目の色の変わったツミ
獲物を見つけたツミが、目の色を変えたというわけではありません。ツミを追いかけているS木さんが、見つけたのです。まずは、彼のブログ『野原から』の「ツミの雄はいつから目が赤くなったのか?」をご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/gnohara/archives/6754320.html
カメラや高性能の望遠レンズが普及して写真図鑑が出版されるようになったのは、ここ四半世紀のことです。それ以前は、イラストによる図鑑が中心です。それも、参考にする写真もないのですから剥製を見て絵を描くということになります。そのため、剥製になってしまうと失われてしまう虹彩や脚の色が微妙に違ってしまうのです。
またツミは、今では山手線の周辺の緑地でも繁殖するようになりました。しかし、私が日本鳥類保護連盟に勤めていた頃、環境庁(当時)からワシタカ類の生息状況の概略を教えて欲しいという要望がありました。できたら、推定で良いから個体数を知りたいというものでした。しかし、今のようなデータの無い時代ですので、-や+の記号でランクを付けて報告したことがあります。このとき、ツミも調べたのですが記録のなさに驚きました。確実な繁殖記録は、『清棲図鑑』に記載されている事例しかありません。もちろん最低のランクです。
当時、もちろん私は見たことはありませんでしたし、山階鳥類研究所の職員に聞いても誰も見ていませんでした。これが、1970年代のことです。
ですから、これ以前のツミのイラストは、虹彩の色が赤いはずの雄も雌と同じ黄色に描かれているのです。それをS木さんは見つけ、いつの頃から赤くなったのか知りたいというものです。
私もこのことを確かめるために、大図鑑を調べて見ました。『黒田図鑑』(1933-1934)には、雌雄と幼鳥が描かれていますが黄色です。『山階図鑑』(1934、1941)にはイラストはありませんが、記述で雌雄の区別はされてなく「虹彩はレモン黄色」となっています。『清棲図鑑』(1965)は、本文の記述はなく小林重三のイラストは黄色でした。
S木さんの指摘どおり、高野伸二さんが描かれた『野外観察用鳥類図鑑』(1965)では黄色に描かれていますが、『フィールドガイド日本の野鳥』(1982)では初版から赤くなっています。どうも、このあいだに分水嶺があるようです。
もう少し、時期を絞るために同時期の高野さんの著作を見ると、小学館の『日本の野鳥』(1976)は、少なくとも初版は黄色。日本野鳥の会の『野鳥識別ハンドブック』(1980)は、モノクロ図版で本文では虹彩の記述はなし。ということは、1980年以降1982年前、訂正や印刷のことを考えると1980年あたりに高野さんがお気づきになり、それ以降の図版で赤くしたと推測できます。少なくとも図鑑のツミの目の色が変わったのは1980年代ということになります。これは、ツミが関東地方の住宅地や公園、街路樹で繁殖が確認されるようになった時期と一致します。
また先週、S木さんのブログをFacebookにリンクさせたところ、ムシクイ研究家のW部さんから、学生時代に先輩から聞いた話としてコメントいただきました。
-舳倉島で「ツミの雄の目の色って何色でしたっけ」と言ったら当時よく舳倉に来ていた石川県のある方が即座に「赤!」とおっしゃった。それで先輩が『日本の野鳥』と違うと言ったら高野さんがいらっしゃって頭を抱えていた。1978年か1979年のことです。-
このエピソードからも、年代の推定が合っていたことがわかりました。今と違って当時は、高野さんの図鑑しかなかったのですから、高野さんはあちこちから間違いを指摘され、へこんでいました。高野さんには申し訳ないのですが、当時の若いバードウォッチャーの間では、高野さんの図鑑の間違いを探し見つけたらヒーローだったのです。
ところで、それ以前の図鑑に赤い目をしたツミの雄がいなかったのか、調べて見ました。すべてを見たわけではありませんが、ありました。榎本佳樹さんの『野鳥便覧・下』(1941)です。当時のカラー印刷ですから印刷が荒いのですが、間違いなく赤みがあります。対面のページに、8エッサイ(ツミの雄のこと)、9同幼鳥、10ツミ(ツミの雌のこと)となっています。
『野鳥便覧・下』は、野鳥の本コレクター垂涎の稀覯本です。文庫本サイズの小さな本に関わらず日本の図鑑、大きく言えばバードウォッチングを変えた本だからです。この本に書かれている全長がそれ以降の図鑑に引用、さらに孫引きされて行きます。その全長が最初に記載された本だからです。
榎本さんは、剥製で同定するのではなく野外で識別できるように資料を集め『野鳥』誌に連載したり、それを元にこの本を書きました。全長は、剥製にしてしまうと乾燥してしまうために計ることができません。そのため、生の鳥でないと計れないのです。それだけに、資料の収集には苦労されたことと思います。『野鳥便覧・下』にもツミの全長が書かれています。それも、平均欄も埋まっているのですから複数のツミを計ったことになります。それだけに、榎本さんは生のツミを手に取る機会があって、雄の虹彩が赤いことを知っていたのです。
S木さん、ネタの提供ありがとうございます。おかげで、当時のバードウォッチング事情を知ることができました。重ねてW部さん、コメントありがとうございました。
ところで、こういうネタに出会うと目の色が変わってしまうのは私だけでしょうか。
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まつ様
さっそくツミの図版についてのネタを掘り下げていただき、ありがとうございます。
豊富な蔵書を徹夜で調べて目が真っ赤になっていたりしないか?心配です(笑)。
野鳥便覧の図版があまりにもすばらしく感動しました。戦前にも雄の目が赤く描かれていたものがあったのですね。
大きさや生息環境まで正確に表されているのにも驚きました。
ツミの生態をずっと観察してきて、大好きな鳥ですが、このような図版の変遷をたどっていくことで、以前のツミの生息状況なども垣間見ることができ、ますますツミが好きになりました。
高野伸二さんといえば、子どものころの私にとっては「神」と等しい存在でした。
その高野伸二さんですら1970年代はツミをまともに観察する機会はほとんど無かったのだろうと思います。
図鑑を作るとなると、観察例や資料の乏しい希少種も掲載していかなければならないので、そのご苦労を感じることができました。
なので、図版の間違いの指摘!してやったり!というよりは、天国の高野さんに最大限の感謝をしつつ「今は東京でも、間近で観察できるようになったんですよ!」と報告したい、そういう気分です。高野さんにお会いしたことは無いのですが・・・。
このツミのネタはまだまだ発展しそうですね。ハイタカとツミの誤認時代についても今考えています。
また続報がありましたらよろしくお願いいたします。
投稿: S木 | 2012年11月24日 (土) 19時56分
S木様
いつもお世話になっています。
山階鳥類研究所の平岡さんからこのエピソードは高野さんの著書『野鳥を友に』にあると教えてもらいました。私は読んでいるはずなのですが。今、読もうと思いましたが、出てきません。いずれ調べて見ます。
なお、野鳥便覧は、日本野鳥の会大阪支部のサイトにある「野鳥便覧を読む」で、図版類、全長データはアップされています。
http://www10.plala.or.jp/birdsosaka/
次は、ツミにはないはずの首の後ろの白部が図鑑には描かれており、これがいつからあるのかですね。
投稿: まつ | 2012年11月24日 (土) 21時24分