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2022年3月

2022年3月31日 (木)

ウグイスのさえずり練習-六義園

 今日の暖かさに誘われて、六義園に行きました。
 名物のシダレザクラは緑色の葉が目立つようになってきました。
 芝生にはまだ冬鳥のツグミがいました。急に小鳥が静かになったと思ったら、頭の上にツミが来ました。真上というのは、なんとも観察しづらいもので、ツミの気配を感じつつ、じっとしているしかありません。
 一回りしているうちにツミが去ったのか、ウグイスがさえずり始めました。
 DR-05で録音、ボリュームの増幅、1,500Hz以下のノイズの軽減、ノイズリダクションをかけています。

 バックのメジロのさえずりもにぎやかです。
 ウグイスは、さえずり初めて1週間ほどたっていると思います。まだ、完全なさえずりとはならず、鳴き方を試しているという感じです。こうやるとこの音が出るのか、もう少し強く鳴くとこうなるのか、といったようにいろいろ力の入れ方や鳴管の震わせ方を練習しているようにも聞こえます。
 この鳴き声は、この季節ならではの声。ある意味、貴重な鳴き声です。もう1週間もすると上手なさえずりになってしまうと思います。

2022年3月30日 (水)

また不明の声-六義園

少しにぎやかになってきた六義園の早朝。今日もタイマー録音を仕掛けてみました。
 いろいろ成果があったものの、また不明の鳴き声に悩まされることになりました。
 DR-05でタイマー録音。ボリュームの増幅。2,000Hz以下のノイズの軽減、ノイズリダクションをかけています。

 加工を重ねていますので、音質はかなり損なわれいますことをご了承ください。ただ、リズムというか節は変わりません。
 時刻は、午前6時19分です。本日の日の出は5時30分頃ですから、かなり明るくなっています。人の活動もある時間帯です。
 「チッ」という最初の鳴き声は、音域が同じなので同じ鳥が鳴いているのではないと思いカットしませんでした。そのあと、はっきりと節のある鳴き声です。さえずりぽいですが、聞いた記憶のない声です。音域は、2,000~7,000Hz、うすく8,000Hzまであります。時間帯とパターンがきれいなので、人工的な警告音の可能性も考えられます。
 ただし、地鳴きぽい声があることと1声で終わっていることから、鳥かなと思っています。
 毎度のことながら、備忘録としてアップしておきます。

2022年3月29日 (火)

シロハラ?のさえずり-六義園

昨日の早朝のタイマー録音では、遠いもののやっとウグイスのさえずりやシロハラらしいさえずりが録音されていました。
 シロハラらしいさえずりです。
 DR-05で録音、ボリュームの増幅、ノイズリダクションをかけています。

 さえずった時刻は午前5時52分です。現在の日の出時刻は、5時30分頃です。かなり明るくなってからさえずったことになります。
 アカハラとシロハラの区別の決定的な識別点を見いだせないでいます。
 今までのつたない経験から、シロハラのほうが音域が広い、アカハラのほうが3音節目「チリリ」が明瞭(長い、音が大きい、はっきりしている)ことが多い、などから区別できないかと思っています。
 今回の声は、2,000~3,400Hzと幅が広い、「チリリ」がないか、1音ということで、シロハラの可能性が高いと思っています。
 過去のブログを見ると、同じ頃に同じような内容の記事を書いていました。
2021年4月 4日
http://syrinxmm.cocolog-nifty.com/syrinx/2021/04/post-b446dc.html
2020年4月19日
http://syrinxmm.cocolog-nifty.com/syrinx/2020/04/post-01227d.html
 上記の2021年は、音質は似ているものの節の違いがけっこうあります。2020年は、昨日の朝のものと極めてよくにています。同じ節があるほどです。もしこれが個体差ならば、3年間は生きていたシロハラがいたことになります。

2022年3月28日 (月)

文化放送に出演予定-ご案内

 文化放送は、今年で開局70周年です。
 それを記念して、各番組では番組どおしのコラボが行われています。
 私が担当している「朝の小鳥」も「阿川佐和子&ふかわりょう 日曜のほとり」とコラボします。なぜかというと、デレクターのM馬さんによると「小鳥とほとりが似ているため」だそうです。
 ということで、次の日曜日の午前10時台で鳥の話をいたします。
 「朝の小鳥」のナレーション担当の鈴木純子さんが、「朝の小鳥」の歴史などを解説、そのあと私が2人の鳥についての質問などを受けて、野鳥の魅力を話せたらと思っております。生放送、リモートでの出演です。知識のあるお二方のしきりですから、どのように番組が展開していくのか、楽しみでもあり不安でもあります。
 いずれにしても、日曜日の午前中のひととき、鳥の話題を提供いたします。

