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2022年3月24日 (木)

日本で最初の鳥のレコード-その1

 先日の記事「日本野鳥の会、初めての探鳥会の写真の謎」で、日本で最初のレコードの蒲谷鶴彦さんの音源を悟堂さんが勝手に使ったと書いたところ、もっと詳しく知りたいという希望がメールで寄せられました。
 お断りしておきますが、拙文は悟堂さんを批難するためのものではありません。当時としては著作権の概念はないか極めて希薄な時代であり、考えが及ばないことだったと思います。その後、和解もしており、ことさら取り上げるべきことではないかもしれませんが、歴史の一コマとしてアップするしだいです。
 なお、以下のエピソードは、蒲谷鶴彦さんに話をうかがい原稿に起こしたものです。さらに、蒲谷さんには目を通していただき、訂正すべきところは訂正しています。そのため、アップするにあたり「てにをは」程度の訂正はしていますが、起稿した2005年当時のままです。

レコード『野鳥の声』の謎
 日本で最初に発売された野鳥の声のレコードは、ビクターの『野鳥の声』です。3巻で構成されており、1,2巻が1954年、3巻が1955年に発行されたと『中西悟堂会長業績』(日本野鳥の会事務局編・1978)に書かれています。これ以前に野鳥の鳴き声のレコードは、どのリストを見ても出てきませんので、この第1巻が記念すべき日本最初の野鳥の声のレコードという栄冠に輝きます。
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 このレコードの1巻と3巻を偶然、古本市で見つけたのは『野鳥を読む』(アテネ書房・1994)の執筆の準備をしているときでした。厚紙の表紙のなかに紙の袋があって、各巻3枚、78回転のSPレコードが入っている、いわゆるアルバムの形となっています。表紙には、収録されている鳥たちのイラストがちりばめられ、大時代的というか懐かしい感じのデザインです。持つとずっしりとした重さ、今のCDには望むべきもない重厚な趣があります。その後、中西悟堂が解説を書いた小冊子が挟み込まれていることがわかりました。さらに、紙袋に入ったばら売りのものを見つけましたので、アルバムでない形での販売もされていたようです。
 このレコードを聴いてみると、SPレコード特有の素朴な音で暖かみを感じます。鳥によっては、高音域が歪んでいたり低音域のボリュームが低いところがあるものの50年前に手作りの録音機で録音されたとは思えないクリアでリアルな音に驚かされました。
 このレコードを入手できたおかげで『野鳥を読む』には、日本最初の野鳥の声のレコードとして紹介することができました。しかし、レコードには推薦者の名前が麗々しく並んでいるのに、レコードにとっていちばん大事な音源提供者の名前がないのです。レコードには、単に”日本野鳥の会収録”と表記されているだけで、誰が録音をして編集をしたのかわかりません。そのため『野鳥を読む』の本文では、下記のような表現にとどめました。
「ジャケットには、日本野鳥の会収録となっている。そのころの日本野鳥の会は、中西悟堂の自宅が連絡先で職員もおらず、もちろん鳥の声のライブラリーなどない。前記の業績(日本野鳥の会事務局編・1978)のリストに入っているので中西悟堂が録音したのであろうか。しかし、随筆のなかに鳥の声の録音の苦労話はない。当時から鳥の声の録音を行っていた蒲谷鶴彦氏の音源を使用しているのはないだろうか。」と、いささか歯切れが悪い文章となりました。
 後に、この一文が蒲谷鶴彦先生の目にとまり、当時の経緯をうかがうことができました。日本の野鳥録音の最大のエポックである最初のレコードに収録者の名前がない謎を知りたくて、蒲谷先生にはお手をわずらせるインタビューを行いまとめてみました[以下、敬称略]。

音源は蒲谷兄弟だった
 私が推測したとおり、『野鳥の声』全3巻の音源は1件を除いて蒲谷のものでした。このシリーズの第1集は野鳥のコーラス、ウグイスなど15種類、第2集が16種類、第3集が10種類、合計41種類が収録されています。このうち、第3集のオオハクチョウは先々代の星野嘉助が録音したもので、それ以外の40種類は蒲谷の音源とのこと。とくに、第1集は日本で最初のレコードであり、すべて蒲谷が録音した音源が使われているにかかわらず名前がどこにも表記されていません。日本で最初の鳥の声のレコードの音源の提供を行ったのにも関わらず、その栄誉に浴すことができなかったことになります。それには、日本で初めてのレコードを巡って隠れたエピソードがあったのでした。
 蒲谷の最初の録音は、1951年7月19日の御嶽山のコノハズクです。このときは、弟の芳比古が自作した録音機で電源を神社から借りての録音、今では考えられない苦労のたまものです。そして、軽井沢などで機材をリヤカーに積んでは、別荘から電源を借りて録音していた時代です。これらの機材は今では考えられないお金がかかり、それを日本野鳥の会東京支部の有志の方々が援助をしてくれたからこそできたと、蒲谷は語ります。
 ラジオの文化放送が放送を開始したのは、この翌年の1952年。「収録・構成は蒲谷兄弟でした」と番組の最後のナレーションが印象的だった『朝の小鳥』の放送が開始されたのは開局の翌年の1953年、レコードの発売までおよそ1年。まだ、蒲谷が20歳代の時のことです。
 レコード『野鳥の声』の制作については、日本野鳥の会会長(当時)の中西悟堂によって話は進められたと思われます。もう、このころのことになると蒲谷も覚えていません。しかし、築地にあったビクターのスタジオに赴き、音源の編集をしたことを覚えていらっしゃいます。そして、レコードができあがったということでワクワクして手に取ってみると、ご自身の名前がなかったことに唖然としたそうです。(つづく)

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