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2017年10月

2017年10月14日 (土)

日本で最初の野鳥録音・その4

 1934年に、須走探鳥会でコノハズクのレコードを聴いた件です。
 まず、1930年代はポリドール、キングレコード、ビクターといったレコード会社が創立され、レコードが富裕層に普及していった頃と思ってよろしいかと思います。そのため、米山館にはレコードプレイヤーがあったのでしょう。当時のことですから、ハンドルでゼンマイを巻き、音は大きなラッパようなスピーカーから聞こえるタイプだったかもしれません。
 下記のNHKのサイトに生態放送の黎明期の話が載っています。なかなかおもしろいエピソードですので、まずはご一読をおすすめします。
 http://www.nhk.or.jp/bunken/research/history/pdf/20160401_3.pdf
 これによると、猪川さんは戸隠からの野鳥の生中継が成功したため、翌年は迦葉山からコノハズクの生中継を試みたことになります。しかし、1934年6月26、27日の生中継は、天候がわざわいしコノハズクが鳴かず、失敗したことになっています。加えて、須走探鳥会は6月2、3日に開催されています。探鳥会は、失敗した放送の20日以上前のことになりますから、放送とは関係のない音源をレコードにして持参したことがわかります。
 実は、私もTさんの案内で迦葉山にコノハズク狙いで、録音に行ったことがあります。1回目は2007年6月2、3日、なんと須走探鳥会と同じ日でした。2回目は、2009年6月18日ですが、いずれも天候には恵まれたもののコノハズクは鳴かず。生中継同様に失敗しています。昭和の初期に比べて、コノハズクの減少は著しいものがありますから、思うように鳴いてくれなかったことになります。
 さて、猪川さんは前年より仏法僧が鳴くという迦葉山に下見に行き、鳴いているのを確認して企画を立てます。当然、生中継の企画が通ったことで、下見を繰り返したと思います。悟堂が「けさ迦葉山で鳴いていたその鳥を、夜に岳麓できけるとは便利な世になったものである。」と言っているのが事実だとすると、6月1日の夜から猪川さん、あるいはスタッフが迦葉山におもむき録音したことになります。
 磁気テープによる録音が一般的になるのは戦後のことで、当時はまだテープによる録音機があったとは思えません。考えられる録音機は、蝋をひいたレコード盤に針を落としての録音です。これも推測ですが、蝋盤をSP盤のレコードにするのは手間も時間もかかります。ですから、蝋盤をそのまま持参したか、当時行われていたラッカーで固定したものを持ってきた可能性があります。
 蝋盤のレコードに加え、当時のマイクの性能などを考えると、皆に聞かせることができるくらいのクオリティの音とするためには、そうとう近くでコノハズクが鳴いてくれないと、無理だと思います。当時の迦葉山、コノハズクがひたすら多かったと想像できます。
 これ以前の野鳥録音の記録らしい記録はみあたりません。須走探鳥会の参加者が聞いたコノハズクの声は、日本で初めての野鳥録音かもしれません。記念すべき須走探鳥会は、日本で最初の野鳥録音が披露された歴史的な出来事であったのでした。
  S木♂さん、ネタのヒントありがとうございます。おかげさまで、黎明期の野鳥録音事情が、わかりました(終了)。

注記1:猪川さんによるコノハズクの生中継は、翌年の鳳来寺山から行われ成功します。この声を聞いて飼育されていたコノハズクが反応し騒動のきっかけとなります。ちなみに、このときの録音の音声はレコードにされて関係者に配られたようです。このレコードの一部は、笠井湧二の『仏法僧の不思議』(幻冬舎ルネッサンス・2006)に添付されているCDに収録され、今でも聞くことが可能です。
注記2:昭和9(1934)年6月2、3日に開かれた須走探鳥会を”初めての探鳥会”というのは、やや疑問です。探鳥会を指導するリーダーがいて複数の参加者を集め野鳥を観察するということでくくれば、同様の催しはそれ以前にも開催されています。”日本野鳥の会が探鳥会と銘打った初めてのイベント”が正しいかなと言ったところです。

2017年10月 8日 (日)

