日本で初めてのオオコノハズクの録音-「ミミズクのポウ助」から
『全集日本野鳥記1』(1985・講談社)を入手して、崎川範行さんのオオコノハズクの飼育記録などをていねいに読むと、いろいろ面白いことがわかりました。たとえば、オオコノハズクを飼うことができたのは、アメリカのゼネラル・モーター製の電気冷蔵庫が20年前からあったおかげと書いています。餌にしていた生肉やソーセージの保存することができたからです。戦前から電気冷蔵庫がある家があったのですね。崎川家が、かなり裕福であったことがわかります。
報告のなかで、2回テレビの取材を受け視聴しようとしています。飼い始めた1957年はまだTVが一般家庭に普及していない頃で、1959年の皇太子のご成婚や1964年の東京オリンピックを契機にTVが爆発的に普及し始めます。飼育後期が、これと重なりますが、やはり一般家庭ではまだTVが珍しかった時代です。
いずれも1960年代の時代を彷彿させ、私の世代には懐かしいことがらです。今の人には映画『三丁目の夕日』の世界といえば、想像していただけるでしょうか。
それにもまして、中西悟堂からは「オオコノハズクはどこにでもいくらでもいる鳥だとのこと。東京都内でも珍しく何ともない。ただ形も小さく、声も低いので人目に付かないまでのこと」だと言われます。オオコノハズクも、サンコウチョウ、サンショウクイ、コサメビタキと言ったかつては多かったけれど激減した身近な鳥のひとつだったことがわかります。武蔵野の雑木林を代表する里山の鳥だったのです。今では、オオコノハズクの繁殖地はコノハズクの領域と同じとなり、出会いはきわめて少なくなりました。当時は、里山はオオコノハズク、奥山にはコノハズクと生息環境をわかち合っていたことになります。
全集に収録されている「私の鳥類学」には、崎川さんがどうやって鳥の声を学んだか書かれています。当時、野鳥のレコードは2、3点しか発売されていません。そのため、野鳥の声を覚えるために、カスミ網で捕らえられた野鳥を小鳥屋から買ってきて、鳴かせるという方法をとります。そして、鳴き声を覚えると放してやるのです。今となっては物議をかもす行為ですが、お金と手間のかかる勉強法です。
ということで、崎川さんはこのオオコノハズクの鳴き声を録音しようと何度か試みます。
当時のレコーダーは、オープンリールしかありません。蒲谷鶴彦先生は、この時代はソニーのEM-1というゼンマイ式のレコーダーを使っています。ソニーが真空管方式のTC-211を発売するのは、1960年代に入ってからです。おそらく、冷蔵庫もアメリカ製を使っていた崎川さんのことですから、電源が取れる家のなか使っているのでアメリカ製のウエブスターあたりではないかと推測いたします。
実は、ラジオの取材やTVの取材では、思うようにオオコノハズクが鳴いてくれず、苦労をします。ところが、偶然にも録音成功は成功、そのいきさつです。
「私が不精をして、原稿を書く代わりにテープレコーダーに吹き込んでいたときのことだった。たまたまポウ助の傍で録音をしていたのだか、その時突然彼がポッ、ポッと鳩時計を鳴いたようである。私は咄嗟に喋るのを止めたから、彼の声だけがうまくテープに入ることになった。このテープは日本にたった一つのオオコノハズクの声の録音であろうと、私は自慢しているのである。」たしかに、当時の日本で唯一、最初の録音といえるでしょう。
そして、もう一度、録音のチャンスが訪れます。ただ鳴いてしばらくして、このオオコノハズクはお亡くなりになります。死の直前の一鳴きを録音したことになります。
今でもこの音源は、崎川家に残っているのでしょうか。ぜひ聞いてみたいものです。
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