 

阿川佐和子&ふかわりょう 日曜のほとり
 出演者 :阿川佐和子、ふかわりょう
 4月3日(日)10:00-12:00
 番組のURLです。
  https://www.joqr.co.jp/qr/program/hotori/
インターネットラジオradikoで1週間以内であればタイムフリーで聞くことができます。

2022年3月26日 (土)

不明の声-六義園

 六義園の名物のシダレザクラは、4分咲きとなりました。良いタイミングで休園がとけたことになります。また、人出も少なく密にならずに花見ができるのは、何年ぶりのことでしょう。
 さて、そろそろいろいろな鳥がさえずり始めるのではないかと思い、早朝にタイマー録音をしかけました。明日は天気が荒れそうですので、今朝にかけました。
 残念ながら、ネグラにしているハシブトガラスたちの寝起き、ヒヨドリ、さえずりは遠いシジュウカラのみでした。
ただ、不明な鳴き声が1声、録れました.
DR-05で録音、ボリュームの増幅、1,000Hz以下のノイズの軽減、ノイズリダクションをかけています。

 鳴いた時刻は、午前4時14分。まだ、かなり暗い時間帯です。前後でカルガモが警戒じみた声で鳴いていますので、このケモノに対して警戒しているのかもしれません。
 六義園では、タヌキとハクビシンが見られ、アライグマの痕跡も見つかっています。ケモノの鳴き声図鑑がありませんので、鳴き声から識別できないのが悩みです。
 備忘録としてアップしておきます。

2022年3月25日 (金)

日本で最初の鳥のレコード-その2

若気のいたり
 悟堂にしてみれば、蒲谷は小学校5年生の時からめんどうをみた弟子、日本野鳥の会東京支部の援助によって録音した音源だから日本野鳥の会のものという認識だったのでしょうか。また、今でも野鳥の音源には著作権がないと堂々と言う放送関係者がいるくらいですから、当時の悟堂に著作権についてしっかりとした考え方があったとも思えません[注1]。
 そのため蒲谷は、同じく音源を使われている星野温泉社長の先々代の星野嘉助に「レコードは音源が主で、解説は刺身のツマのようなもの」という主旨のことを手紙を出したか、直接言ったそうです。しかし、星野はそのまま悟堂に伝えてしまいました。その結果「文学者である俺の文章を刺身のツマとは何事だ。蒲谷は生意気だ」ということで、絶縁を言い渡されたそうです。今となっては「若気のいたり」と蒲谷は言いますが、当然の主張であります。
 その結果、蒲谷はそれまで日本野鳥の会東京支部の援助によって録音した音源や機材を日本野鳥の会の当時の幹事の一人に渡し、援助していただいた方々には新宿の中村屋で食事会を開き、のちに制作したレコードを差し上げてお礼をしたそうです。そして、日本野鳥の会の蒲谷ではなく個人としての蒲谷鶴彦として活動をしていくことになります。
 ところが悟堂に渡した音源は、その後さまざまなレコードや当時一世を風靡したフォノシート[注2]に転用されている可能性があります。日本の野鳥のレコードリストを見ると、1960年代に発売されたレコードやフォノシートのなかで悟堂の手によるものは「日本野鳥の会収録」となっているものが何種類も発売されています[注3]。

Record2

真下弘さんによると1960年、1963年、1965年の『野鳥の歌』というタイトルが付いているものは形態が違いますが、内容は同じとのこと。レコード会社が同じで、なおかつ収録されている種名が日本最初の鳥のレコード『野鳥の声』と同様のため、蒲谷の音源が使用されています。

