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2020年2月20日 (木)

日本野鳥の会のバッチ-その2

 戦前の日本野鳥の会の会員章をFacebookに掲載したところ日本野鳥の会の職員ですら、はじめて見たというコメントをもらいました。
 私は、戦前の『野鳥』誌はよく告知が出ていてバッチのイラストが掲載されていたので、あるのは知っていましたが、実物を見たのは蒲谷さんのご自宅のみ。当時はフィルムカメラでしたが、写真を撮らせてもらったほどです。
  私はこった細工から当時の職人気質のあるバッチ屋さんが作ったのではないかと、想像していました。しかし、職員のE沢さんから作者は山下史人さんではないかというメールをもらいました。
 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービスに「ヤマシタ・ フミト」と読み、1906年生で1980年没の方の情報があります。年代的には、合致します。これ以外は、本や雑誌のイラストの作者として名前が挙がってきますが、これ以外の情報はほとんどありません。
 どこかで見たお名前だと思ったら『定本野鳥記』(春秋社・1962)の本文や月報の挿絵は山下さんでした。高校生の頃、山下さんのエナガの絵が可愛くて、模写したことを思い出しました。また、昭和時代の科学系の雑誌に掲載されている鳥の絵の多くが、山下さんの作です。いわば、藪内さん以前の野鳥画家の一人となります。
 E沢さんによると、日本で最初のレコード『野鳥の声』(ビクター・1954)についているパンフレットの表紙の絵が山下さんによるものではないかとの情報をいただきました。なんでも、パンフレットのなかに悟堂さんが「山下史人君に願った」と書いているとのことでした。
 私の持っている『野鳥の声』にはパンフレット無く、コピーを入手していました。資料の山の中から探し出すと、確かにその通りに書かれています。1980年没ですと、まだ著作権は生きていますので、レコードのジャケットをアップします。
 
Photo_20200220200201
 たしかに、バッチと印象のよく似た絵を描かれています。というか、まわりの雰囲気というか小道具がよく似ています。
 E沢さんは、さらに資料を探してみるとのこと。いずれ戦前のバッチの作者も解明されることでしょう。(おわり)

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