日本で最初の野鳥録音・その3

 実は、猪川さんが生放送をする以前にも、鳥に関するラジオ放送がありました。鳥の声をどうやって流したのか興味のあるところです。当時、鳥に関する唯一の雑誌であった日本鳥学会の1926年の『鳥』に『雑報・鳥に関するラヂオ放送』という小さな記事が載っています。無記名なので誰が書いたのかわかりませんが、当時を知る貴重な記事です。
 短い報告ですので、全文を引用すると『去る3月30日 東京放送局で鷹司公爵(注:鷹司信輔のこと)「飛行力を失った鳥とその運命」、黒田博士(注:黒田長禮のこと)「富士の鳥」、高田兵太郎老人ホトトギス雌雄、カッコウ雌雄、カラス親子、サンコウチョウ、トラツグミ、オオルリ、アオバト、キジバト、イカルなど野鳥14種、口笛と笛で実演』とあります。なんと、口笛と笛で鳥の声を真似して放送したのです。
 ちなみに高田兵太郎老人は、静岡県須走在住。くだんの須走探鳥会にも参加し、悟堂をはじめ北原白秋の前で鳥の物まねを披露。その見事さに皆を唸らせたという人物です。
 当時の新進気鋭の鳥類学者たちによって、新しいラジオという媒体を使い野鳥の知識の普及をしようとしたことになります。そのためにわざわざ須走から高田兵太郎を呼ぶというのは、当時としては凄い企画です。
 さて、本物の鳥の声が最初に電波に乗ったのは、昭和8(1933)年になります。猪川さんによる戸隠からの生中継です。
 たとえば、内田清之助が『野鳥礼讃』(巣林書房・1935)に「昭和8年5月、信州戸隠山で郭公其の他の鳴声を放送した。非常に見事に入ったし、且つは非常に珍しかったので、好評嘖々たるものがあった。これ偏えに、野鳥の会々員猪川珹氏が、当時の長野放送局長だったお陰である」という一文があります。
 また、猪川さんの『野鳥襍記』に寄せた悟堂の序文には「昭和7年、猪川氏は戸隠山に参詣、御神楽や宣澄踊を見られたが、この折りに、中社付近の林中に囀る諸鳥の声に恍惚とされた。当時長野放送局長在任の氏の第六感にこの鳥声がピンと来て、全然世の中にことではあったが、翌8年の晩春、これを放送され、画期的な成功を収めた。即ちこの年こそ我国放送史上に一新機軸を出した年であると共に、その後の猪川氏の大奮闘を培う原動力ともなった」とあります。
 これら以外、昭和8年以前に野鳥の声の放送が行われたという記述を見つけることはできませんので、戸隠から生中継が最初の野鳥の放送に間違いないでしょう。では、須走探鳥会は、その翌年となりコノハズクの鳴き声は、どういったいきさつで録音されたものなのでしょうか(つづく)。

2017年10月 3日 (火)

日本で最初の野鳥録音・その2

 悟堂さんは、同じことを野鳥誌から単行本まで何度も書いています。そのたびに微妙に言っていることが変わることがあります。そのため、初出の『野鳥と共に』(巣林書房・1935)から引用します。
 須走探鳥会のために、多くの参加者は東京駅に集合します。そのなかに「猪川前橋放送局長には初対面であった。早暁上州沼田の迦葉山で録音した声の仏法僧を、大変な早業で午前中に前橋に取寄せ、それを携えて午後1時までに東京駅に馳せつけられたのだそうである。須走へ持参して、宿の夜のつれづれに一行にきかせたいという御厚志である。」ということで、コノハズクのレコードを持ってきたのは猪川さんでした。なお、当時はまだブッポウソウが「ブッポウソウ」と鳴くと思われていたので仏法僧と表記されていますが、コノハズクのことになります。
 米山館とホテルに泊まる人がいたので「ではその前にというので、すぐに茶菓をかこんで、猪川氏持参のレコードの仏法僧を聴く。円盤が廻ると、ブッポウ、ブッポウと、かすかに、哀調を帯びて、その鳥が鳴く。けさ迦葉山で鳴いていたその鳥を、夜に岳麓できけるとは便利な世になったものである。目をつぶってその声を傾聴していると、静寂な山の鳥の姿と共に、流動してやまぬ時世の姿が一個のモンスタアのように眼底を過ぎてゆくのを覚える。」と、間違いなくコノハズクの鳴き声のレコードを皆で聞いたことになります。
 まず、猪川前橋放送局長は、猪川珹さんです。猪川さんは、須走探鳥会の写真にも写っています。後列の柳田國男の長女千枝子と画家の金澤秀之助の間から控えめに顔を出している丸いサングラスをかけた方です。多くの人がスーツにネクタイ姿、なかには和装の人もいます。猪川さんも洋装でマフラーをしているように見えます。また当時、サングラスをかけるのは、かなりおしゃれだったのではないでしょうか。
 猪川さんは、日本の野鳥史上、始めて野鳥の声を電波に乗せた人物として名を残しています。姓の猪川は”いかわ”、あるいは”いがわ”と読むことは間違いないでしょう。問題は名のほうで、コンピュータによっては名の漢字が表示されず?マーク、あるいは”白い四角”になっているかもしれません。unicodeの73F9、王編につくりが成という馴染みのない漢字です。読みは”せい”ですが何と読んでいたか不明です。ネットの情報では、生年は1886年、没年は1960年、74歳でお亡くなりになったことになります。著書は『野鳥襍記』(彰考書院・1956)があるのみ。しかし、自然番組の原点を探っていくと、この猪川さんの名前と仕事に行き着きます。そして、彼が企画し放送したコノハズクの声に飼育されていたコノハズクが反応して、「ブッポウソウ」と鳴く鳥はコノハズクと解明されるきっかけとなります。

Yatyosyuuki170922

 『野鳥襍記』には中西悟堂が序を寄せいてます。それによると猪川さんは、長野放送局長、前橋放送局長、仙台放送部長、京都放送局長を歴任したとなっています。どこの放送局か書いてありません。しかし、考えてみれば昭和25(1950)年に電波法が改正され民間放送が開始される以前の話、日本で唯一の放送局であったNHK(日本放送協会)ということになります。ただし、当時はそれぞれの地方の放送局名で呼んでいたようです。
 日本で最初のラジオ放送が行われたのは、大正14(1925)年3月22日。このときの呼びかけの「JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」が第一声。ということは、猪川さんが活躍したのはラジオ放送が始まってわずか10年たらず、このときにすでに局長、部長という要職に着いていたことになり、かなりのやり手であったことがわかります(つづく)。

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