『朝の小鳥』に専念
 このころ蒲谷は、ラジオ番組『朝の小鳥』が1959年より放送が毎日となったため毎週、取材旅行をしてはシナリオ執筆し音の編集をして、スタジオでナレーションを収録するという過密スケジュールをこなすことになります。さらに毎年、少なくとも1タイトルのレコードなどを制作するという精力的な活動をしています。そのため当時、悟堂がどのようなレコードやフォノシートを出していたかご存じなく、もう済んだこととあまり気にされていません。
 なお『野鳥の声 第3巻』の解説書には、蒲谷の抗議を聞き入れたためか各巻の音源提供者の名前が列記され「蒲谷鶴彦、蒲谷芳比古」の名前がかろうじて入っています。”かろうじて”というのは、1巻、2巻の音源提供者の名前のなかに3巻のオオハクチョウの音源を提供した星野嘉助、そしてまったく関係のない鈴木孝夫の名前がなぜか入っていて、肝心の蒲谷兄弟の名前は後ろにあるという悟堂の意地を感じる表記だからです[注4]。
 しかしその後、蒲谷によると悟堂のところに結婚のあいさつにいったときは「おめでとう」と率直にお祝いしていただき別段しかられることもなかったとのこと。また後年、文化放送の担当者が悟堂の取材にいった時には、このエピソードに触れ「蒲谷君に悪いことをした」と語っていたそうです。
 黎明期の頃のことといってしまえばそれまでですし、悟堂と蒲谷の間でどのような細かいやりとりがあったのか今となってはわかりません。しかしながら、戦後の野鳥史にひとこまとして、記録と記憶に残しておきたいエピソードです。(2005年1月10日・起稿)

 

[注1]野鳥の音声を録音した場合、著作隣接権が生じると判断しています。著作隣接権は、著作物の創作者ではなくとも著作物の伝達に重要な役割を果たしている実演家、レコード製作者、放送事業者、有線放送事業者に認められた権利です。なお、著作権と同等の権利があるとされています。
[注2]若い人には、フォノシートは説明がいるかもしれません。ソノシートとも言いました。ボール紙のように厚いビニール製のレコードに対して、紙のように薄いビニール製のレコードです。同じように、溝が掘ってあって、レコードと同じプレイヤーで聞きます。薄いために本の表紙の裏に添付することもできました。今で言えばマルチメディアの先駆けでした。ただ、音はあまりよくなく、録音できるカセットテープの登場と普及で衰退してしまいました。
[注3] 私の調べでは、少なくとも下記の7点が該当します。
 日本野鳥の会・収録 1954-5 野鳥の声1-3 ビクターレコード [SPレコード各3枚]
 中西悟堂 1956 野鳥と共に-高原の鳥- 日本ビクター社 [SPレコード1枚]
 中西悟堂 1960 野鳥の歌 日本ビクター社 [LPレコード(25cm)2枚]
 中西悟堂 1963 野鳥の歌 日本ビクター社 [フォノシート4枚]
 中西悟堂 1965 野鳥の歌 日本ビクター社 [LPレコード(30cm)2枚]
 中西悟堂、本田正次 1967 原色県花・県鳥 東雲堂出版 [フォノシート1枚+184p]
 中西悟堂・監修 1976 日本野鳥大全集 日本ビクター社 [LPレコード枚数3枚]
[注4]当初、中古のため解説書が添付されていませんでした。その後、飯塚利一さんよりコピーをいただき、その内容を知ることができました。いずれもB6判、モノクロ、16ページの小冊子です。鳥の解説が中心で、最後のページには山階芳麿や黒田長禮の推薦の辞が見開きにわたって掲載されています。
 なお、第一集のあとがきには「尚、本録音は直接には本会軽井沢支部長星野嘉助君、東京支部幹事蒲谷鶴彦君、並びに蒲谷芳比古君のふだんのご努力を煩わしましたが、そもそも鳥声録音なる事業を実行に至らしめた課程については、東京支部諸氏の盛り上がったご声援を頂き、且つ直接間接のご助力を頂いておりましたし、とくに同支部幹事鈴木孝夫君は、蒲谷君ご兄弟と相提携して録音にも当たっておりましたことを、この際、本会として感謝の意を表するものであります。」
 星野さんと鈴木さんにかなり気を使っているような文章と読み取れますが、録音のほとんどを行った蒲谷兄弟はないがしろにされている感じは否めませんね。
 第2集には、あとがきはあるものの録音者については記述はなく、スタッフの記述もありません。
 第3集は、ブログに書きましたようにあとがきの下に下記のような表記となっています。

 Record1

2022年3月24日 (木)

日本で最初の鳥のレコード-その1

 先日の記事「日本野鳥の会、初めての探鳥会の写真の謎」で、日本で最初のレコードの蒲谷鶴彦さんの音源を悟堂さんが勝手に使ったと書いたところ、もっと詳しく知りたいという希望がメールで寄せられました。
 お断りしておきますが、拙文は悟堂さんを批難するためのものではありません。当時としては著作権の概念はないか極めて希薄な時代であり、考えが及ばないことだったと思います。その後、和解もしており、ことさら取り上げるべきことではないかもしれませんが、歴史の一コマとしてアップするしだいです。
 なお、以下のエピソードは、蒲谷鶴彦さんに話をうかがい原稿に起こしたものです。さらに、蒲谷さんには目を通していただき、訂正すべきところは訂正しています。そのため、アップするにあたり「てにをは」程度の訂正はしていますが、起稿した2005年当時のままです。

