リュウキュウオオコノハズクの原記載
ジャパンバードフェスティバルで、O谷さんとお会いしました。今まで、メールで野鳥録音やオオコノハズクの課題について何度がやりとりした方です。それだけに、はじめって会った気がしません。そのO谷さんからリュウキュウオオコノハズクの原記載、はじめて報告された論文を教えてという希望がありました。これは、鳥を調べる時の基本中の基本、まずは原記載を調べなくてはなりません。
まず、命名者を調べます。『日本産鳥類目録』の学名の次に書かれている命名者はGurneyとなっています。目録には参考文献が載っていないので、膨大な文献リストのある『清棲図鑑』を探しましたが載っていません。つぎに調べた『山階図鑑』には種名のつぎに、原記載が書かれていました。
Gurney Ibis p302 1889 Rynkyn Naba Okinawa
とあります。Gurneyさんによって、イギリスの鳥学会誌Ibisの1889年に発行された302ページに書かれているという意味です。次のアルファベットは、種として登録したタイプ標本の産地で琉球、那覇、沖縄の意味でしょう。
Gurney、Ibis、1889というキーワードで検索すると、フクロウ類の原記載論文のリストとPDFファイルをアップしているサイトを見つけました。昔ならばイギリス、最近でも山階鳥類研究所へ探しに行かなくてはならなかったのですから、なんとも便利な世の中になったものです。
OWL ProjectのURLです。
http://www.globalowlproject.com/species.php?genus=Otus
原記載論文は、
Gurney, John Henry 1889 On an apparently undescribed Species of Owl from the Liu Kiu (or Loo Choo) Islands, proposed to be called Scops pryeri. Ibis, Vol. 31, pages 302-305.
タイトルは「今まで記載されていなかった琉球列島のフクロウ類にScops pryeriと命名することを提案する」と言ったところでしょうか。
カミさんに訳してもらうと、面白いことがわかりました。
1886年にアメリカのStejneger氏がリュウキュウコノハズクを新種として発表しています。Gurneyさんが、それとは違うフクロウ類をSeebohm氏のコレクションの中から見つけ、これを新種として発表したい。Pryer氏が沖縄で入手したものなので、彼を記念して学名をScops pryeriと名付けたいというものです。
筆者のGurneyもアメリカのStejneger、イギリスのSeebohmも、日本には来ていません。Pryerは日本に在住し、ブラキストンとともに日本で最初の科学的な鳥のリストを発表した方で、Pryerが採集人の役割をしていたことがわかります。
また、新種とした根拠になった標本は、Norwich MuseumにあるSeebohmコレクションにあった成鳥と若鳥の2体。「標本は、2体とも琉球列島中央部の沖縄島で採集されたと思われ、2体ともPryer氏の手書きで“Ryukyn Naba, june(Aug.), ‘86”と記されている。」とあり、1886年9月に採集されもの、Ryukyuは琉球、Nabaは那覇と推測できます。那覇をナバと聞き間違えたのか、hをbと読み間違えたのかわかりませんが、いずれにしても当時、辺境の地であった日本の情報の少なさを物語っています。
あと論文には、リュウキュウコノハズクとリュウキュウオオコノハズクの大きさや色、形態の違いが書かれています。当時のIbisには、写真がなく文章ですべて表現されています。リュウキュウコノハズクでは、初列風切の第3と第4が同じ長さで一番長く、第5は明確に短い。リュウキュウオオコノハズクでは、第4が一番長く、第3と第5は同じ長さで、第4よりほんのわずか短いだけである。また、この2種の明確な識別点は、リュウキュウオオコノハズクの方が嘴のサイズが大きいこと、ふ蹠が趾の根元まで厚く羽毛で覆われていることなど、記述は細かく書かれています。脚の羽毛の有無など、現在リュウキュウオオコノハズクとされているものと一致します。
また、タイプ標本は1886年に採集され、論文は3年後の1889年に印刷されています。剥製が何ヶ月もかけて船で運ばれたことを考えると、かなり早いペースです。当時の新種発見競争が、熾烈だったためでしょうか。いずれにしても、19世紀末のイギリスの博物学にかける情熱を感じます。
なお、筆者のJohn Henry Gurneyは、ウキペディアに載っているような有名人でした。
イギリス人で1819年に生まれ、1890年に71歳で亡くなっています。このリュウキュウオオコノハズクの論文を発表した翌年に亡くなっており、遺作となりました。彼は、プロの研究者ではなく、裕福な家柄で本職は銀行家、アマチュアの鳥類学者です。猛禽類やアフリカの鳥、そして東洋の鳥についての本や論文を書いています。いかにも、マニアックなアマチュアが興味を持ちそうな種類と地域の鳥です。
O谷さんは今日から沖縄に行くとか。また、新たな情報を仕入れられると良いですね。
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自己レスです。
元記載は原記載の誤変換との指摘をA部さんからいただきました。ご指摘のとおりですので、訂正いたします。以前も、この誤記について話題になったことがあったのに失念しておりました。申しわけございません
A部さん、ありがとうございます。
投稿: まつ | 2012年11月 7日 (水) 20時36分