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2022年1月20日 (木)

誰が中西悟堂に鳥を教えたのか?-その4

鳥屋場の小島銀三郎-1
 『野鳥』誌の「25周年記念特集号」(1960)に須走の高田昴と並んで書かれた「小島銀三郎翁の鳥屋場でのただ見るだけの野鳥の習性を見届けたい」と書かれた小島銀三郎について、調べて見ました。
銀三郎については、高田昴以上に情報がありません。小島銀三郎の名前をネット検索すると、同姓同名の方のFacebookくらいしかでてきません。そのため「小島銀三郎 鳥屋場」で、ようやく1件間違いなく悟堂と関連した銀三郎がヒットしました。
 それも日本野鳥の会や悟堂とも関係した尾崎喜八の文章でした。著作権が切れているため、ネット上で読むことができました。それには「連れの引合せで初めて会った千野さんは、もう頭の大分禿げた、童顔に顎鬚をたくわえた、人を見る眼に一種の光りのある、どこか禪僧とか一流の達人とかを想わせる老人であった。知っている人は、あの霞網の名人小島銀三郎翁を思い浮べれば、ほぼその風貌の見当がつくであろう。」という一文です。
 これは、『山の繪本 紀行と隨想』(1935・朋文堂)のなかの「絵のように」の項に載っていました。直接、銀三郎とことではなく千野さんの風貌が似ているということでの登場です。知っている人は知っているはずということで名前をあげています。さっするに、当時の鳥関係者のなかでは有名人であったことがうかがえます。
 これ以外、銀三郎の情報は少ないのですが、悟堂の日本野鳥の会発足2年前に発行された『蟲・鳥と生活する』(1932年)には、「霞網の小島銀三郎翁を語る」の項があり、詳しく書かれています。
 顔のわかる写真も載っていて、銀三郎は長く白い顎髭が蓄えています。喜八が書いているように「人を見る眼に一種の光りのある、どこか禪僧とか一流の達人とかを想わせる老人であった」という表現が適切であることがわかります。私もこうした老人になりたかったと思います。
 悟堂が書いている断片的な情報から「加賀藩の人で慶応3年生まれ」石川県出身で1867年生。1867年は大政奉還が行われた年で、2年後に明治となる時代に生まれています。また、すごい経歴の持ち主で若い頃は右翼活動を行い、頭山満の玄洋社と肩を並べた団体に所属していたと書かれています。当時の政治活動は弁舌で議論するのではなく、武力闘争であったわけで、銀三郎の「身体にちょっとでもふれたらが最後、5、6人は立ちどころに手玉に取られた」という強者であったそうです。愛国の闘志と鳥屋場の主人のイメージがつながらないのですが、昭和の初期には、そのような人もいたことになります。
 銀三郎は「東京府八王子市の郊外、京王電鉄の北野駅の南方にあたる野猿峠」の尾根道で鳥屋場を持っていて、悟堂はとらえられた野鳥を見るため足げに通ったことになります。
 今や八王子市野猿峠周辺は、住宅地が広がるベッドタウンのイメージです。私と野猿峠の縁は、大学入学のとき(1968年)のオリエンテーションが行われた大学セミナーハウスに行ったのが最初です。セミナーハウスは、野猿という地名のイメージとはかけはなれたモダンな建物でした。ここでは、その後も大学のゼミ合宿、全国自然保護連合の総会、日本野鳥の会の全国大会などで何度が訪れています。ただ、いつも室内での会合で、周辺を歩いた記憶はほとんどありません。鳥屋場のあった尾根はもとより、どのような地形であったのか、もっと見ておけば良かったと思います。
 カスミ網猟は、能登半島に入ってくるツグミなどの冬鳥を捕獲するために北陸地方で始まり発展しました。加賀出身の銀三郎は、カスミ網の本場で猟法を習得したことになります。悟堂によると、銀三郎は野猿峠に落ち着くまで、日光から満州にいたるまで、各地でカスミ網猟の技術指導を行っています。
 なじみのある日光では、山久保や所野など知っている地名の山で銀三郎の指導の元、鳥屋場が開設されたことがわかりました。夭逝の鳥類学者・小川三紀の日光の記録に、鳥屋場があったことが書かれています。小川が日光に訪れたのは、明治30(1897)年と明治38(1905)年で、この記録のなかの鳥屋場も銀三郎の指導の元に開設されたものでした。
 悟堂は、荻窪に住んでいたこともあって路線のつながった八王子には行きやすく、野猿峠に通いつめたことになります。秋の渡りのシーズンには鳥屋場に泊まり、銀三郎の話を聞き鳥の知識を深めたことになります。
 ここでは、小鳥たちの地鳴きの違いを種ごとにこまかく書かれています。さえずり以上に地鳴きの識別は難しいものです。確認にこの鳥が鳴いていると記録するためには、近くで聞かないと聞こえません。鳥屋場で捕らえられた生きた鳥を目の前にして、地鳴きを覚えたことになります。(つづく)
[引用以外、敬称は略させていただきました。]

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