レコード『野鳥の声』の謎
 日本で最初に発売された野鳥の声のレコードは、ビクターの『野鳥の声』です。3巻で構成されており、1,2巻が1954年、3巻が1955年に発行されたと『中西悟堂会長業績』(日本野鳥の会事務局編・1978)に書かれています。これ以前に野鳥の鳴き声のレコードは、どのリストを見ても出てきませんので、この第1巻が記念すべき日本最初の野鳥の声のレコードという栄冠に輝きます。
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 このレコードの1巻と3巻を偶然、古本市で見つけたのは『野鳥を読む』(アテネ書房・1994)の執筆の準備をしているときでした。厚紙の表紙のなかに紙の袋があって、各巻3枚、78回転のSPレコードが入っている、いわゆるアルバムの形となっています。表紙には、収録されている鳥たちのイラストがちりばめられ、大時代的というか懐かしい感じのデザインです。持つとずっしりとした重さ、今のCDには望むべきもない重厚な趣があります。その後、中西悟堂が解説を書いた小冊子が挟み込まれていることがわかりました。さらに、紙袋に入ったばら売りのものを見つけましたので、アルバムでない形での販売もされていたようです。
 このレコードを聴いてみると、SPレコード特有の素朴な音で暖かみを感じます。鳥によっては、高音域が歪んでいたり低音域のボリュームが低いところがあるものの50年前に手作りの録音機で録音されたとは思えないクリアでリアルな音に驚かされました。
 このレコードを入手できたおかげで『野鳥を読む』には、日本最初の野鳥の声のレコードとして紹介することができました。しかし、レコードには推薦者の名前が麗々しく並んでいるのに、レコードにとっていちばん大事な音源提供者の名前がないのです。レコードには、単に”日本野鳥の会収録”と表記されているだけで、誰が録音をして編集をしたのかわかりません。そのため『野鳥を読む』の本文では、下記のような表現にとどめました。
「ジャケットには、日本野鳥の会収録となっている。そのころの日本野鳥の会は、中西悟堂の自宅が連絡先で職員もおらず、もちろん鳥の声のライブラリーなどない。前記の業績(日本野鳥の会事務局編・1978)のリストに入っているので中西悟堂が録音したのであろうか。しかし、随筆のなかに鳥の声の録音の苦労話はない。当時から鳥の声の録音を行っていた蒲谷鶴彦氏の音源を使用しているのはないだろうか。」と、いささか歯切れが悪い文章となりました。
 後に、この一文が蒲谷鶴彦先生の目にとまり、当時の経緯をうかがうことができました。日本の野鳥録音の最大のエポックである最初のレコードに収録者の名前がない謎を知りたくて、蒲谷先生にはお手をわずらせるインタビューを行いまとめてみました[以下、敬称略]。

音源は蒲谷兄弟だった
 私が推測したとおり、『野鳥の声』全3巻の音源は1件を除いて蒲谷のものでした。このシリーズの第1集は野鳥のコーラス、ウグイスなど15種類、第2集が16種類、第3集が10種類、合計41種類が収録されています。このうち、第3集のオオハクチョウは先々代の星野嘉助が録音したもので、それ以外の40種類は蒲谷の音源とのこと。とくに、第1集は日本で最初のレコードであり、すべて蒲谷が録音した音源が使われているにかかわらず名前がどこにも表記されていません。日本で最初の鳥の声のレコードの音源の提供を行ったのにも関わらず、その栄誉に浴すことができなかったことになります。それには、日本で初めてのレコードを巡って隠れたエピソードがあったのでした。
 蒲谷の最初の録音は、1951年7月19日の御嶽山のコノハズクです。このときは、弟の芳比古が自作した録音機で電源を神社から借りての録音、今では考えられない苦労のたまものです。そして、軽井沢などで機材をリヤカーに積んでは、別荘から電源を借りて録音していた時代です。これらの機材は今では考えられないお金がかかり、それを日本野鳥の会東京支部の有志の方々が援助をしてくれたからこそできたと、蒲谷は語ります。
 ラジオの文化放送が放送を開始したのは、この翌年の1952年。「収録・構成は蒲谷兄弟でした」と番組の最後のナレーションが印象的だった『朝の小鳥』の放送が開始されたのは開局の翌年の1953年、レコードの発売までおよそ1年。まだ、蒲谷が20歳代の時のことです。
 レコード『野鳥の声』の制作については、日本野鳥の会会長(当時)の中西悟堂によって話は進められたと思われます。もう、このころのことになると蒲谷も覚えていません。しかし、築地にあったビクターのスタジオに赴き、音源の編集をしたことを覚えていらっしゃいます。そして、レコードができあがったということでワクワクして手に取ってみると、ご自身の名前がなかったことに唖然としたそうです。(つづく)

