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2022年2月 8日 (火)

野鳥という言葉は中西悟堂が考えたのか-その1

 今回、「誰が中西悟堂に野鳥を教えてたか1~5」を書くために調べていたら、ひとつ気になることがありました。
 それは、悟堂が「野鳥」という言葉を造語したということがかなり広く流布され、事実となっていることです。たとえば、ウィキペディア(Wikipedia)の「中西悟堂」の項には「『野の鳥は野に』を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こした。「野鳥」や「探鳥」は悟堂の造語。」また「野鳥」の項では「"Wild Bird"に対応する語として、中西悟堂が『野鳥』の言葉を造語した。」となっています。
 加えて、中西悟堂の伝記である『野の鳥は野に 評伝・中西悟堂』(小林照幸・2007)には「『野鳥』という悟堂発案の言葉」となっています。執筆にあたっては何度もうかがって取材したとされる長女の小谷ハルノの名前があがっていますので、遺族としても認めていることになるのでしょう。
 中西悟堂協会のウェブサイトでも「業績」の項に『「野鳥」や「探鳥」は中西悟堂の造語であり、悟堂が日本に広めた言葉です。』と書かれています。協会として公式的な見解とみてよいでしょう。

 https://nakanishigodo.wixsite.com/home/about

 造語というのは「新たに語(単語)を造ることや、既存の語を組み合わせて新たな意味の語を造ること」とあります。厳密にいえば、造語されたという言葉が使われる以前には、なかった言葉といえるでしょう。
 結論としては、野鳥という言葉は悟堂の造語ではありませんし、悟堂以前に使われている言葉です。それも、悟堂の身近にあった言葉だったといったら、信じてもらえるでしょうか。
 もちろん、野鳥が悟堂の造語でないことに気が付いた方がすでにいます。古書店楽古堂店主の木村成生さんです。彼のブログに詳しく書かれています。
 タイトルは「『野鳥』ということばをめぐって―柳田国男と野鳥―」です。下記URLをまずご覧ください。

