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2022年2月24日 (木)

秋山孝さん-訃報

 「さすがに美術系の大学生はおしゃれだなあ」というのが、秋山孝さんに初めて会ったときの印象です。私は当時(1979年頃)、日本鳥類保護連盟の職員でした。バードカービングを普及させるためにどうしたら良いか思案しているときに紹介されたのが、秋山さんでした。
 当時は、彫りを桒山賀行さん、塗りを秋山さんが分担して行い、日本で最初のバードカービングを制作して入門書を制作いたしました。この作品は、展示会があるとよく使われましたが、日本鳥類保護連盟が剥製を飾って良いのかというクレームが付くほどのできでした。その後、バードカービングが普及し現在あるのも、すべて秋山さんが作ったこのモデルからスタートしたことになります。
 残念なことに昨夜、日本バードカービング協会の水上清一さんから、秋山孝さんの訃報が伝えられました。秋山さんの出身地であり、彼の秋山孝ポスター美術館長岡のある地元の新聞記事の訃報記事です。
  https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/27935
 今思えば、連盟で私がバードカービングの仕事ができたのは、ひとえに秋山さんの存在が大きかったと思います。とにかく、バードカービングがどんなものかわからず新しい事業をすることに後ろ向きな専務理事や事務局長がしきっていた連盟でした。ところがバードカービングに関わり、作品が完成、入門書の発行、展示会や教室の実施、制作キットの販売とどんどん展開していったのですから、文句を言えない雰囲気を作ることができました。これらの多くが秋山さんの援助とお仕事です。おかげで、私はバードカービングだけでなく他の仕事である干潟の保護などについても自信を持って取り組むことができるようになりました。
 そして、バードカービングは内山春雄さんや水上清一さんなどのプロが成り立つ世界となりました。そして、コロナ禍のなかコンクールの実施は困難になっていますが、東京都美術館で盛大な展示会ができるまでになりました。
 若い頃、秋山さんは「俺はメジャーになる」と言っていました。私は、なんで人間が巻き尺になるのかと思ったものです。メジャーとマイナー、そんな言葉も知らないで仕事していました。彼は言ったとおり、雑誌『じゃらん』の表紙をイラストで飾り、出身地の長岡市には秋山孝ポスター美術館長岡が建てられ、多摩美術大学の教授になりました。彼の言ったとおり、私の知人のなかでもっともメジャーになったことになります。
 ごく一部の人に受け入れられる趣味の世界、マイナーな業界で生活してきた私にとって、秋山さんは地球という広い世界、一般社会で仕事をした憧れの存在でした。これからも、秋山さんから刺激を受けて、少しでもメジャーになろうと思っていただけに残念でなりません。
 心の底からご冥福をお祈りするとともに、深く感謝いたします。
 20年前のバードカービングコンクール会場にての写真です。
Akiyama2000

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