« 野鳥という言葉は中西悟堂が考えたのか-その1 | トップページ | 野鳥という言葉は中西悟堂が考えたのか-その3 »

2022年2月 9日 (水)

野鳥という言葉は中西悟堂が考えたのか-その2

 今回、見つけたのはなんと悟堂本人が書いた『蟲・鳥と生活する』(アルス・1932)の本文です。
 344ページのZの項で、小島銀三郎のカスミ網猟の話から「野鳥をそのままペットにしたいと思う人が人があるなら(中略)、そういう人達は試みに霞網をやってみるとよい」の一文です。当時のことですから、内容はともかく野鳥という言葉が使われています。
3441
 『蟲・鳥と生活する』は、悟堂が苦労をして野鳥という名前を造語したとされた2年前の発行ですから、執筆自体は3年前かもしれません。いずれにしても、野鳥が違和感なく突然使われています。
 ここで使われた野鳥という言葉は、カナリヤなどの洋鳥に対して日本の鳥のオオルリやウグイスを示す意味で使われています。代々飼われ飼育しやすい洋鳥に対して、野性味のある野鳥の飼育は難しいということでの使用です。
 普通、本を発行する場合、執筆、推敲、編集者のチェック、チェックの直し、初校、再校と少なくとも5回は、自分の原稿に目を通すことになります。悟堂は文章にこだわりがあったはずですから、推敲は何度もしていると思います。また、当時は活版、鉛でできた活字を組むため棒ゲラと言ってレイアウトされていない状態でのチェックもあったはずです。そのため、校正の回数は今以上に多かったと思います。この野鳥が出てくる一節は、何度も読んでいるはずです。悟堂の頭のなかに野鳥という言葉が、3年前にすでにあったことになります。
 それが、柳田になぜ2ヶ月間も苦労をして考えた自分の「独創」と答えのでしょう。ただ、この野鳥という言葉を思いついたエピソードは微妙に変化しています。
 たとえば、『定本野鳥記 第5巻』(永田書房・1964)の「竹友藻風氏と『鶺鴒』」の項で、発足当時をふりかえっています。それによると「(前略)2ヶ月を経過してもまだきまらず、この夜も同じ考えを繰り返していたのである。(中略)うしろには書棚があって、ちょうど目と水平の棚が鳥の書物であったが、そこにふと翻読書(ママ)の背文字に『野鳥の・・・』云々という題のあるのを見ると、私の目はぴたりとそのに張り付いた。『これだ!』と私の気持ちに閃くものがあった」「今まで、なぜこの言葉に気がつかなかったのだろうと私は思った。(中略)こうして『野鳥』ということばに決まった」とあります。ここでは悟堂は「野鳥」ということばを自分で作ったとはいっていません。 
 私は『定本野鳥記』を読んでいたので、長い間このエピソードを信じていました。ですから、造語したという説が流布していることは不思議に思っていました。
 ちなみに、当時出版された本のなかの翻訳本で『野鳥の・・・』のタイトルの本を見つけることはできませんでした。前記事で紹介した竹野家立の『野鳥の生活』の可能性が高いと思います[注]。
 この一文は、1964年の『定本野鳥記 第5巻』に収録されていますが、文末に「昭和19(1944)年1月」とあり、初出は戦前となります。
 戦後の記述を探すと、『野鳥』誌の「25周年記念特集号」(1960)「日本野鳥の会25年史 第1回」にありました。これには「2ヶ月間も考え抜いたある日、ふとテーブルに向かって腰かけていた回転椅子をぐるりと廻して、背後の書棚を見ると『野の鳥の何々』いいった本の背表紙が目について、『やっこれだ』と思った。そして、『野の鳥』の『の』をはぶいてきめたのが『野鳥』(中略)その頃、私がいろいろな日本の本などから捜し廻った範囲の限りでは『野鳥』という熟語はなかったし、世間の慣用例もきかなかった。」と書かれています。
 ちなみに、昭和9(1934)年当時まで『野の鳥の何々』と言うタイトルで出版されていた本は、下村兼史の『野の鳥の生活』(金星堂・1931)しか見つけられませんでした。
Photo_20220208194401
 その後、「野の鳥」は仁部富之助のタイトルに多用されますが、1936年以降となります。ですので、ここでは下村の本のタイトルがヒントになったと思われます。
 なぜか、2ヶ月間悩んだこと、背後の書棚のタイトルを見たことは同じですが「野鳥・・・」から「野の鳥・・・」に変わっています。何か意図があるのでしょうか。
 つづいて、前記事で紹介した『愛鳥自伝』(平凡社・1993)に書かれているように悟堂は柳田の問いに自分の「独創」であると答えています。『愛鳥自伝』の発行は1990年代ですが、雑誌『アニマ』に1973~1977年にわたっての連載をまとめたものです。このエピソードは最後のほうですので、書かれたのは1977年頃ということになります。
 戦前は『野鳥の生活』、戦後は『野の鳥の生活』、戦後は独創と変遷していることがわかりました。ストレートな借用から、改変しての使用、そして造語したに変わったことになります。(つづく)
[敬称は、略させていただきました。]

注:悟堂が『野鳥の・・・』のタイトルの本を見つけたこと、当時このタイトルの本は竹野家立の『野鳥の生活』しかなかったことは、木村成生さんもブログで指摘しています。

« 野鳥という言葉は中西悟堂が考えたのか-その1 | トップページ | 野鳥という言葉は中西悟堂が考えたのか-その3 »

考証」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 野鳥という言葉は中西悟堂が考えたのか-その1 | トップページ | 野鳥という言葉は中西悟堂が考えたのか-その3 »