 https://blog.goo.ne.jp/takanosu1736/e/07576dac6109513e7a825b3c46608100
 
 木村さんによると、悟堂の師匠ともいえる柳田国男の著書には「野鳥」が何度も登場しているとのことです。
 まず、名著『遠野物語』の序文に「細き田中の道を行けば名を知らぬ鳥ありて雛を連れて横ぎりたり。雛の色は黒に白き羽まじりたり。始めは小さき鷄かと思ひしが溝の草に隠れて見えざれば乃ち野鳥なることを知れり。」があります。『遠野物語』の発行は、明治43年(1910年)であり、悟堂が野鳥を造語したという1934年から24年前となります。
 同じ柳田の『明治大正史世相篇』の第4章に「つまり人間の技能の加はつた特別のものを愛したので、此点は寧ろ野鳥を疎外した大建築物などの芸術と似て居る」として、鳥を飼うことと野外の鳥に興味や理解を持つこととはつながらないという。つぎの「8 野獣交渉」にも「野鳥」の文字が現れます。『明治大正史世相篇』は、1930~1931年に発行されており、3年前となります。
 さらに柳田の『野草雑記・野鳥雑記』(甲鳥書店・1941)に収録されている「村の鳥」には「椋鳥とか雲雀とかいふ地面を恋しがる鳥は、もう段々退去したが、松のある為に枝移りをして、意外な野鳥までがめいめいの庭へ入つて来る」とあります。「村の鳥」は、昭和9(1934)年1月が初出で、悟堂が野鳥を考えた数ヶ月前に公表されていたことになります。
 柳田と悟堂の関係は、師弟関係にあったのですが、悟堂は師匠の名著の『遠野物語』はもちろん「村の鳥」を読んでいなかったのでしょうか。
 さらに、木村さんは「悟堂は『愛鳥自伝』によると鳥の雑誌を出すにあたりその誌名を2ヶ月苦しんで考えた末に「野鳥」と決めて、柳田邸を訪ねて披露する。それに対して柳田は「よい名前をつけられたねえ。どこから引いたの?」と聞き返し、悟堂は自分の「独創」であるとこたえると、柳田は「よかったよ。これでいよいよ発足だね」とこの名を高く買ったという。」と言われたと書いています。自分が書いたのを忘れた柳田も柳田ですが、この会話から2人の関係がよくわかります。また、悟堂は「自分の『独創』であるとこたえる」が、多くの造語したの根拠になっているものと思います。
 悟堂を弁護すれば、本1冊のなかの一つの単語ですから見落としたとも言えます。
 しかし、次に紹介するのは本のタイトルです。それも鳥仲間の本の題に使われていたのですから、弁解は難しいと思います。
 それは、竹野家立著の『野鳥の生活』(大畑書店・1933)の存在です。
Photo_20220208195201   
 発行は、日本野鳥の会創立の前年となります。著者の竹野家立は『野鳥』誌の創刊から3号まで連載された「野鳥の会座談会」における12人の出席者のひとりです。『野鳥』1巻2号の「執筆諸家の横顔」によると、新宿御苑内動物園で鳥類研究をし、野鳥巣引きを20年、成功したもの30余種、この座談会当時は東京朝日新聞社員という肩書きです。
 木村さんの話に追加をすれば、野鳥という言葉は『野鳥の生活』の2ページの序に2回、本文にも散見しています。竹野は野鳥を飼育し、いかに長く飼い繁殖させるか研究しています。飼育に生かそうと野外での観察もしています。その記録とも言える『野鳥の生活』は、難解な文章ですが読み応えのある内容です。さらに、竹野と悟堂との関係を示すものとして、竹野の日本野鳥の会発足2年後に出版した『野鳥随想』(橡書房・1936)があります。この本の写真に悟堂が撮影したコノハズクの幼鳥の写真が3点、ウグイスとトラツグミの巣の写真が各1点収録されています。写真の貸し借りがあった関係であったわけですから、前著を寄贈した可能性もあります。執筆には1、2年はかかると思いますので、日本野鳥の会の発足当時に書かれたものと考えられ、悟堂との交流があったことは間違いないことになります。
 木村さんは、この他『日本国語大辞典』(小学館・1972~1976)に引用されている室町時代の『日葡辞書』(1603~1604成立)、間清利著『御鷹場』(埼玉新聞社・1981)に引用されている元禄2年(1689)の徳川綱吉による「生類憐れみの令」のなかに野鳥があるのを見つけています。
 これでも、木村さんの調査の一部にすぎません。古書店主だけに、お調べになるポイントがするどい上によい勉強になりました。
今回、改めてネット検索してみたら、同じように悟堂以前に使われた「野鳥」という言葉を見つけた方がいました。なるほど、このような事例まで探したら、もっとありそうです。

 http://seichouudoku.blogspot.com/2015/02/blog-post_18.html

 論文もあります。日本野鳥の会の会員で立教大学名誉教授、知人でもある川崎晶子さんの論文です。

 https://icc.rikkyo.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2015/12/bulletin_2014_03.pdf

 小鳥、野鳥、探鳥、愛鳥の4つの言葉が、時代によって使われた頻度と意味の変化についての考証した内容です。朝日新聞における初出は、1900 年(明治 33 年)の記事で『「年々各地より東京市内に売り込み来る野鳥類」として、農商務省の調査結果を報じている。』とあります。これ以降も、1900年代3件、1910年代1件、1920年代2件、1930年代は18件、野鳥という言葉が朝日新聞に載っているとのこと。1930年代は、日本野鳥の会が発足した年代で、件数が増えているのは話題になったことがうかがえます。加えて、国語辞書の初出は昭和3(1928)年の『改修言泉』(大倉書店・1928 )に野鳥の項目があるとのことです。
 私も調べてみました。日本の古代から江戸末期までの文献から引用した例証を分野別に編纂した日本史研究の基礎資料とされている『古事類苑』(神宮司庁・1896~1914)です。「動物の部」のみですが、すべて目を通したつもりです。
 『本朝食鑑 五 水禽』の「鴫」の項に「野鳥也」がありました。『本朝食鑑』は、元禄10年(1697年)発行で、江戸時代となります。膨大な『古事類苑』のなかから、1例見つけましたが、これ以外にもあるかもしれません。
 いずれにしても野鳥という言葉は、一般的ではなかったとは言え、江戸時代以前の日本語としては存在してはいたことは間違いありません。(つづく)
[敬称は一部略させていただきました。]

 

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