最近の鳥を巡る話題でセンセーショナルだったのは「アホウドリは2種いて、鳥島のアホウドリと尖閣諸島を繁殖地とするセンカクアホウドリがいる」でした。
http://www.yamashina.or.jp/hp/yomimono/albatross/13two_spieces.html
尖閣諸島にアホウドリが繁殖しているという報告は、領土問題が顕著化する以前にいくつかの報告があり気にはなっていました。それが別種であり、それもDNAから調べられたのですから間違いのない報告です。
江戸時代には、鳥島と同じように尖閣諸島にもアホウドリのおびただしい数が繁殖していて、近世になって鳥島と同じように羽毛のために取り尽くされた歴史があります。鳥島については、動画記録があるなど、昔の栄華を知ることができますが、尖閣諸島についてはほとんど記録がないため、大きな問題にわりには知られていないのは残念です。
江戸時代にセンカクアホウドリが記録されていないか、記憶をたどりました。『江戸のバードウォッチング』(1995)の執筆のおり、江戸東京博物館の図書室に通い、文献をあさったなかに司馬江漢(1747~1818)の『江漢西遊日記』(1815)があったのを思い出しました。
江漢は、江戸時代の絵師です。西洋の画風を取り入れたり、当時としては型破りの芸術家だったと思います。私としては、たくさんいたはずのトキが浮世絵に描かれることがなく、江漢のみが描いているのを見つけています。
『江漢西遊日記』の”西”は、江戸から見た西で、江戸から長崎までの旅行記です。 今では、ネットですべて読むことができます。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1194191/5
このなかに、センカクアホウドリと思われる鳥が登場します。時は天明9年(1789)の冬、場所は平戸あたり。ここでの鯨漁のことが、詳しく壮絶に描かれています。そのページの挿絵に「らい鳥」があります。

絵を見る限りキジの仲間のライチョウではなく水鳥に見えます。絵の横には「くちばしはうす赤、頭はうす黄色、全身白、少し黒斑あり、沖カモメとも言う」とあり、これらからアホウドリであることは間違いないでしょう。
また、このアホウドリは鯨漁の残飯を求めて集まって来たようです。私のつたない読解力で書かれていることを要約すると「この鳥、常に見る、鯨漁のときにどこからともなく来る。鯨を解体するとき重なるように来て、肉を食らうことしきりなり。陸を歩かない。大きさは白鳥のごとし」とあり、これらの記述からもアホウドリを想起させられます。
センカクアホウドリは、アホウドリよりくちばしが細く短いという違いがあります。この絵の鳥も短めですが、全体のタッチからは区別は難しいかもしれません。
なお、平戸は九州北部の長崎県ですから、太平洋側に繁殖地のある鳥島のアホウドリとは思えず、尖閣諸島などに繁殖地を持つアホウドリではないかと推測できます。クジラの解体とともに集まって来たのですから、もっと近くにある尖閣諸島以外の繁殖地から来た可能性もあります。
いずれにしても江漢が見たアホウドリは、センカクアホウドリの可能性が大きいと思います。
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