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2021年2月11日 (木)

鈴木孝夫さん・逝く

 戦後の動乱期に日本野鳥の会の活動の灯火を守り、今に伝えてくれた恩人がお亡くなりました。鈴木孝夫さんです。
 ちょうど先日、日本野鳥の会の安西英明さんから鈴木さんのお手紙が回ってきたところです。手紙には「(略 老衰です 略)、私は今、暗い気持ちでなく、明るい気持ちで別世界に発っていきます。(略)皆さまにはどうぞお元気で、さようなら。」と短い手紙ながら、いろいろな思いを馳せることができる内容でした。これだけ認知機能がしっかりしているならば、もう1度ぐらい会えるだろうと思っていただけに残念です。
 鈴木さんには、日本鳥類保護連盟在職中にお世話になりました。鈴木さんの経歴を見ると凄いの一言なのですが、若輩の私にもていねいに接してくれたことを覚えています。なにしろ、鳥の世界では大先輩ですし、慶応義塾大学教授、戦後最初のアメリカ留学をしたエリート、そして日本語と英語を中心とした言語学の権威なのです。言語学の世界では神様のような方なのですから、安西さんのように「孝夫ちゃん」なんて呼ぶことは恐れ多いのですが、そう呼べるお付き合いをしてくれました。 
 ご自宅をおたずねしたことがあります。データをチェックしたら2011年7月のことで10年前でした。バードアーカイブスの塚本さんがだんどりをしてくれて、蒲谷鶴彦さんの奥さんの久代さん、息子さんの剛彦さん、音楽家で録音仲間の岡村さんと私です。
 
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 そのときのお姿です。後ろは、塚本さんです。
 ご了解をいただき録音をしたのですが、今見たらなんと2.7Gありました。4時間以上、お邪魔していたことになります。とにかく話が面白いので、あっと言う間の4時間でした。うかがいたかった話は、蒲谷鶴彦さんなどが活躍した戦後の日本野鳥の会のようすなどです。ところが、そこから中西悟堂さんの真の素顔から蜂須賀正氏さんが軍人になぐられた話、日本鳥類保護連盟を辞めた理由、裏面史というと語弊があるかもしれませんが、ここではちょっと書けない話、裏を取らないと紹介できない話もあって、間近で鳥の世界を見てきた鈴木さんならではのエピソードばかりでした。
 そして、最後にはWebserの録音機が登場して、録音の思い出話となりました。

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 鈴木孝夫さん、長い間ありがとうございました。
 謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。

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