世の中、意外と狭い-満州鳥類原色大図鑑の水野馨さん
3月に幻の図鑑『満州鳥類原色大図鑑』(水野馨・1940)を手入れたことを記事にしました。著者の水野さんについては、どのような方は解らず謎の人物だと書きました。1960年代、日本野鳥の会の『野鳥』誌にソ連(当時)の鳥のことを書いていた水野姓の方がいたので関係があるかもと書きましたが、S部さんから「それは水野武雄さんで別人だと思う」と教えていただきました。まずは、訂正させていただきます。
さらに、山階鳥類研究所のS藤さんから、水野さんの息子さん(次男か)と知り合いだとの情報をいただきました。なんと、S藤さんは山階に就職したお祝いに父親の形見の図鑑だといって『満州鳥類原色大図鑑』をもらったという果報者です。当然、家宝ですね。
そして、私が理事をやっている日本バードカービング協会のT原さんから「水野馨は伯父さんだ」とのメールをいただきました。バードカービングのイベントや理事会でいつもお会いしているT原さん、こんな身近に謎の鳥類研究者の身内がいるとはびっくりです。世の中、狭いものです。
T原さんによると、水野馨さんは1895(明治28)年広島生まれ。広島師範学校の専攻理科(博物)を卒業。そして、中学校の理科の教師として1925(大正14)年に満州に渡り、教鞭を取る傍ら鳥類の研究をしていたそうです。黒田長禮博士と親交があった言い、教えを得たでしょう。終戦の1945(昭和20)年に満州から広島県に引き揚げ、1980(昭和55)年に亡くなったとのこと。享年86歳でした。晩年は、菜園造りに専念していたということで、T原さんもその姿を見ています。ただ、その後はなぜか鳥に関することにはまったく関わってはいなかったとのことです。
S藤さんからは「満州を引き上げる時は、ソ連兵が家に踏み込んで来て、たくさんあった標本は捨てたまま、命からがら逃走したという鬼気迫ったお話も聞きました」と、伝えられています。前回の記事に書きましたように、命をかけ苦労して蒐集した満州の鳥についての資料がすべて水泡に帰してしまったのですから、思い切りをつけての再出発の人生だったのでしょう。
また、T原さんからは「30歳で渡満して50歳で帰国するまで、伯父にとって最も充実し達成感のあった20年間であったことと思います。華やかな学歴もコネもない伯父が努力一筋であれだけの実績を残せたのは、新天地と言われた満州という時代と場所があったからなのではないでしょうか。何気なく接していた伯父の人生を想い、なにか感慨深いものがあります。」とメールをいただきました。さらに、T原さんが水野さんの長男の方に私のブログのコピーをお送りしたところ、ご丁寧な礼状とお礼に品をいただいてしまいました。なんとも恐縮の極みです。
今とはまったく違う世情のなかで、野鳥に関わる研究された水野馨さんのご苦労を今の私には推し量ることはできません。ただ、私たちがこうして安穏に野鳥と接することができるのも平和な世の中だからであることは間違いありません。そして戦乱の中、水野馨さんはじめ多くの先達が、火を絶やさないでくれたおかげと感謝いたします。
情報をいただいたS部さん、S藤さん、そしてT原さん、どうもありがとうございました。重ねて感謝いたします。
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