小林豊さんのお葬式
日本野鳥の会の事務局長の小林豊さんが、先週7日にお亡くなりになり今日が告別式でした。7日は、ちょうど日本野鳥の会の評議員会があって、私もオブザーバーとして出席しておりました。ところが、彼の席だけが空席。てっきり調査のために飛びまわっていると、ばかり思っていただけにびっくり。そして、これから日本野鳥の会を担っていく優秀なベテランを失い、がっかりです。
小林さんは、私が日本野鳥の会の職員だったときに新人として事務局に入ってきました。当時の保護部に所属。この頃の日本野鳥の会は、今とは違った意味でいろいろたいへんな時期でした。さらに、彼のいた部は苦労の多いところでしたので、奮闘している姿が印象に残っています。
彼とは妙に気があって、彼は私のことを中尉と呼んでいました。私が室長だったので小隊長という階級です。私が辞める頃には、私のことを大佐、彼を中尉と勝手に階級を上げました。横で聞いていたH元女史は「しょうもない!」と、あきれていましたが、彼と私だけに通じる符丁となっていました。それ以来、20年以上経ちましたが、彼からのメールは、いつも大佐殿で始まり「これよりカンムリウミスズメの上陸作戦を開始」などと報告を受けました。私からは「中尉殿 武運を祈る」と返事をしたものです。
そんな彼が、日本野鳥の会が新体制に移行するとともに事務局長に就任いたしました。本来ならば、理事としての役職も同時になっていただくのですが、彼は固辞。少しでも現場に出て働きたいということでしょう。それだけに、カンムリウミスズメの各地の調査から釧路のシマフクロウの土地買い上げと全国を飛びまわっていました。もし、過労で命を縮めたのであれば、無理矢理ににでも理事にして、少しは机に縛り付けておく方が良かったかもしれないと悔やみます。しかし、それはそれで小林さんとしては満足できなかったことになり、ストレスが溜まっていたかもしれません。何とも小林さんの死のショックで、考えがまとまりません。とにかく、私としては何もして上げられず、悔しい思いでいっぱいです。
本日は、曇りで薄ら寒くお葬式日和でした。参列者の多くが顔なじみ、これだけ涙が流された葬式は初めてです。しかし。いちばん涙を流しているのは、鳥たちではないでしょうか。鳥たちにとってみれば守護神を失ったも同じこと。援軍の来ない砦に取り残された思いになっているかもしれません。
今思えば去年、事務局長になったのですから、彼を連隊長として大佐の階級に昇格しておくべきでした。小林豊さん、お疲れさまでした。ゆっくりとお休みください。ご冥福をお祈りいたします。
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