秋山章男先生・訃報
先月の台風のさいに一宮川の名前が出てくるたびに川の畔に住む「秋山先生、どうしたかなあ。これを機会に久し振りに連絡を取ろうかなあ」と思っていたところ昨夜、ご令嬢の加奈子さんより先生がお亡くなりになったとMessengerでご連絡をいただきました。
「10月17日に、父が闘病の末、舌癌で永眠しました。葬儀は家族葬で執り行いました。」とのことです。享年83才。まずは、ご冥福をお祈りいたします。
私の人生に影響を与えた恩師が3人いるのですが、そのうちの1人が秋山章男先生です。真面目に勉強して偉くなろうと思っていた20才台の私に「好きなことをやって人生を楽しむほうが良いよ」という教えは、私の人生をかえたと思います。この人生訓は、70才近い今も実践しております。
東邦大学在学中の教師だったのですが、どちらかというと卒業してからの方がおつきあいが濃厚でした。私が日本鳥類保護連盟の職員の時、環境庁(当時)から干潟の調査の委託を受け、全国30ヶ所ほど調査したでしょうか。北は北海道から南は宮崎県まで、当時は互い若かったので平気で旅をしました。私の役目は、とにかく晩酌のキリンビールの大瓶1本が宿にあることを確認することと、タバコのショートホープを切らさないように気を付けることで、あまり調査で苦労した思い出はありません。
当時は、干潟を研究している人がいませんでした。そのなかで調査方法を確立させ、干潟の重要性を科学的に説明できるデータを発信してくれた功績は大きいと思います。たとえば、アサリ1匹が1日に海水を濾過する量から干潟全体の浄化能力を算出するというような手法とデータです。干潟が大切だ、重要だと言っても、当時はそんな基礎的なデータもなかったです。いわば、秋山先生の先駆的な調査と研究によって、干潟の科学的な価値を証明することができたのだと思っています。
その後、好きなことをするのコンセプトどおり、一宮川のほとりに移り住み、ボートと釣り三昧、そして生き物に接する生活をされていました。夏休みに先生のところに行くのが年中行事であったこともあります。
先生とは、共通の趣味はモデルガンで、家に行くと枕の下はもちろんソファの下にハンドガンが隠してあったりしていました。2人で御徒町のモデルガン屋巡りをしたこともあります。たのまれて運び屋をやったりもしました。まあ、思い出はつきません。
写真は、1973年9月15日の千葉県幕張の自然観察会で説明する若かりし頃の先生です。当時の花見川の河口付近、現在の磯部新田公園あたりではないかと思います。
ご葬儀はすでに行ったとのことですので今夜は、先生の好きだったキリンビールを献杯してご冥福を祈りたいと思います。
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