日本で最初の野鳥録音・その4
1934年に、須走探鳥会でコノハズクのレコードを聴いた件です。
まず、1930年代はポリドール、キングレコード、ビクターといったレコード会社が創立され、レコードが富裕層に普及していった頃と思ってよろしいかと思います。そのため、米山館にはレコードプレイヤーがあったのでしょう。当時のことですから、ハンドルでゼンマイを巻き、音は大きなラッパようなスピーカーから聞こえるタイプだったかもしれません。
下記のNHKのサイトに生態放送の黎明期の話が載っています。なかなかおもしろいエピソードですので、まずはご一読をおすすめします。
http://www.nhk.or.jp/bunken/research/history/pdf/20160401_3.pdf
これによると、猪川さんは戸隠からの野鳥の生中継が成功したため、翌年は迦葉山からコノハズクの生中継を試みたことになります。しかし、1934年6月26、27日の生中継は、天候がわざわいしコノハズクが鳴かず、失敗したことになっています。加えて、須走探鳥会は6月2、3日に開催されています。探鳥会は、失敗した放送の20日以上前のことになりますから、放送とは関係のない音源をレコードにして持参したことがわかります。
実は、私もTさんの案内で迦葉山にコノハズク狙いで、録音に行ったことがあります。1回目は2007年6月2、3日、なんと須走探鳥会と同じ日でした。2回目は、2009年6月18日ですが、いずれも天候には恵まれたもののコノハズクは鳴かず。生中継同様に失敗しています。昭和の初期に比べて、コノハズクの減少は著しいものがありますから、思うように鳴いてくれなかったことになります。
さて、猪川さんは前年より仏法僧が鳴くという迦葉山に下見に行き、鳴いているのを確認して企画を立てます。当然、生中継の企画が通ったことで、下見を繰り返したと思います。悟堂が「けさ迦葉山で鳴いていたその鳥を、夜に岳麓できけるとは便利な世になったものである。」と言っているのが事実だとすると、6月1日の夜から猪川さん、あるいはスタッフが迦葉山におもむき録音したことになります。
磁気テープによる録音が一般的になるのは戦後のことで、当時はまだテープによる録音機があったとは思えません。考えられる録音機は、蝋をひいたレコード盤に針を落としての録音です。これも推測ですが、蝋盤をSP盤のレコードにするのは手間も時間もかかります。ですから、蝋盤をそのまま持参したか、当時行われていたラッカーで固定したものを持ってきた可能性があります。
蝋盤のレコードに加え、当時のマイクの性能などを考えると、皆に聞かせることができるくらいのクオリティの音とするためには、そうとう近くでコノハズクが鳴いてくれないと、無理だと思います。当時の迦葉山、コノハズクがひたすら多かったと想像できます。
これ以前の野鳥録音の記録らしい記録はみあたりません。須走探鳥会の参加者が聞いたコノハズクの声は、日本で初めての野鳥録音かもしれません。記念すべき須走探鳥会は、日本で最初の野鳥録音が披露された歴史的な出来事であったのでした。
S木♂さん、ネタのヒントありがとうございます。おかげさまで、黎明期の野鳥録音事情が、わかりました(終了)。
注記1:猪川さんによるコノハズクの生中継は、翌年の鳳来寺山から行われ成功します。この声を聞いて飼育されていたコノハズクが反応し騒動のきっかけとなります。ちなみに、このときの録音の音声はレコードにされて関係者に配られたようです。このレコードの一部は、笠井湧二の『仏法僧の不思議』(幻冬舎ルネッサンス・2006)に添付されているCDに収録され、今でも聞くことが可能です。
注記2:昭和9(1934)年6月2、3日に開かれた須走探鳥会を”初めての探鳥会”というのは、やや疑問です。探鳥会を指導するリーダーがいて複数の参加者を集め野鳥を観察するということでくくれば、同様の催しはそれ以前にも開催されています。”日本野鳥の会が探鳥会と銘打った初めてのイベント”が正しいかなと言ったところです。
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