お葬式-関口尚さん
本日は、東京工芸大学マンガ学科教授・関口尚さんのお葬式でした。享年52歳、若すぎます。
関口さんとは、私が日本鳥類保護連盟の職員で、彼がまだ学生だった頃に出会いました。1979年、バードカービングの試作品を桑山賀行さんと秋山孝さんに作ってもらいました。その後の展開を図るため、秋山さんが連れてきた4人の学生内の1人です。ですから、日本でバードカービングを作った人間の5番目以内に入ります。確か、最初の作品はスズメだったと思います。それまでスズメの脚の色は黒か茶色だと思っていたのですが、彼がスズメの脚の色をちゃんと薄い黄土色に塗っているのを見て、バードカービングは鳥をしっかり見なくては作ることができないと確信したことを覚えています。
その後、関口さんにはカルチャーセンターなどでの指導、デパート展示での実演といろいろ協力してもらいました。ですから、黎明期のバードカービングを支えてくれた1人です。私自身、わけもわらかず働いていた頃で、当時はさぞ迷惑をかけたことと思います。
それにも関わらずその後、私が日本野鳥の会の職員になってからも、パンフレットのレイアウトやイラストでお世話になりました。とくに、バードソンではシンボルマークをはじめ、いろいろデザインしてもらいました。
私がフリーになってからも、拙著『カラス、なぜ襲う』(2000年・河出書房新社)のイラストなど、お願いいたしました。この本は、表紙を秋山孝さんが描いており、師弟競演となっています。
私が退職したあとも、日本野鳥の会ではカンムリウミスズメのバッチのデザインなど、仕事を依頼し続けており、縁は切れることなく続いておりました。
いつも、安いギャラときりぎりの締め切り、めんどくさい仕事でも文句を言わず、私の依頼をもくもくと聞いては、やり遂げてくれた関口さんの真摯な姿を思い出します。そんな彼が助教授から教授となり、もう安い仕事は頼めないなあと思っていたところでした。
今日の葬儀は横浜市長津田、里山の風景が広がる一角にある葬儀場でした。出棺が終わったとき、コジュケイが近くで鳴いてくれました。関口尚さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
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