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2013年9月22日 (日)

六義園の昔の風景-ガラススライド

 ネットオークションで、ときどき思わぬ珍品を手に入れることができます。「ガラス板スライド 六義園 明治期」と言うタイトルで出品されていたのは、戦前の六義園が映し出されたガラス製のスライドでした。今はプロジェクターですが、私の子どもの頃は幻灯機と言っていました。メディアはフィルム(セルロイド製か)で、それ以前にガラス製であったことを今回知りました。
 このガラススライドは、厚い紙の台紙に挟まれたもので、台紙の大きさは82×95mmでほぼ正方形、スライド部分の大きさは24×72mmとかなり横長です。
 台紙には「RUKUGIEN GARDEN(BARON IWASAKI VILLA)、COPYRIGHT BY KOKUSAI BUNKA SHIKOKAI,TOKYO、MADE IN JAPAN 」と書かれています。国際文化振興会は国際交流基金の前身だそうで、KOKUSAI BUNKA SHIKOKAIとglassslideで検索したら、Magic Lantern Slides Collectionという外国のWebサイトが見つかりました。
 http://digicoll.manoa.hawaii.edu/lanternslides/index.php
 このサイトによると、国際文化振興会(当時)が1930年代に日本を紹介するためスライド1,500点を制作し世界の関係機関に配布したとあり、その一部であることがわかりました。ですから、オークション出品者の明治期は誤りで昭和10年頃、ちょうど日本野鳥の会が創立されて時代のものです。
 また、このサイトのデータベースによると、撮影は 1935年。スライドのサイズは 8.3 cm × 10.1 cmとなっていて、現物の8.2cm×9.5cmとは微妙に数値が異なり、別バージョンがあった可能性があります。このほか、地名は東京本郷区富士前町と昔の地名です。また敷地面積は23エイカー(=113,288㎡)と現在の87,809㎡より広く、これは現在の六義公園と六義園競技場も岩崎家の敷地に含まれていたからです。
 岩崎家が六義園を購入したのは明治1(1868)年、そして70年後の昭和13(1938)年に東京市(当時)に寄贈しています。ですから、写真が撮られた1935年当時は岩崎家のもので台紙の記述と符合します。
 このガラススライドをライドボックスに載せ、下からライティングをして撮って見ました。

Glassslide1

 六義園の入り口近くの風景です。主題となっている大きなクロマツは今はありません。左の遠景に大きな灯籠、中之島へ渡る橋が写っていて、これは今も残っています。
 比較のために、今日のほぼ同じ位置で撮影した六義園の風景です。

Rikugien130922

  今でもクロマツがありますが、小さいです。橋はわかりますが、灯籠は手前のマツが生長して陰になっています。また、芝生部分が今のほうが狭いですね。現在の売店のある広場くらいまで芝生でした。後ろのスダジイやクスも今では、かなり大きく成長していることもわかります。
 おそらく、今日も六義園では何千枚もデジタル写真が撮られていることと思います。しかし、戦前。さらには岩崎家が所有していた頃の写真はほとんど残っていません。私が見たことのある中で、もっとも古い六義園の写真となりました。

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