訃報-高田勝さん
北海道の高田勝さんが、お亡くなったという情報をFacebookの情報で知りました。
朝日新聞のデジタル版にも載っていました。
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/HOK201309240007.html
高田さんは、1960年代の日本野鳥の会東京支部を支えた若者の一人。享年68歳とのこと、私が高校生の頃にずんぶんたよりになる大人に見えたのですが、この年になると同年代になっていること気がつきました。
その後、高田さんは根室に風露荘という民宿を建てます。野鳥の宝庫・道東に行って、風露荘に泊まるというのが当時のバードウォッチャーのあこがれでした。往年の高野伸二さん、蒲谷鶴彦さん、薮内正幸さんの定宿としても有名で、運が良ければこれらの有名人と同宿できたのです。私も数回お世話になり、はじめてニシンの刺身をご馳走になったのを覚えています。
最後に泊まったときは、調査で大黒島に行っているとのことで、お会いすることができず。ただ、高田さんのお母さんがいらして、いろいろお話しをうかがうことができました。お母さんもバードウォッチャーで「息子さんの影響ですか?」と聞いたら「私の方が先」とのこと。高田さんの鳥好きは母親譲りであったのです。高田さんの野鳥を見る目、自然へのまなざしが確かなのは母親の影響があったのかと、高田さんの秘密を垣間見た思いでした。
高田さんは、道東の自然を紹介するエッセイを発表し『ニムオロ原野の片隅から』(1979年・福音館書店 )は、各界から高い評価を受けました。鳥業界から広く世間一般に情報を発信する数少ない一人となります。個人的なことを言えば、野鳥に関する文章で食べて行けそうと、私が思ったのは高田さんの活動があってからこそ。私が、今こうして活動しているのも少なからず高田さんのおかげです。
高田勝さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
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私は高田さんの『ニムオロ原野の片隅から』を16才のときに読んだのですが、読み終えた瞬間に北海道の牧場で働くことを決意し、高校を中退して北海道へ渡りました。
人生は色々な出会いや体験の連鎖で変化していきますが、一冊の本によっても大きく左右されることを高田さんの訃報を聞いて、あらためて再認識しています。
あの本を読まなかったら、また全然別の人生になっていただろうと思います。
高田さんには一度も会ったことがありません。
いつか高田さんにお会いできたら、『ニムオロ原野の片隅から』は私の人生に大きな影響を与えてくれたという報告と感謝を伝えたいと思っていましたが、叶わなくなってしまって残念です。
心からご冥福をお祈りいたします。
投稿: S木 | 2013年9月26日 (木) 01時09分
S木様
同じように高田さんは、周はじめさんの本の影響を受けたと思います。当時、本を読んで北海道にあこがれても、実際に渡道した人はわずか。決断力と勇気には、感服いたします。S木も同じです。
でも最近、1冊の本が人生を変える、影響を与えるという話が少なくなりましたね。良い本がない、本を読まなくなったという、負のスパイラルなのでしょう。
投稿: まつ | 2013年9月27日 (金) 08時27分
まつさん、
高田さんの訃報、たいへん驚いております。
アニマの「動物に会える宿」で、風露荘に薮内さんの大きなオオワシの絵があることを知り、私にとって憧れの宿となりました。
学生の時分に滞在する機会に恵まれ、薮内さんの絵を拝見することができ、とても感激したことを昨日のことのように覚えています。
道東のすばらしさを発信され、これからはいろいろな変化についてのお話をお聞きしたいと思っていただけに、68歳というご年齢にまだ早いという気持ちを拭えません。
ご冥福を心からお祈り致します。
投稿: ヒヨ吉 | 2013年9月28日 (土) 21時38分
ヒヨ吉様
考えてみたら、高田さんに最後に言葉を交わしたのは、薮内正幸さんのお葬式だったかもしれません。
ワシの絵のまだ無い時、その後ワシの絵があるのを見ていますね。
投稿: まつ | 2013年9月29日 (日) 09時00分
高田勝さんの、突然の訃報に驚いています。勝さんが大学を卒業されて最初に就職試験を受けられたのが仙台の地方新聞社「河北新報」でした。そのとき社の方針として仙台一高卒業生以外は採用しないといわれて気を落としていました。なぜ東京から河北新報社を臨んだか。それは1963年から仙台市郊外の蒲生干潟にシギ・チドリの珍鳥が毎年のように飛来し、その都度ご両親と高野伸二ご夫妻が蒲生干潟を訪れていました。
ご両親が帰宅されてから蒲生干潟での楽しいお話を聞いていたことからご自身も何度か蒲生干潟を訪れていました。そして珍鳥などがたくさん観察される仙台周辺に憧れて、仙台に就職したいと思ったに違いありません。その後広告会社に就職して、野鳥の入ったCM制作に携わっていました。「周はじめ」さんの作品にも憧れて、道東に移住し「風露荘」を開設されて自然を愛でながら野鳥と共に今日まで頑張ってきたようです。まだ高齢者の域にも入っていないで天空を駆け巡る鳥になったとは残念なことです。安らかにお休みください。ご冥福をお祈りします。
投稿: mistukado | 2013年9月30日 (月) 14時15分
高田勝さんのご冥福をお祈りするとともに、謹んでお知らせいたします。
葬儀はご遺族の意向で親しい方だけで9月24日に済まされましたが、
お別れの会が下記のように予定されております。
記
■日時 平成25年10月17日(木) 18時~19時
■会場 ねむろ市民斎場
〒087-0022 北海道根室市昭和町2-109
TEL:0153-29-5555
FAX:0153-29-5511
■世話人 日本野鳥の会根室支部
根室ワイズユースの会
投稿: まつ | 2013年10月 4日 (金) 09時28分