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2017年10月 8日 (日)

日本で最初の野鳥録音・その3

 実は、猪川さんが生放送をする以前にも、鳥に関するラジオ放送がありました。鳥の声をどうやって流したのか興味のあるところです。当時、鳥に関する唯一の雑誌であった日本鳥学会の1926年の『鳥』に『雑報・鳥に関するラヂオ放送』という小さな記事が載っています。無記名なので誰が書いたのかわかりませんが、当時を知る貴重な記事です。
 短い報告ですので、全文を引用すると『去る3月30日 東京放送局で鷹司公爵(注:鷹司信輔のこと)「飛行力を失った鳥とその運命」、黒田博士(注:黒田長禮のこと)「富士の鳥」、高田兵太郎老人ホトトギス雌雄、カッコウ雌雄、カラス親子、サンコウチョウ、トラツグミ、オオルリ、アオバト、キジバト、イカルなど野鳥14種、口笛と笛で実演』とあります。なんと、口笛と笛で鳥の声を真似して放送したのです。
 ちなみに高田兵太郎老人は、静岡県須走在住。くだんの須走探鳥会にも参加し、悟堂をはじめ北原白秋の前で鳥の物まねを披露。その見事さに皆を唸らせたという人物です。
 当時の新進気鋭の鳥類学者たちによって、新しいラジオという媒体を使い野鳥の知識の普及をしようとしたことになります。そのためにわざわざ須走から高田兵太郎を呼ぶというのは、当時としては凄い企画です。
 さて、本物の鳥の声が最初に電波に乗ったのは、昭和8(1933)年になります。猪川さんによる戸隠からの生中継です。
 たとえば、内田清之助が『野鳥礼讃』(巣林書房・1935)に「昭和8年5月、信州戸隠山で郭公其の他の鳴声を放送した。非常に見事に入ったし、且つは非常に珍しかったので、好評嘖々たるものがあった。これ偏えに、野鳥の会々員猪川珹氏が、当時の長野放送局長だったお陰である」という一文があります。
 また、猪川さんの『野鳥襍記』に寄せた悟堂の序文には「昭和7年、猪川氏は戸隠山に参詣、御神楽や宣澄踊を見られたが、この折りに、中社付近の林中に囀る諸鳥の声に恍惚とされた。当時長野放送局長在任の氏の第六感にこの鳥声がピンと来て、全然世の中にことではあったが、翌8年の晩春、これを放送され、画期的な成功を収めた。即ちこの年こそ我国放送史上に一新機軸を出した年であると共に、その後の猪川氏の大奮闘を培う原動力ともなった」とあります。
 これら以外、昭和8年以前に野鳥の声の放送が行われたという記述を見つけることはできませんので、戸隠から生中継が最初の野鳥の放送に間違いないでしょう。では、須走探鳥会は、その翌年となりコノハズクの鳴き声は、どういったいきさつで録音されたものなのでしょうか(つづく)。

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