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2019年10月28日 (月)

日光の鳥の古記録-ヤマゲラ

 ついで、日本では北海道にしかいないはずのヤマゲラです。
 岸田によると、ヤマゲラの記録は「籾山徳太郎氏は、1929(昭和4年)11月日光町七里に於いて採集の雌を所存せられることを発表」とあり、「鳥」に論文として報告されていました。
 籾山徳太郎 1932 日本産鳥類の新産地報告一束 7 巻 33-34 号 p301-328
 タイトル通り一束で、小笠原から済州島まで採集された標本からの記録が28ページにわたり列記されているだけものです。ヤマゲラの項も岸田の報告以上のものはなく、名前と採集地と採集月までで、いきさつなどの記述はありませんでした。
 採集地の七里は、JR日光駅や東武日光駅の手前あたりの地名です。かつては、雑木林がひろがっていたと思います。写真は現在の七里、宅地造成され瀟洒な家が並んでいます。
20191117_151136
 1929年11月には、意味があると思います。実は、この1ヶ月前に東武日光駅が開業しているのです。国鉄日光線の開通は古く明治時代ですが、東武も開通したことで日光が身近になったことになります。新し物好きの籾山さんが、翌月に日光に出向いた可能性があります。そして、駅の周辺で採集をしたのでしょう。
 以前、黒田長久先生から、私が日光に通っていることを知ると、日光にヤマゲラの記録があると教えてもらったことがあります。さらに、その標本は山階鳥類研究所にあるのを見たと言われてびっくり。当時は、まだデータベースのない頃で、先生自身ご興味があって調べたのだと思います。
 現在では、データベースで存在を確認できます。
 https://decochan.net/index.php?p=2&o=ssp&id=24354
 日時や地名が籾山の論文と一致しています。また、籾山とともに中曽根三四郎が採取人に名を連ねています。
 中曽根は、伝説の剥製師です。松平頼孝氏の専属剥製師として名をはせます。
 松平頼孝は、帝国大学(当時)で飯島魁の教えを受けた初期の1人、小石川植物園の近くに植物園の半分ほどの広さもある屋敷があって、この敷地のなかに標本館や飼育小屋があったと言います。そのお抱えの剥製師ということになります。この標本館には剥製制作室があり、中曽根は住み込みで仕事をしていたようです。
 松平は、1926年破産してしまいます。その後、籾山の仕事をしたとあり、日光のヤマゲラの剥製は松平の破産から3年、籾山との関係が始まった頃と一致するのが、おもしろいです。
 中曽根は、戦前は御徒町に住み上野動物園の依頼で剥製作りをしました。しかし、戦災にあい家屋と標本は焼失。その後、蒲田に移り住みます。また、戦後まもなく籾山も没落し死去してしまいます。森岡弘之博士の話では、駐留米軍のRobert. B. W. Smith軍医大尉の依頼を受けて剥製を作っていたとのこと、剥製師という特殊な仕事ですが、戦中戦後の動乱期をなんとか生き延びたようです。当然、代変わりした中曽根剥製所は今でも蒲田にあり、散歩番組に登場したこともあるそうです。
 いわば、日光のヤマゲラの標本は、松平頼孝の破産を遠因に東武日光線の開通と歴史の偶然があったからもしれません。軽い標本ですが、歴史の重みを感じます。
 岸田の記録は、籾山の記録だけではありません。ご本人も見たと報告しています。
 1931年(昭和6年)4月下旬に「ムジナ窪から半月山あたりの林中」で「雌雄ともに数回目撃」とあります。ムジナ窪は、中禅寺湖の南岸、イタリア大使館跡の先、八丁出島の手前で半月山登山道の入り口の標識があります。ちなみに、籾山の捕獲した七里からは、日光市街地を抜けいろは坂を登らなくてはなら ず、直線で12kmほど離れています。

 Dscn3158
 現在のムジナ窪付近の森です。木の高さと量は、キツツキ類には十分です。最近は、シカの食害で林床が裸地となっています。
 報告では、アオゲラを軽いほうといい、ヤマゲラを重い方といっています。「重い方は赤斑が至って小さかったり全く欠けていたりして居り、また下腹部はよごれた淡い草緑色きりで黒の縞を全く示して居らむ。即ち軽い方が普通のアオゲラで重い方が吾々にとっては珍しいヤマゲラなのであった」と書いています。
 ヤマゲラのほうが小型なのに”重い方”と表現しているのが気になります。また、時期的には巣立ちをしたアオゲラの幼鳥との誤認を疑ってしまいます。しかし、アオゲラの幼鳥は赤みが親より大きいのですが、赤みが小さいかないと言っていることから、やはりヤマゲラなのでしょうか。
 思い出すと、小川の記録に地元に住む荒井萬次郎の口伝記録として「あさぎ色のケラ」というのが出てきますが、これもヤマゲラの可能性があります。
 戦前は、日光には連綿と命をつないだヤマゲラの個体群が生き残っていた可能性があります。
 近年も本州のヤマゲラの記録はあるとされていますが、具体的な日時場所が明記されているものは見つけられませんでした。本州にはヤマゲラはいない、緑色のキツツキがいたらアオゲラだと思い込んでいる可能性もあります。
 ヤマゲラの鳴き声は特有です。これからも、鳴き声に注目している人が見つけてくれるかもしれません。

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