柴田敏隆さんを語る会
本日は、去年12月にお亡くなりになった「柴田敏隆さんを語る会」でした。私は発起人の末席を汚し、せめて柴田先生の恩返しと受付のお手伝いをいたしました。参加者は160名を超え、会場は開園前から盛り上がるという盛況でした。
柴田先生は、私が学生時代からお付き合いさせていただいておりました。また、日本鳥類保護連盟時代には『私たちの自然』の編集委員として、たいへんお世話になりました。若い頃「野鳥を守らなくてはならない、自然保護が必要」と感じていたのですが、人に説明できず、それを伝えることができないもどかしさがありました。要するに、理論的に理解するすべを知らなかったです。感情と思いだけでは、説得力ある説明はできません。それを、理論的に説明してくれたのが、柴田先生と金田平先生で、当時の若者の理論的なよりどころ、”師”であったわけです。
また、当時の日本鳥類保護連盟は、山階芳麿先生の元で働くのを名誉と思い、連盟は環境庁(当時)の下請けという感覚の専務理事と事務局長がいました。そのため、環境庁に陳情書を出すなどなど、もってのほかというムードでした。日本野鳥の会や日本自然保護協会の若い職員が熱心に活動できるなかで、同じ世代の者としてもどかしさを感じていました。それを打開してくれたのは、編集会議での柴田先生でした。論説欄や記事に関連した問題を取り上げることで、合わせて陳情を出すべきと言っていただければ、私は先生の発言を根拠に活動できたのです。おかげで、どんなに助かったことか、感謝の言葉がありません。
その後、柴田先生は日本野鳥の会の『野鳥』誌の編集を中心に運営に関わり、さらに日本自然保護協会への活動の拠点を移されました。いわば、自然保護業界で垣根のない活動をされたことになります。そのため、多くの方がその教えを受け、影響を受けたことになります。今日、参加された皆さんの顔ぶれを見て、先生の考え方が連綿と伝わっていることを確信いたしました。
考えてみると、私がお世話になった頃の先生のお年は40から50才代。現在私は、当時の先生のお年を4半世紀超える齢を重ねましたが、未だ先生の領域に達していないことに気がつきました。
柴田敏隆先生、ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
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