吉井正さんのお葬式-駒込・吉祥寺
ウメの花にメジロがやって来ています。ついでヒヨドリが来て、花を丸ごと食べています。窓の外のウメの花が満開の駒込・吉祥寺です。
「戦後間もない頃、図鑑の原稿料だかでもらった40万円で、ここ吉祥寺のお墓を買ってしまったの」とお話しをされるのは、故・吉井正さんの奥様。御年91歳、次からつぎに出てくる裏話に一同唖然。お葬式でこんなに盛り上がってしまって良いのかと思う、吉井さんのお葬式でした。
吉井さんは、山階鳥類研究所の標識室長として、戦後日本のバンディング調査の礎を築いた方です。脚輪を付けた鳥は世界中をとびまわっているのですから、バンディング事業は海外との交流が必須です。吉井さんは、得意の英語を生かし世界への窓口として当時の日本の鳥学を世界に発信されました。現在ならば、インターネットを通じて世界の研究者と交流できますが、当時は吉井さんが世界への窓口であったといっても過言ではありません。
私が最初に就職した日本鳥類保護連盟は、渋谷区南平台にあった山階鳥類研究所に間借りしていました。どちらの理事長も山階芳麿さんでしたので仲間意識を持って、仕事をしていました。職員は、リタイアされたご老人と私のような何もわからない新人と年代のギャップが激しい人員構成です。そのなかで、吉井さんは当時40代後半、中堅として間を埋めてくれる貴重な存在でした。若い職員にとっては、鳥のことも知らないでただお金のことだけでプレッシャーをかけてくる老人たちと戦ってくれる心強い味方であったと思います。また、私は連盟時代にしっかりと叱られたのは吉井さんしか記憶にありません。鬼軍曹のような、ちょっと怖い存在でもありました。その吉井さんが、お亡くなりになったは去年の12月26日、享年91歳でした。本日は、本葬とのこと。ご家族と山階鳥類研究所のOB、現職の方々が集い、当時の仲間意識のまま私も列席させていただきました。
葬儀が行われた吉祥寺は、家から歩いて行けるところです。法事帰りの吉井さんに何度かお会いしたことがあります。吉祥寺は、江戸名所図会に描かれた当時のままに本殿や並木が残っています。散歩で訪れたことはありますが、なかに入ったのは初めてです。迷路のように部屋が並び、所々に飾ってある浮世絵や彫り物は見事なものばかり。お経の前に打ち鳴らされた太鼓は、江戸時代に徳川家から下賜されたものとか。また、お坊さん5名での読経は大きな本殿に響きわたり、1時間を越えるお勤めではありましたが、飽きることはありません。録音をしたくて、うずうずしてくるようなお葬式でした。
そして、葬儀の後の歓談で奥様からいろいろ裏話をうかがいました。黒田長久さんが、家に来たときの話。GHQの鳥類調査のアメリカ人があまりにも威張っていたので、新潟に置いてきてしまった話。鹿児島県出水に行ったときの話、新浜の話。昔、入院していたときは消灯後にベッドの下で原稿を書いていた話。そして、冒頭の吉祥寺にお墓を買ってしまった話。「当時は、喰うや喰わずの時でしたので、どうしてと思いましたが、今こうして皆さんとお会いできたと思うと良かったと思います。」「好きな鳥の仕事をして来た主人はとても幸せでした。」と奥様のお話に一同うなずくばかり。これも録音したくなる話でした。
終戦後、食べるのがやっとの時代、鳥業界を支えてくれた恩人が、また一人お亡くなりなってしまいました。吉井正さんのご冥福を心からお祈りいたします。
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