2022年3月13日 (日)

『朝の小鳥』スタジオ収録-4月は北浦の水鳥

 本日は、文化放送の『朝の小鳥』のスタジオ収録でした。
 zoomでの参加です。
 4月は、茨城県北浦の鳥たちです。北浦は若い頃に1度、行ったことがあります。帆引網漁を見たかったのですが見られず。どこを歩いたのか、どこに泊まったのかももうおぼえていません。秋で雰囲気はとてもよかったのですが、鳥は少ない印象がありました。
 今回は季節が変わって、水温む北浦の春の音を伝えられたらと思います。
 カンムリカイツブリが巣作りをしているという情報をいただき、おもむき取材したときの音源です。私の世代にとってカンムリカイツブリは、どちらかというの珍鳥の部類に入るほど数の少ない鳥でした。それも冬鳥でした。
 学生時代に狭山湖にいるとのことで、行ったことがあります。広い貯水池のなかほどにポツンといるカンムリカイツブリをプロミナー(当時)で、かろうじて確認した記憶があります。
 そのカンムリカイツブリが、日本で最初に繁殖したと報告されたのは、1972年青森県の小川原湖です。2年後の1974年に蒲谷鶴彦さんは、録音に行っています。
 小川原湖には行ったことがありますが、とにかく広い。地元の鳥仲間が案内してくれたそうですが、苦労されたことと思います。それ以前にカンムリカイツブリがあまり鳴かず声が小さいことで、思うように録音できなかったとおっしゃっていました。ですから、カンムリカイツブリは野鳥録音では難題と鳥だと思っていました。
 それが今では、冬の東京湾では千羽単位の群れで見られ、南では琵琶湖まで繁殖しているのですから隔世の感があります。まして関東地方で繁殖期の声が録れるとは、蒲谷さんには申し訳ない気持ちになってしまいます。
 蒲谷さんの時代に録れた鳥が録れなくなり、録るのに苦労した鳥が簡単に録れるようになる。録音をしていると鳥は、時代とともに変化するものだと実感します。
北浦の周辺では、里山の風景が広がっていました。それだけに野鳥も多く、まだ使っていない音源がたくさんあるほどです。さらに、北浦のあとに涸沼にも行きましたが、翌日は風が強く思うような音が録れなかったのは残念です。
 北浦と涸沼は、コロナが収まったら、また行きたい場所です。

 2022年4月 放送予定
 3日 アオジ
10日 カンムリカイツブリ
17日 セグロセキレイ
24日 カイツブリ

2022年3月12日 (土)

蹴ったのはイヌでした-日光

 先日の記事「蹴られた録音機-日光」の後日談です。
 日光在住の録音仲間から、記事を読んでメールをもらいました。
 なんでも、近所の方から「林のなかにあった機械を散歩中のイヌがいじってしまい、お詫びしたい。」と言われてしまったとのこと。私のブログを読んでいたため、場所と時間が一致するので、私の録音機であるとわかったそうです。
 ご近所さんは、ほぼ毎日この林道をイヌといっしょに散歩しています。私も挨拶をしたことのある方でした。何年か前、散歩中にヤマザクラの実を食べるツキノワグマに遭遇して以来、イヌに熊鈴をつけているそうです。ですから2人連れではなく、イヌに話かけているために2人いるように聞こえたことになります。
 録音機は、林道から一段上がって数m林に入った地面に置いてありました。林道を歩くイヌには、それでも録音機の臭い、あるいは私の匂いを嗅ぎつけて興味を持ったことになります。それにしても、イヌの嗅覚の鋭さに感心いたしました。
 まずは、木の上などイヌの近づけない場所に縛り付けるなど、一工夫することにします。
 タイマー録音や長時間録音については、歴史が短くどのようなことが起きるか、まだわからないことあります。鳥に影響を与えることが少ない、簡単にデータを収集できるというメリットはありますが、デメリットもあることを知っておいて欲しいと思います。たとえば、自分の家の庭に録音機が置かれてあったらいやですものね。キャンプ場など施設での設置では、了解を得るようにしています。ただ、説明しても理解してもらえず、快諾を得られず不承不承ということがありました。知人は、お寺の境内で断られたこともあります。また、自然のなかの施設では連絡先が不明であったり、とれないこともあって、そうした場合どうするのかなど、課題もあります。
 広い自然のなかでのびのびと録音する、貸し切り状態での録音が理想的ですが、狭い日本でのこと。トラブルは、避けられないかもしれません。これからもデメリットの情報を集めて発信していきたいと思います。
 こうしたアクシデントを避けるために、情報を寄せていただきたいと思います。 

