幻の雑誌『四季と自然』
昨日は、日本野鳥の会の理事懇談会で午後1時から8時まで、みっちりと打ち合わせでした。
少し早めに行って、気になっていることを調べました。日本野鳥の会は今年80周年です。そのため、歴史に興味を持って調べています。ポイントは、戦後にどのように復活していったのかです。戦後間もない頃の記録は、意外と少ないのです。私自身、終戦後5年目に生まれています。両親からは、戦後5年でも食べるのにたいへんだった話をたくさん聞いてます。しかし、日本野鳥の会の活動は、戦後1年目で始まっているのです。今の時代ならば理解できますが、野鳥は食べるもの、飼うものという風潮が蔓延する時代に、食べるものにも苦労する時代に野鳥を観察する趣味を継続した先人がいたのです。今の日本野鳥の会や私があるのは、彼らのおかげだと思っています。今ならまだ間に合うつもりで、資料を収集しているのです。
終戦直後、『野鳥』誌の発行の前に幻の雑誌があったのをご存知でしょうか。幻の雑誌のタイトルは『自然と四季』です。第1号は昭和21年5月25日発行となっていますから、終戦後、わずか9ヶ月で発行されたことになります。準備があるはずですから、戦争が終わっら待ってましたとばかりに作業が始まったと言っても過言ではないでしょう。
『四季と自然』の表紙です。中西悟堂編集と銘打っています。
『自然と四季』は、隔月に発行し『野鳥』誌を季刊で、4、7、10、1月に発行する予定でスタートします。創刊号の判型はA5版とやや大きく、創刊号は24ページです。当時のことですから紙質は悪く、日本野鳥の会の蔵書もそっと開かないとやぶれそうです。
しかし、『自然と四季』は、創刊号のあとは2、3号、4、5号を合併号として発行し、わずか1年で取りやめとなり『野鳥』を隔月で発行することになります。当然といえば、当然のことなのですが、日本野鳥の会の雑誌のタイトルは『野鳥』以外、考えられません。
戦後の『野鳥』誌は、昭和22年(1947年)より、発行されます。トップページを飾るのは内田清之介博士の『野鳥の再発足に際して』の巻頭言です。後記には、中西悟堂から今後は『野鳥』で行くと書かれています。
ほぼ同時の昭和22年(1947年)4月に、東京支部が発足します。なんと東京支部は、戦前にはなかったです。東京支部の発足には、紆余曲折があったと聞いています。悟堂は、お膝元の東京に組織ができて会が割れるのを恐れたようなのです。そのため、支部長を悟堂にすることで、創立にこぎつけます。さらに、文化人尊重の傾向のあるなかで、科学的な研究をしたい若者たちが中心となって、研究部を作ります。東京支部は、翌年の1948年に『AVES』という会報を発行することから活動が始まります。ガリ刷りなのですが、内容は学会誌のような構成です。これも幻の会報です。これには、高野伸二、蒲谷鶴彦、浦本昌紀、岡田泰明、中坪禮治、宇田川龍男といった昭和に名を残す面々が、幹事をやったり原稿を書いたりしてもり立てます。
この当時、連絡が取れた会員は、数10名とも100余名とも伝えられています。そのなかで、いったい経済的な問題をどのように解決していたのでしょうか。喰うわ喰わずのなかで夢も求めて当時の若者たちが、活動していたことが想像できます。
この体質が今も変わらないのは、良いのか悪いのか。
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