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2020年3月26日 (木)

『鳥はなぜ鳴く?ホーホケキョの科学』-増刷御礼・その1

 去年の5月に発行された『鳥はなぜ鳴く?ホーホケキョの科学』が、増刷されました。本が売れない時代にもかかわらず1年もたたずの増刷は、たいへんありがたいことです。
 本書は、中学生が読者対象ということで、表現はもとよりボリューム的にもいろいろな制約がありました。実は、収録した原稿の1.5倍ほどを書いています。全体に少しずつカットした部分とごっそりとネタそのものを削った項目があります。
 増刷御礼として、このカットしたネタをアップします。『鳥はなぜ鳴く?ホーホケキョの科学』の読了後に重ねてお目通しいただければ、より内容を楽しむことができると思います。
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ウグイスの学名は誰がつけたのか
 現在のウグイスの学名は、Cettia diphoneです。学名であることを示すために、斜体をかける=イタリック体で表記します。
 まず、人が発見した生物の種には、バクテリアでも哺乳類でも学名がつけられています。学名を付けることで種としての定義されます。たとえば、イヌはちいさなチワワから大きなセントバーナードまでいますが、学名はすべてCanis lupusとなり1種です。ちなみに、私たちヒトの学名は、Homo sapiensです。
 学名は、ラテン語で属名と種小名の2名連記で表記します。なお、亜種は3名連記となります。
 この学名を提唱したのは、スウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネ(1707~1778)です。リンネは、うぬぼれが強く人間的にはあまり評判の良くなかった人物でしたが、学名の命名法を考案した功績は大きなものがあります。生き物を分類するという基礎の基礎は、その後のダーウィンが進化論を発想するなど、生物学の発展の契機となっています。それに、今から200年以上も前に提唱されたシステムであるに関わらず、今も有効なのですからリンネに感謝です。
 さて、学名は先につけた方が優先されます。こうした交通整理を動物の場合は、動物命名法国際審議会が行っています。これにより、同じ学名がいろいろな生物に付けられないように管理されています。また、一度学名を付けると基本的には変えることはできません。ですから、アカヒゲの種小名にkomadori、コマドリはakahige、ミゾゴイにgoisagiとつけ間違ってもそのままです。ただし、分類学の発展によって属が変わり学名が付け替えられることもあります。
 もし、私が新種を発見したとします。
 発見者の私には、学名をつける権利があります。ですから、自分の名前を付けることも可能です。基本的には、命名者として名前が残ります。この文明が存在する限り自分の名前が残ることになります。生物学を志すものとしては、新種発見は夢です。
 ただ、新種として認めてもらうためには、ちゃんと論文を発表しなくてはなりません。さらに、これが新種発表の元になった標本、これをタイプ標本と言います-を残すことも必要です。あとから誰が見ても新種であると証明できる客観的な証拠を残さなくてはならないのです。
  さて、diphoneの学名を使ったのは、ドイツ人貴族の博物学者のハインリッヒ・フォン・キットリッツ(1799~1874)です。
 キットリッツは、1828年5月1日から2週間、小笠原諸島に滞在して鳥を採集します。これは、ロシア船による4年近くに渡る航海の途中のことで、まだ大航海時代の面影の残るクルーズです。当時の小笠原は、捕鯨の基地の役割を果たしていました。また、この時代、ロシアは捕鯨大国でした。
 この頃の日本は、まだ江戸時代で鎖国政策のまっただなかです。西郷隆盛が生まれ、葛飾北斎が『富嶽三十六景』を描きはじめ、庶民の間に伊勢神宮に集団でお参りにいく、お陰参りが大流行した頃です。
 なお、アメリカのペリーが浦賀に黒船4隻とともに、やって来たのは24年後の1853年のことです。いかに、キットリッツの小笠原来訪が早い時期であったか、わかると思います。
 このとき、キットリッツは、絶滅したオガサワラマシコも採集しています。オガサワラマシコの標本は、このキットリッツら採集した11体しか現存していません。それだけ、あっというまに絶滅してしまったことになります。
 キットリッツは、オガサワラマシコにも学名をつけて発表するのですが、2年前に発表されていて先取権を奪われます。しかし、セントペテルブルグの帝国大学理学部の学会誌に発表した小笠原のウグイス、ハシナガウグイスの学名の命名は、世界で最初となり認められます。1830年のことです(黒田長禮・1927)。
 当時の日本の学校と言えば寺子屋で読み書きそろばんを習い、藩校で武芸と四書五経を学んでいた時代です。しかし、すでにヨーロッパでは大学があり、近代科学への道を歩み始めていたのです(つづく)。
参考文献
黒田長禮 1927年 『日本鳥学発達史』 自然科学Vol.2, No.2:20-57 改造社

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