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2012年10月31日 (水)

読めないFAXから解けた-蒲谷鶴彦先生の学生時代

 先週、文化放送のS木さんから「蒲谷さんと連絡を取りたいという方からFAXが来ていけれど、読めないので困っている」との連絡をいただいた。「私ならお役に立てるかもしれないから、とりあえず転送して」とお願い。しかし、届いたFAXは機械のせいか手書きのせいか、かすれて読めません。かろうじて「蒲谷鶴彦君」とか「オナガ」などの鳥の名前が読み取れます。蒲谷鶴彦先生のことを書かれているようなのですが、”君”呼ばわりする関係とは、どんな方なのか疑問でした。ただ、連絡先のN田さんのお名前と電話、神戸市の住所は読めましたので、私の自己紹介とどんなご用件なのか再度ご連絡いただきたいとFAXいたしました。
 すると、すぐにFAXで返事がまいりました。こんどは、ワープロ打ちなので読めます。なんでも、蒲谷先生とは早稲田実業時代の学友、趣味でエッセイを書いており、そのテーマに蒲谷さんの思い出を書きたい、ついてはまだ『朝の小鳥』が放送されているのか確認したかったとのこと。文化放送は関東一円のみ、関西では受信できません。そのための確認でした。そして、ご迷惑をかけてしまって申し訳ないとお詫びの言葉でむすばれています。
 じつは、蒲谷先生からはあまり学生時代のことを聞いていません。軍事教練ばかりしていた、動員されて中嶋飛行機に行った、とにかく戦争のどさくさで勉強どころではなかったという話を聞いたのを覚えています。後で知ったのですが、この時代のことは奥様もご子息の剛彦さんでさえ、よく知らなかったのです。剛彦さん曰く”父の空白時代”だそうです。N田さんのおかげで、この空白が埋まるかもしれないのです。
 ご学友となれば先生の少年時代のこと、どんな子供だったのか知っているはずです。なんだか、先生の秘密を探るようでドキドキしながら、N田さんに電話をしてしまいました。
 N田さんのお話しでは、先生とは早実時代の学友で机が隣同士だったとのこと、”君”よばわりするのもうなずけます。そして、秋川や多摩川にいっしょに行き、鳥を教えてもらった思い出があると話されていました。早実はガリ勉が多かったけれど、蒲谷君は勉強をしないで鳥ばかり見ていたとおっしゃっていました。また、やさしい人だったとも言っておりました。
 先生は、中学時代に日本鳥学会に入っています。当時一世を風靡した『少年倶楽部』か『野鳥』を買おうか迷ったすえ『野鳥』を買った少年だったのですから、すでにいっぱいしのバードウォッチャーに成長していたことになります。
 戦時中のこと、N田さんは予科練に行ったために、先生とは疎遠になってしまったそうです。戦後、一度だけ新宿のお宅にうかがってスタジオを見せてもらい録音を聞かせてもらったなど、話は尽きませんでした。N田さんは、親の仕事の関係で東京を離れてしまったために、その後も会う機会はなく、そのままになってしまったと寂しいそうに話しておりました。80歳を超え昔のことは忘れてしまったことが多いが「蒲谷くんとのことは、なぜかいろいろ覚えている」と言われたことがとても印象的でした。
 N田さんと話していると、まるで蒲谷少年とN田さんが多摩川の河原で野鳥を追いかけている様子が目に浮かぶようでした。なんだか、ほっこりと心温まり、とても幸せな気分になりました。

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