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2014年8月31日 (日)

デジスコ通信に投稿しました-野鳥と戦う人たちって

 友人や知人に農業に従事している人がいます。彼らの仕事の何割かかが野鳥たちのとの戦いです。その体験談を聞くと頭が下がります。
 しかし、仕事ではなくバードウォッチングや野鳥写真を趣味にしている人たちのなかにも、なぜか野鳥と戦っている人がいます。鳥を見ながら話をしたり、ブログやFacebookの書き込みを読むと、どうかんがえても野鳥と戦っているとしか思えない言動を目にします。野鳥への思いや野鳥とのつきあい方が、言葉のはしばしに表れてしまう怖さがあります。
 こうした人たちには、もちろん頭はさがりませんし、同情もしません。
 そんな話を、デジスコドットコムのメールマガジン、デジスコ通信に投稿しました。
 下記のURLで読むことができます。
 http://www.digisco.com/mm/dt_80/toku1.htm

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コメント

私自身は「攻める」等の言葉は、暴力的な印象があり、嫌で使わないようにしているとは思うと言う、本題とはちょっとずれますね(^_^;)
でも「野鳥に敬意」というのは、考えさせられ、我が身を振り返ってしまいました(^_^;)

いつも読ませていただいておりますが、コメントを投稿するのは初めてです。
このメールマガジンの記事には全く同感です。私もブログで同じことを書いたことがあります。
URLはその私の記事です。双眼鏡を持たないバードフォトグラファーについて、松田さんの以前のコメントも引用させていただきました。
「リベンジ」だけでなく、「参戦した」とか「スクランブル発進した」とか無神経な言葉を使う人が多いです。
「今日のカワセミは芸が少なかった」という言い方にも違和感を感じます。

なまけ者鳥見人様
 いつもありがとうございます。言葉のはしばしに思いや偏見が出るものだと思います。愛情に満ちあふれた感情をお持ちの方は、それだけに豊かな表現をしてくれると思います。

fagus06様
 はじめまして。ブログを拝見させていただきました。私とは初めてとは思えない、同じ感性をお持ちで嬉しく思いました。
 こういう意見というのは、私だけで単なるうるさいオヤジに思われないかという不安があります。賛同者が、いらしてこれまた嬉しい限りです。

松田様

 こんばんは。私自身は鳥との出合いは縁だと
思っているので、そういう言葉は使いません。
 あと、「今日のコは愛想がなかった。」とか、野生の
鳥に愛想を求める人達も不思議に思います。
 余談ですが、以前、松田様が書かれてた「鳥さん」も
気になって気になって仕方がないです。
「あのコ」とか「このコ」などと呼んでる人にも違和感が
あります。

piyoco様
 いつもありがとうございます。
 私も鳥との出会いは一期一会の縁がと思っております。これに加えて、知識と経験で、ほんの少しは高めることはできると思っています。
 「鳥さん」などは、まわりにあまりにも多いので、苦言を言ったら友だちがいなくなってしまいそうなほどです。困っています。

松田様

 すみません。全く説明が足りていませんでした。
 リベンジだの攻めるだのと鳥と戦う言葉を使う一方で
「鳥さん」「このコ」などの可愛らしい言葉を多用したり、
「芸がない」「愛想がない」等、人間本位で考えられてて
何だかとても違和感を覚えるのです。
 特にカメラマンさん達にとっては、満足のいく写真が
撮れたり、人に自慢できる写真が撮れればいいだけの
単なる被写体に過ぎないのでしょうか・・・。
 そうだとしたら、昔、離島でキクイタダキが大陸に
渡るために必死に採食していて、こんな小さな体で
日本海を渡るのかと思うと、その気高さに胸が熱く
なった私は悲しい気持ちでいっぱいです。

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