ハチジョウツグミの語源は八丈紬だ
今日は六義園のセンサス調査を行いました。これまで、大雪の後遺症で入れないところが多かったですが、今日はほぼいつものコースを通ることができるようになりました。そのため、K藤さんとK久保さんにもお手伝いをお願いいたしました。
今日は、小鳥が多かったですね。シロハラとシメが特に増えています。また、カモ類のキンクロハジロも20羽を越え、今シーズンとしては多い方です。きっと南で越冬していたものが北へ帰り初めての増加でしょう。
ツグミは、このところ森を出て芝生に2羽が滞在中。1羽は翼のレンガ色がとてもきれいな眉も白いタイプ。もう1羽が、英名のDuskyといった地味なタイプです。ところが、地味なほうをよく見ると脇胸に赤茶色があることに気がつきました。どうも亜種のハチジョウツグミが入っているようです。画像検索をすると、この程度でもハチジョウツグミとしている方もいますが、間のタイプもあるのでなんとも言えません。仲間うちでは、四畳半ツグミか3畳ツグミと言っています。
また、この個体は脇胸の色以外、典型的な亜種ツグミに比べて嘴が太めで額のラインが出ているという違いがあります。額のラインは、ハシブトガラスとハシボソガラスほど顕著ではありませんが、比べるとそう見えるという程度です。そのため、顔つきが丸味を帯びて見えます。脇胸の羽毛の先にある白い部分がもう少しすり切れてくれば、よりハチジョウツグミらしくなるかもしれません。
ところで、ハチジョウツグミのハチジョウが気になって調べて見ました。ハチジョウツグミの名前が出てくるのは江戸時代中期の『観文禽譜』(1794年)、いわゆる堀田禽譜あたりまでさかのぼれます。ハチジョウは、八丈で八丈島というのが通説です。ただ、八丈島で捕らえられたとか、八丈島に多いという記述は見つかりません。ハチジョウツグミの名前の由来は不明というのが大方の意見ですので、勝手に想像してみます。
この頃の八丈島は、江戸の人から見れば津軽や蝦夷と同じように異境の地の地名だったことでしょう。この頃、江戸では八丈島産の絹織物が注目を浴びます。八丈島の地名の由来も織物の長さの単位ですから、それだけ八丈島の織物は有名だったことになります。中でも、黄八丈が珍重されました。黄色と言っても少し茶色がかった色ですので、ハチジョウツグミの脇腹の色にちょっとイメージが近いですね。また、八丈紬(はちじょうつむぎ)としてのブランド名も広まっていたことと思います。八丈紬の起源は、室町時代まで起源をさかのぼれますから、八丈紬という名称が知れ渡っていて、それに似た色のツグミが見つかり、珍しい鳥なので異境の地に似た名前のハチジョウツグミになったというのはいかがでしょうか。
当時の着物は、現在の耐久消費財ぐらいの価値がありました。ユニクロも着物の青山もありません。ですから、庶民は木綿、絹は半襟くらいにしか使えず、八丈紬は大名、お大尽のものだったでしょう。今で言えば、高級外車くらいの価値があったといっても過言ではありません。ですから、大名のお抱え絵師であった堀田正敦さんが八丈紬の着物を着て「八丈紬?、ハチジョウツグミか、こりゃ良いね」と言ったのではないかと想像します。八丈島産の織物のブームとハチジョウツグミの名前の初出の時代が近いと言うことでの想像です。
六義園のツグミの少しでも長い間滞在してくれて、よりハチジョウツグミらしくなり一声でもさえずってくれて、さえずりの違いまで教えてくれるとうれしいですね。
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自己レスです。写真のツグミは、Birds of East Asia(Mark Brazil・2009)によるとハチジョウツグミの雄の1年目の冬羽となります。なお、この図鑑では別種としています。
投稿: まつ | 2013年2月25日 (月) 20時21分
えらい昔の記事にコメントしてすみません。
「ハチジョウツグミの名前が出てくるのは江戸時代中期の『観文禽譜』(1794年)、いわゆる堀田禽譜あたりまでさかのぼれます。」ということですが、その観文禽譜は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されてるので見てみたら「八丈ノ産に非ズ猥ニ名ツクルノミ大サツクミノ如シ赤褐色八丈嶋産スル所紬ノ色ニ能似タリト云ヘリ」と書いていますね。
投稿: POKOPON | 2021年2月13日 (土) 05時21分
POKOPON様
過去の記事にコメントしても、トップに表示されますので見落とすことはありませんのでご安心ください。
最近、デジタルコレクションで思わぬ資料を見ることができますね。
八丈紬の色は、黄八丈という言葉が残っているように黄色が基調のようなのですが、江戸時代は赤褐色が多かったのかもしれません。今とは違う色が流行っていたのかもしれません。
いずれにもアドバイス、ありがとうございます。
投稿: まつ | 2021年2月13日 (土) 17時27分