2022年3月 6日 (日)

まだ地鳴き-日光

 DR-05が、人に見つかるというアクシデントに見舞われたものの早春の音は、録れていました。
 さえずっていたのは、ミソサザイのみでした。近くで鳴いてくれたのは、ヤマガラ、エナガ、ミソサザイ、カケス、ハシブトガラスでした。この他、遠くでアトリなどです。
 夕方に置きに行き、昼前には回収にいったのですが、この時は小鳥の声はいっさいなく、カケスの姿が見えたのみでした。昼に行って鳥はいないと思っていると、大きな間違いであることがわかります。
 ヤマガラ。W24で録音、ボリュームの増幅、1,500Hz以下のノイズの軽減、ノイズリダクションをかけています。3分30秒にわたって、この鳴き続けていました。



 エナガ。DR-05で録音、ボリュームの増幅、1,500Hz以下のノイズの軽減、ノイズリダクションをかけています。4分30秒以上、鳴き続けていました。実は、録音機がトラブルに合う前のことで、エナガが警戒をしていたのかもしれません。 



 ミソサザイ。DR-05で録音、ボリュームの増幅、1,500Hz以下のノイズの軽減、ノイズリダクションをかけています。30秒間鳴き続けていた声です。この前には、3分間さえずり続け、45秒休んだところで、地鳴きを続けていました



 地鳴きは、種類によってはなかなか録れません。まず頻度が少ない、声が小さい、姿の確認ができないなど難易度が高いのです。今回、タイマー録音のおかけで録音することができました。

2022年3月 5日 (土)

蹴られた録音機-日光

 抗がん剤の休薬週間なので、体調もなんとか持ちそう。と言うことで、久しぶりの日光に行って来ました。
 いつものお気に入りの雑木林にタイマー設定をした録音を2台仕掛けて置いて翌日、回収に行きました。ところが、石の下に置いたはずのDR-05がむき出しとなり、布製のジャマーがはずれていました。
 写真は、前日の夕方に置いたときの状態です。2個の平な石を重ねて置き、マイク部分が出ています。
Recorder1
 翌日の状況です。石から飛び出した感じになり、録音機からジャマーが外れています。
Recorder2
 ケモノだと、キツネ、タヌキ、テンならば石を動かせそうです。鳥だと、ハシブトガラスができるかできないか微妙なところです。
 ということで録音中に原因が録音されていないか、チェックしました。なお、タイマー設定は午前5時から8時までの3時間です。
 録音されていたのは、なんと人でした。DR-05で録音、大きな音は削除しています。100Hz以下のノイズを軽減しています。

 どうも、男性2人連れの登山者のようです。クマ鈴の音がします。この季節は、まだ山菜は出ていませんので、良い天気に恵まれての山歩きでしょう。録音機は、林道から数mは入ったところに置いています。ですから、林道を歩いていて見えるところではありません。ただ、置いた近くにピンクのテープを小枝に結び付けてありますので、それで気が付いてしまったようです。
 「なんだこれ!」と言って、石を足で蹴ってどかして、下の録音を蹴り出してしまったようです。時刻は7時50分のこと、タイマー録音の残り時間わずか。幸いにして録音には、ほとんど影響ありませんでした。
 日光で、野生動物のためにトレイルカメラを置いて調査をしている知人によると、カメラの盗難が多いとのことです。そのため、ワイヤーで厳重に縛り付けるのだと聞いています。それだけに、持って行かれなかっただけでも幸いです。
 私自身の油断も反省しています。この道の先には別荘が2軒あり、どちらも顔なじみです。私からは良い録音ができるとCDを上げたり、住民からは落としたジャマーを拾っておいてくれる仲です。20年前は、この林道で登山者にときどき会いましたし、ハンター、山菜採りにも出会いました。しかし、先の道が消えかかっているので登山者が来ることもなくなり、日光のハンターは高齢化、山菜採りは福島原発の事故以来、激減しています。ですから、2軒の別荘の住民以外出会ったことはなく、人の来ないところと思っていました。
 どんなところでも対ヒトの対策を考えておくことと、再認識いたしました。
  

