることがたくさんあることを実感しています。今になれば、年取って耳が悪くなるのは当然のことと思うのですが、若い頃はこれがわからないのです。幸いにして私は、蒲谷鶴彦先生から年取るとヤブサメなどの声が聞こえなくなると、アドバイスを早くからいただいておりました。おかげで、聞こえるうちに録音をしておくことができました。しかし、バードウォッチングや研究については、諸先輩から助言をもらいそこねています。今になって、もっといろいろアドバイスを受けていれば良かったと思うことしきりです。
 有田さんの論文集を見ると、年取ってもできなくなることばかりでなく、できることもけっこうあることがわかります。運良く長生きできれば、長生きしたなりバードウォッチングの楽しみ方があり研究論文が書けることがわかります。ある意味、若い研究者が将来を見据えて研究計画を考える上で参考になると思います。
 この先も、まだまだ有田さんには悔しい思いをさせられそうです

2012年9月 2日 (日)

先シーズンのツグミについて雑感

 暑いところ、冬の話で恐縮です。BIRDER誌から先シーズンの冬鳥の状況と來シーズンの予想というアンケートが来たので、冬鳥について考えてみました。先シーズン、冬鳥が少ない、とくにツグミが少ないというのが話題になりました。「今年はツグミが少ないね」がバードウォッチャーの挨拶がわり、多くのバードウォッチャーが気づくほど少なかったです。
 私は、1984年から六義園においてセンサス調査を行っています。その経験から申し上げます。じつは、六義園のツグミは1980~1990年代にかけては1~2羽が越冬しているだけでした。ところが、近年5~6羽になり増えた鳥となっています。それが、先シーズンは1羽、ようするに昔と同じになったという印象です。昔の数を知っている者としては、昔に戻った感じでそれほど特殊な感じはいたしません。
 面白いのは、1羽しかいなかったツグミが、1988~1989年はとても多かったのです。渡って来たばかりの頃は、100羽もの群れが入りました。ところが、この年はツグミばかりではなく、シロハラ、ジョウビタキも多く、これらの鳥が連動して増減していました。増加も連動しているのですから、減少も同じ傾向にあり、先シーズンはシロハラ、ジョウビタキも多くありませんでした。
 もうひとつ、先シーズン六義園のツグミで面白いと思ったことがあります。近年、増えたツグミは、警戒心が極めて薄く芝生のような環境でもすぐ近くまでやってきます。また、身体の色がはっきりしているきれいなツグミが多いのです。写真は、まず2010年4月14日に撮影したツグミです。顔や胸の黒が濃くて、全体に濃淡がはっきりしています。そして、こちらに向かってきています。レンズの焦点距離は、450mm相当です。

Duskythrush100414

 つぎは、今年2012年4月3日に撮影したものです。顔や胸の黒が淡く、全体にくすんだ感じです。レンズの焦点距離は、300mm相当です。

Duskythrush120403

 これは、六義園ばかりではなく、都内の公園や近郊の緑地で出会ったツグミでも同じような印象を受けました。どうも、今年東京周辺にやってきたツグミは、いつもの年の個体群とは違う群れが入ったのではないかと思います。
 アンケートでは、原因についても聞かれましたが、私にはわかりません。繁殖地の気候や環境の変化と想像ができますが、検証する手立てがありません。
 2000年頃だったと思いますが、ホトトギスやカッコウが激減したことがあります。本当にホトトギスやカッコウの声が日本の山野から消えてしまいました。この時、これからどうなるのだろうと、いろいろ憶測が語られましたが、3年ほどで昔に戻りました。少なくとも日光ではもどっています。いったい、あのときの騒ぎはなんだったんだろうと思います。ツグミの減少も同じように何事もなく、元に戻ることを祈ります。
 また、ホトトギス=夏鳥、ツグミ=冬鳥の違いは大きいですが、長年鳥を見ていると、いくつかの種や仲間の単位で、増減をしています。ある意味、鳥は増減するのが普通だと思います。それが、数年、あるいは数10年単位なのか、あるいは100年単位なのかの違いはあると思います。また、人の影響から種の勢いなどもあると思います。いずれにしても、長い目で見ないとそう簡単に減った増えたは言えないと思います。

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