日光の鳥の古記録-小川三紀の見た鳥
『日光の植物と動物』(1936)では、ジューイさんの次に出てくるのが小川三紀さんの報告です。日光の鳥の論文では、日本人初となります。
小川さんについては、山階鳥類研究所のサイトに詳しいので、ご興味のある方はこちらへ。
http://www.yamashina.or.jp/hp/hyohon_tosho/ogawa_minori/m_nenpyo.html
肖像写真を見ると、ジューイさん同様に優男です。厚めの唇と広い額が風格を醸しだしています。彼も32才で亡くなり、ジューイさん同様、短命でした。
小川さんは、オガワコマドリのオガワです。彼は、明治9年(1876年)に静岡に生まれます。そのため、鳥について初期の論文は、静岡や富士山の報告があります。そして、その次が日光です。
この頃の鳥の研究者といったら文久元年(1861年)生まれの飯島魁さんしかいません。それも専門は鳥でなくて海綿ですから、日本で最初の鳥の研究者と言えるでしょう。ちなみに内田清之助が1884年、黒田長禮が1889年、山階芳麿が1900年に生まれています。ですから、小川さんが最初の日光の報告を書いた21才の頃、内田は3才、黒田と山階はまだ生まれてなかったことになります。
また図鑑は、日本で最初の成島譲吉、籾山鈎の『有益鳥類図譜』(1893)しかなく、この本がどれだけ一般的であったか疑問です。また、つぎの飯島魁の『保護鳥図譜』(1898)は、小川さんの日光行き翌年の発行です。加えて当時の保護鳥しか載っていないのですから、図鑑はないに等しい時代です。ただ、双眼鏡は持っていたようで「双眼鏡にて注視するが判明せず」などの記述があります。
最初の論文は、明治30年(1897)10月17日から8日間にわたり日光から足尾にかけての採集旅行です。次が、29才の明治38年(1905)7月1ヶ月間にわたり滞在した記録で、論文は2編に分かれています。
ただ『日光の植物と動物』(1936)では、岸田は記載されている鳥の名前を列記しているだけです。興味深いのは、今はない和名が出てくることです。たとえば、10月の記録では「ミヤマショウビン、ヤマセミ(カワチョウ)、一二紅」、7月の記録では「ゼニトリ、シマゲラ、あさぎ色のケラ、ギンチョウ」が謎です。ゼニトリは、メボソムシクイとわかりますが、これらの鳥たちがどんな文脈で出てくるのか、あるいは解説されているのかで解明できるのではと思いました。ということで、動物学雑誌をネット検索したら、こちらもダウンロードできました。20年前は、東大農学部の図書館に行って調べたのに、なんとも便利な時代になったものです。
論文は、最初のものが14ページ、2編目が17ページ、3編目が13ページもあります。
その前に、一二紅はネット検索して解明しました。ヒレンジャクのことでした。赤い尾羽が12枚あるからとのことでした。ちなみに、キレンジャクは一二黄だそうです。
本文を見ると「日光町の鳥屋に剥製標本として在りたるものは、一二紅、石燕、カワテウ、ミヤマショウビン等」とあり、剥製として販売されているものなので季節は関係ありませんでした。ところで、石燕はイワツバメでしょうが、カワテウ=カワチョウ、ミヤマショウビンは不明です。岸田のいうようにカワチョウがヤマセミならば、ミヤマショウビンはアカショウビンのことでしょうか。たとえば、ヤマショウビンであれば「珍しい」「はじめて見る」とかの形容詞が付いて良いと思うので、消去法でアカショウビンでしょう。
7月の記録のシマゲラなどは「此所に住する荒井萬次郎に此地の鳥況を聞きたるに次の答えを得たり」で出てくる鳥でした。「Pici 4種あり」のあとに「しまげら、あかげら、あおけら、あさぎ色のけら」とかかれています。現在の日光のキツツキ類と対比させるとシマゲラはコゲラ、あさぎ色のケラはアオゲラの雌ではないでしょうか。
さらに荒井さんの話の続きとして「次の鳥類は華厳付近へ出現すると云う」のなかで「ぜにとり(何?)、ぎんちょう(何?)」が出てきました。いずれも「(何?)」と付記されていました。ぜにとりについては、2編目の最後に正誤表がありメボソとなっていました。しかしながら、ぎんちょうは謎のまま。日光地方の方言か、荒井さんのいう通称かもしれません。
日光地方の方言は、断片的に記録していますが、ギンチョウは聞いたことはありません。推測するに、華厳あたりにいる灰色の鳥かなと思いますが、思い当たる鳥はいません。せめて、大きさや尾が長いなどの特徴を聞いておいて欲しかったです。
また、不明だった鳥3種が最後に書かれていました。
「湯本にて夕方度々鳴く小鳥1種」
「菅沼に於て山林中に飛び入たる鳩大の鳥の1種」
「とやの山にて『ツガ』の樹上にて昌に高音を張りたる小鳥1種」
です。ちょっとしたクイズですね。ちなみに「とやの山」は「金田のとや(金澤のとや?)は湯元より北方凡そ1里半許」と書かれています。湯元から北へ向かう道は川俣に向かう山王林道しかなく、6Kmほどいくとかつて西沢金山があり、金の採掘がされていました。このあたりかと思います。誤記も誤伝も含めての推測です。
以下、推測します。
夕方度々鳴く鳥は、マミジロではないでしょうか。小川さんは捕獲していますが、鳴き声はわからなかったかもしれません。
菅沼の林のなかに飛び込んだのは、アオバトかな。
とやの山の鳥は、高音で鳴くからアオジではないかと思います。じつは、この報告にはいても良いはずのアオジが出てこないです。
ついでながら、超大先輩の記録にケチをつけるようで申しわけありませんが、10月の報告のなかに不思議な記録がありました。「(中禅寺湖歌が浜付近にて)森林に凡そ鶫大の鳥にしてその声穏かにジシシシ、ジシシシ、・・・・・・、ジシシシ、ジシシシ」と鳴きつつ飛行くものあり、この調優にして愛すべし是有名なジュウイチならん」という記述です。10月にジュウイチが鳴くのか、その鳴き声が穏やかで調べ優しく聞こえるのかということで別の鳥だと思います。
ジュウイチの鳴き声は、どちらかというとけたたましいというか切羽詰まったような鳴き声に聞こえると思います。まだ、レコードのない時代。鳥の鳴き声についての情報が乏しい頃のこと、いたしかたありません。
では、何かというとこれが難しいです。10月中旬の中禅寺湖のほとりの森で、ツグミくらいの大きさ、木の間を鳴きながら飛び、その声は穏やかで優しく聞こえる鳥です。渡って来たばかりのキレンジャクというのはいかがでしょうか。
2編目の論文の挿絵です。簡素ながら、雰囲気のある絵です。
念のために論文のタイトルを下記しておきます。いずれも、国立国会図書館のサイトで見ることができます。
小川三紀 日光足尾地方に於ける秋季の鳥類 動物学雑誌 12(146):436-439
小川三紀 1905 日光山麓西北方面に於ける夏期の鳥界視察(第1) 動物学雑誌 17(202)250-255
小川三紀 1905 日光山麓西北方面に於ける夏期の鳥界視察(第2) 動物学雑誌 17(203)283-300
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