2022年3月 4日 (金)

日本野鳥の会、初めての探鳥会の写真の謎

1934(昭和9)年6月2、3日、日本野鳥の会の創立とともに静岡県須走で探鳥会が行われました。日本野鳥の会としては、初めての探鳥会です[注1]。バードウォッチングの歴史のなかで、最大のエポックかもしれません。
 この探鳥会の集合写真は、大きなインパクトがあります。鳥業界の先達の内田清之助、清棲幸保をはじめ、文壇画壇の有名人がキラ星のごとく並んでいるからです。北原白秋、柳田国男、金田一京助などの名前を知らない人はいないでしょう。もし、この写真が無かったらイメージが伝わらず”初めての探鳥会”の意味が半減したかもしれません。
 それだけ価値の大きな写真ですが、誰がこの集合写真を撮ったのかよくわからないです。
写真は、ネット上にアップされているのを散見しますが、著作権をクリアしているとは思えないものもあります。下記のサイトの写真は、悟堂の長女・小谷ハルノさんの許諾を得ているとのこと。ご覧いただければと思います。
https://hosigarasu.org/about-haikei_history.html
 この写真で不思議なのは、この一枚しか出てこないのです。
 もし、プロのカメラマン、当時ならば写真館の主人が撮ったとしたら複数枚撮影するはずです。そうしたら、違う写真があっても良いはずなのですがありません。私は、2004年6月2,3日に行われた日本野鳥の会70周年記念事業に参加しました。その結果を『日本野鳥の会70周年記念事業 記念碑・記念探鳥会』(日本野鳥の会・2004)の報告書をまとめるお手伝いもしました。この記念事業では、第1回の探鳥会の再現も一つのイベントでした。そのため、このときも他の写真を探してもらいましたが、ありませんでした。
 あと、集合写真を撮り慣れた写真館の主人であれば、重なり合って顔が隠れてしまっている杉村楚人冠を横の空間に移動させていたかもしれません。印象としては、素人ぽい写真だと思いました。
 集合写真が、最初に本に載ったのは『野鳥と共に』(1935・巣林書房)でしょう。これには「第62図 富士山麓探鳥の一行」のタイトルがついています。そして、( )内に「著者撮影」と書かれています。ということは悟堂が撮ったことになります。しかし、本人が写っている不思議があります。
 ということで、本文を読むと「記念撮影をしたいからと、両班に集まって頂く。私がフィルタア(ママ)をかけたり、セルフタイマア(ママ)を取り付けたりしている間に、荒木画伯は16ミリで、一足お先に撮影される。(中略)奥村さんだけは撮影どころではなく、せっせと躑躅園を油絵にして居た」とあります。ということは、取り付けられたセルフタイマーの装置で撮影されたことになります。当時、すでにセルフタイマーがあったことに驚きです。現在でもあるシャッターに取り付けるタイプのものでしょうか。
 これで、素人ぽい写真と悟堂本人が写っている理由がわかりました。
 ところで、悟堂は膨大な記述を残しています。前記事でネタした野鳥という言葉の発想の経緯が変わってしまっているように矛盾や異なった記述に出会い戸惑います。今回の集合写真の撮影者についても同様です。
 雑誌『アニマ』の1979年5月号(No.74)「特集 バード・ウォッチング-鳥の行動をみる-」に、悟堂は「探鳥会とBirdwatching」と題し長文の原稿を寄せています。この投稿にはくだんの集合写真が掲載されています。キャプションには、参加者の名前の最後に「撮影者は平塚らいてう氏の夫君奥村博史氏」と書かれているのです。キャプションの文章は、アニマの編集部が書いたものではなく文体と内容から悟堂自身のものだと思います。
 ちなみに、奥村博史については「若いツバメ」の由来で一度記事にしています。
http://syrinxmm.cocolog-nifty.com/syrinx/2020/09/post-88027d.html
 この記事では、参加をしていながら集合写真に写っていない不思議を書いていますが、彼が撮影したのであれば理解できます。あるいは、本文にあるように油絵を描くのに夢中になって列に並ばなかったのでしょうか。
 なぜ「著者撮影」から、突然「撮影者は平塚らいてう氏の夫君奥村博史氏」になったのでしょう。
 ひとつ考えられるのは、集合写真とはいえ著作権があるためではないでしょうか。写真の著作権は、あくまでも撮影者にあります。アニマへの投稿当時は、1970年に新著作権法となり著作者の死後38年から50年(現在は死後70年)に延びるなど、著作権という考え方が浸透していった時代です。
 ところが、悟堂さんは著作権について認識が極めて希薄な方でした。
 日本で最初の鳥のレコード『野鳥の声1-3』(1954-1955・ビクターレコード)は、星野嘉助さんのオオハクチョウをのぞいてすべて蒲谷鶴彦さんの音源ですが、名前は出てきません。そのため、星野さんに相談したところ、そのまま悟堂さんに伝わり蒲谷さんは絶縁されます。さらに、蒲谷さんの音源は、それ以降の”日本野鳥の会・収録”として、レコード、フォノシートなどに使用されます。私は、少なくとも7点の使用を確認しています。いずれも蒲谷さんにギャラは支払われていませんし、録音者としての名前も記載されていません。悟堂さんにしてみれば、弟子のものは自由に使って良いくらいの感覚だったと思われます。
 アニマの平凡社はコンプライアンスのしっかりした会社でしたので、著作権についても厳密に対応していた印象があります。そのため、本人が写っているのに著者撮影の疑問から、撮影当時の状況を悟堂から聞き出し、キャプションの変更になった可能性があります。
 今や確認のしようがありませんが、有名な集合写真をめぐっても、悟堂さんは謎を作ってくれたことになります。

