日光の鳥の古記録-ジューイの報告
台風19号による影響で、東武日光線が不通です。そのため、日光に行けません。せめて、日光の野鳥についての記録を調べて、日光の山々を思い浮かべることにしました。
日光で気になる鳥の記録に出会うとまず調べるのが『日光の植物と動物』(1936)です。昭和11年(1936年)に東照宮が制作しています。昭和初期までの明治以降の記録が整理され、この本の制作に伴い調査が行われています。当時の日光の自然を知る貴重な資料です。
鳥については、岸田久吉が書いています。岸田は、林業試験場の研究者でクモから鳥まで幅広く生き物について研究し論文を発表しています。
『日光の植物と動物』の鳥類の研究史で、最初に紹介されているのは、ジューイの論文です。「ジューイ氏が明治15年(1822年)8月下旬から9月上旬にかけて中宮寺から湯元に亙って採集と観察(中略)日光の鳥として29種をあげている」とあります。およそ200年前の記録です。ただ、この29種の種名が書かれていないため、当時のようすがわかりません。
書かれている報告は、アメリカの博物館の論文集で19世紀のものです。まさか、見ることはできないだろうと思って検索したら、あっというまにダウンロードできました。これで、種名がわかります。
報告はなんと46ページにわたる長文でした。ジューイさん(Pierre Louis Jouy・1856年~1894年)は、アメリカ、ニューヨーク生まれ。国立自然史博物館の標本採集のために日本と中国に派遣されました。ステイネガーが日本の鳥の学名を付けたのは、ジューイさんの採集標本からのようで、リュウキュウカラスバトの学名Columba jouyi(Stejneger, 1887)に献名されています。
ジューイさんの肖像写真です。
けっこうイケメンというか優男です。当時の日本は、未開の地です。そこに単身派遣されて、ひたすら動物を採集する仕事をしたのですから、もっとたくましいイメージでいました。ただ、38才の若さで亡くなっています。
ジューイさんは、1882年6月23日に横浜から入国し、富士山、日光、箱根、信州・立山、札幌などで採集をし、その後、朝鮮に行っています。
報告は、鳥の名前と概略、そして採集した標本のデータと採集地が書かれています。日光は、なぜかすべてChiusenji(中禅寺)となっています。 9月にキャンプをしたことが印象的だったようで、わざわざ素晴らしいハチクマ、珍しいコルリ、若いウソを採取したと書いています。
なお、日光で採集された鳥のリストです。すべて、学名で書かれており、該当する和名を表記しました。
マミジロ
アカハラ
コルリ
カワガラス
メボソムシクイ
ウグイス
ゴジュウカラ
ハクセキレイ
モズ
ウソ
ハシブトガラス
カケス
サンコウチョウ
サンショウクイ
コサメビタキ
オオルリ
オオアカゲラ
アカゲラ
コゲラ
ジュウイチ
ホトトギス
アカショウビン
ヨタカ
ハチクマ
トビ
イカルチドリ
カルガモ
アマツバメ
岸田さんは、29種と言っているのですが、28種で1種たりません。私のチェックミスかもしれませんが、おおむね現在の鳥相と大きく変わるところはありません。
当時と現在の学名が、だいぶ違っているので和名を探し出すのに苦労しました。わからない学名は、ネット検索して合わせました。苦労したのはButalis latirostrisです。この学名でネット検索するとブラキストンの標本のリストが出てきて、シマモズとなっています。今、シマモズと和名がついているものはいません。おそらく、チゴモズのことだと思います。ただ、本文を読むと身体の色は、pure whiteでduskyとあり、 シーボルトのFauna Japonica ではコサメビタキの学名でした。
江戸時代のシーボルト、明治時代になってブラキストン、プライヤーが、日本の鳥類学の礎を築きました。あまり知られていませんが、ジューイさんもその一翼を担っていたことになります。
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