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2015年8月14日 (金)

「谷中の自然を見る 本草学者・岩崎灌園の世界」

  今日は、台東区中央図書館で行われている「谷中の自然を見る 本草学者・岩崎灌園の世界」展へ。上野駅からコミュティバス・めぐりんに乗って行くと、御徒町や浅草橋、鳥越神社、合羽橋、浅草寿町と、ちょうど江戸の下町巡りの感じで図書館のある生涯学習センターに着きました。
 展示は「えっ、これだけ・・・」という感じのコーナー展示で、よほど興味のある方しかこないのではと思うほど。私としては、拙著『江戸のバードウォッチング』が目立つところに麗々しく展示してあったことで、まず満足。灌園の著作であり江戸の生物に関してのネタ本である『武江産物誌』のオリジナルが見られたことも行った意味がありました。
 解説を読むと面白いことがわかりました。灌園は、シーボルトに会っているのです。このとき、同席したのが福岡藩10代藩主・黒田斎清(なりきよ)、大名です。ちなみに、14代が鳥類学者の黒田長禮、そして黒田長久と続きます。黒田家が、日本の生物学の礎と発展に寄与したきっかけが斎清と言われています。
 一方、灌園の身分は直参の徒(かち)の子で、御徒町に住んでいました。徒は下級の武士、その徒が住んだということから御徒町の由来にもなっています。ですから、当時は大名と同席することなどできないはずなのです。それにも関わらず、斎清が席をともにしたのは灌園の本草学の知識を買っていたことになるではと思いました。昭和初期の鳥業界でも、貴族と平民が隔たり無く交流したことを考えますと、学問の世界では身分を超えて情報を交換、共有することに専念したのではないかと想像してしまいます。
 さらに、灌園は水谷禽譜の水谷豊文(尾張藩)、灌園が植物採集に行った日光のガイドブック『日光山志』を描いた画家の谷文晁とも交流したとあります。当時は学会はないしインターネットもないなかで、どのように情報を交流し切磋琢磨しあったのか興味は尽きません。
 薬として価値から植物を見た本草学から植物を科学的に見る植物学へと変化していく歴史の狭間に、灌園がいたことがわかりました。この流れが、近代の牧野富太郎につながって行き、日本の植物学が確立して行くことになります。
 図書館の当展示についてのURLです。
https://www.taitocity.net/tai-lib/contents/news/20150526_kyodo-kikakkuten_iwasakikannenn.html

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