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2022年2月23日 (水)

竹野家立の『野鳥の生活』は悟堂の蔵書にあった!?

 私の人生を変えた中西悟堂の人となりに触れたくて、著書をはじめ悟堂について書かれたことを読んだりネット検索しては楽しんでいます。調べれば調べるほど、悟堂はほんと鳥が好きな人だったんだなあと思います。そして、情熱家であり頑固ジジイでだったと実感します。
 こうして悟堂の著作を見て、今回の発見のご紹介です。
 私は、野鳥という言葉を野鳥誌と日本野鳥の会に使用したのは『定本野鳥記』に書かれているように「『野鳥の・・・』云々という題」という本のタイトルをヒント説だと思っていました。そして、この『野鳥の・・・』は、前年に発行された竹野家立の『野鳥の生活』(大畑書店・1933)だと確信しています。
 ところが、このところ悟堂の造語説が定説となっていますので、気になって調べたのが前記事です。そして、この記事によって造語説は、くつがえせたと思います。そして今回は物的証拠を発見しましたので、ご紹介です。
 野鳥の原点ともバイブルと言える初版『野鳥と共に』(巣林書房・1935)は、内容が豊富で感動を与えてくれます。それだけに、つっこみどころもあって読んでいて飽きません。この本は、「放し飼い編」と「山野編」にわかれています。放し飼い編、最後の項に「栗鼠を育てる」があります。「そうだそうだ、リチコと名付けたのだ」と中学生時代に読んだ内容を思い出しながら再読しました。
 ふと、本が並んだ上にリスのいる写真が目にとまりました。四六版1ページに載っているため14cm×10.5cmの大きめの扱いです。うれいを帯びたリスの顔が可愛い写真です。並んでいる本は8冊、このうち「トルストイ愛の書簡」「中世欧州文学史」「○○渓谷」などのタイトルが読めます。光線の具合で残りのタイトルは不明瞭でよく読めません。ただ、右から5冊目のタイトルは「生活」という字がかろうじて読めます。ひょっとすると野鳥の命名のヒントになった竹野家立の『野鳥の生活』ではないかと胸が躍りました。
 さっそく、蔵書の『野鳥の生活』を取り出し背文字を比較してみました。
 その前に、リスと本が写った明瞭な写真が他にないか探してみました。『野鳥と共に-普及版』日新書院・1940)があり、ほぼ同じ位置に同じサイズ(14cm×10.5cm)で掲載されていました。写真印刷の程度は戦争間近のためか、初版よりよくありませんでした。
 『定本野鳥記 第1巻』のグラビアにもありましたが、こちらは扱いは小さく5.5cm×4.0cm、名刺サイズより小さいです。ところが、写真製版の技術のため、小さな写真のほうがモワレがあるのものの画像のコントラストを上げることが可能なことがわかりました。タイトルは5文字、”野鳥”の字もなんとなく読めます。
 同じアングルで蔵書を撮ってみました。2枚を並べてアップします。左、リスの写っている写真は一部分をトリミングしての引用です。写真全体の明るさ、彩度の調整はしていますが、タイトル文字部分を強調するような加工はしていません。右が拙蔵書で、当時の本を並べています。いずれの写真も見づらい場合、クリックして大きくしてご覧いただければと思います。
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 戦後に悟堂が、ヒントになったという『野の鳥・・・』、下村兼史の『野の鳥の生活』であれば、タイトルのすぐ下に著者名があるため、映り込みます。私の蔵書の右から2冊目です。この『・・・生活』は、下村の本とは思えません。
 蔵書の写真と比較してみると、タイトルロゴは同じ。タイトルの字の間も同じ。天地から野にいたる長さも同じに見えます。ひとつ不思議だったのは、タイトルは布に金箔が押してあるのです。とても、きれいで派手。そのため、カラー写真で撮るとよく目立つタイトルでした。ところが元の写真と合わせるために、モノクロやセピアに加工すると、タイトルが目立たなくなってしました。掲載したのは、ギリギリタイトルが読めるところまでの加工です。
 ですので、モノクロの写真では読みづらくてよいことがわかり、リスの前足の下にある本は『野鳥の生活』の可能性がかぎりなく高いと思いました。
 ついで、この写真がいつ撮られたものかの検証です。悟堂は5W1Hが曖昧のため、全部を読まないとわかりません。時系列を整理してみます。
・リスは、奥多摩の日原川あたりの山地で捕獲された。
・巣ごと届けられたのは、7月初旬である。
・巣には3匹の子リスが入っていた。生後1ヶ月と推定。歯がまだ生えていなかった。そのため、牛乳で育てる。
・7月20日頃には、歯も生えてきて、活動も活発になる。
・8月8日に1匹死んでしまう。
・9月になると、日本クルミを自分で割るようになる。
・9月下旬、1匹が脱走。5日で帰る。
・この他、リスの成長ぶりが続きます。
・文末に(昭和8年11月下旬稿)と書かれています。1933年です。
 ということは、リスを育てたのは昭和8年の夏から秋。本棚の撮影はリスが来た7月以降となりますが、リスがそこそこ大きくなっているので9月頃ではないかと推測できます。いずれにしても、悟堂が野鳥という言葉を発想した1934年の前年になります。また『野鳥の生活』の発行は昭和8(1933)年7月15日と奥付にあり、8、9月頃の撮影ならば間に合います。
 なお、野鳥という言葉を発想したときは、ぐるっと椅子をまわして後ろにあった書棚に、ちょうど目と水平の高さに鳥の本があったことになっています。この写真を見る限り、鳥の本は『野鳥の生活』のみです。思案したのは半年後なのでその間、本の位置が変わったのでしょう。
 この写真のとおりならば、『野鳥の生活』は野鳥という言葉を発想する前の年に書棚に並んでいたことになります。そして、リスとともに『野鳥の生活』のタイトルは目にしていたはずで、野鳥という言葉は悟堂の身近なところにあったことになります。本書の内容は鳥好きにとってはとても興味深いものですから、悟堂が一読していないわけはないと思います。そうなると、2ヶ月間苦労したという伝説も怪しくなってきます。
 悟堂は、膨大な著作を残しています。また、かなりの割合がリメイクされています。それだけに矛盾もあれば、長い歴史のなかで悟堂自身の変化を探索することができます。
[敬称は、略させていただきました。]

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