注1:この「初めての探鳥会」は、正しくは”日本野鳥の会として”ということになります。それまでも、同じようなイベントは須走はもとより各地で行われて、鳥類視察旅行などの名称が使われています。集団で鳥を見ることを探鳥会と名付けたのは、このイベントが初めてと言うことになります。なお『野鳥と共に』(1935・巣林書房)では、「富士鳥巣見学会」というサブ・タイトルで報告されていて、まだ探鳥会という名称を使うのをためらっている印象があります。

2022年3月 2日 (水)

また不明の高い鳴き声-六義園

 2月下旬になれば、野鳥たちがさえずり始めるのではないかと思い、天候を見ては六義園に向けて早朝に録音をしていました。しかし、今年はシジュウカラがさえずり初めた以外、ハシブトガラスとヒヨドリくらいしか録音できませんでした。種類が少ない上に皆鳴き声が遠く、数も少ないのではないかと思いました。
 今朝録音されたのは、1月31日の記事とはまた違った高音の鳴き声です。
 4声あり、時刻は午前7時23分、7時27分05秒、7時27分39秒、7時44分。いずれも、明るくなっている時刻です。2声目と3声目は30秒以上の間ですが、一声鳴いたら、その後長い間が空いています。
 DR-05でタイマー録音、4,000Hz以下のノイズを軽減、ノイズリダクションをかけています。

 声紋パターンは、つぎのようなものです。モノラルに変換して見やすくしています。

_2022_03_02_18_30_03_417  
 声紋表示の天地は0~24,000Hz、左右は27秒。メインの音は、7,000~8,500Hzにかけて✔マーク、あるいはV字のようなパターンの声紋です。さらに15,000~16,000Hzにかけて倍音がはっきりとでる音です。実際は「ズーィ」あるいは「ツィーッ」と聞こえる声です。
 1月31日の高音については、ヒヨ吉さんから「ビンズイではないか」のメールをいただきました。確かにビンズイの地鳴きに似ていますが、私は1度しか録音したことがなく、課題とさせていただきました。今回の高音もビンズイの地鳴きに似ています。ただ、少し音が高いかなという印象です。また、私の唯一のサンプルと声紋パターンを比較すると、逆V字、山型である違いがあります。ただ、地鳴きには、警戒、自己主張、存在の確認などの意味と効果の違いがあるはずです。その違いかもしれず、重ねて課題となりました。
 ちなみに六義園では、ビンズイの記録があります。数日間、滞在したこともありますので可能性はゼロではありません。
 いずれにしても、ハシブトガラス、ヒヨドリ、シジュウカラ以外の鳴き声が録れて、ちょっとうれしい今朝でした。

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