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2022年3月25日 (金)

日本で最初の鳥のレコード-その2

若気のいたり
 悟堂にしてみれば、蒲谷は小学校5年生の時からめんどうをみた弟子、日本野鳥の会東京支部の援助によって録音した音源だから日本野鳥の会のものという認識だったのでしょうか。また、今でも野鳥の音源には著作権がないと堂々と言う放送関係者がいるくらいですから、当時の悟堂に著作権についてしっかりとした考え方があったとも思えません[注1]。
 そのため蒲谷は、同じく音源を使われている星野温泉社長の先々代の星野嘉助に「レコードは音源が主で、解説は刺身のツマのようなもの」という主旨のことを手紙を出したか、直接言ったそうです。しかし、星野はそのまま悟堂に伝えてしまいました。その結果「文学者である俺の文章を刺身のツマとは何事だ。蒲谷は生意気だ」ということで、絶縁を言い渡されたそうです。今となっては「若気のいたり」と蒲谷は言いますが、当然の主張であります。
 その結果、蒲谷はそれまで日本野鳥の会東京支部の援助によって録音した音源や機材を日本野鳥の会の当時の幹事の一人に渡し、援助していただいた方々には新宿の中村屋で食事会を開き、のちに制作したレコードを差し上げてお礼をしたそうです。そして、日本野鳥の会の蒲谷ではなく個人としての蒲谷鶴彦として活動をしていくことになります。
 ところが悟堂に渡した音源は、その後さまざまなレコードや当時一世を風靡したフォノシート[注2]に転用されている可能性があります。日本の野鳥のレコードリストを見ると、1960年代に発売されたレコードやフォノシートのなかで悟堂の手によるものは「日本野鳥の会収録」となっているものが何種類も発売されています[注3]。

Record2

真下弘さんによると1960年、1963年、1965年の『野鳥の歌』というタイトルが付いているものは形態が違いますが、内容は同じとのこと。レコード会社が同じで、なおかつ収録されている種名が日本最初の鳥のレコード『野鳥の声』と同様のため、蒲谷の音源が使用されています。

『朝の小鳥』に専念
 このころ蒲谷は、ラジオ番組『朝の小鳥』が1959年より放送が毎日となったため毎週、取材旅行をしてはシナリオ執筆し音の編集をして、スタジオでナレーションを収録するという過密スケジュールをこなすことになります。さらに毎年、少なくとも1タイトルのレコードなどを制作するという精力的な活動をしています。そのため当時、悟堂がどのようなレコードやフォノシートを出していたかご存じなく、もう済んだこととあまり気にされていません。
 なお『野鳥の声 第3巻』の解説書には、蒲谷の抗議を聞き入れたためか各巻の音源提供者の名前が列記され「蒲谷鶴彦、蒲谷芳比古」の名前がかろうじて入っています。”かろうじて”というのは、1巻、2巻の音源提供者の名前のなかに3巻のオオハクチョウの音源を提供した星野嘉助、そしてまったく関係のない鈴木孝夫の名前がなぜか入っていて、肝心の蒲谷兄弟の名前は後ろにあるという悟堂の意地を感じる表記だからです[注4]。
 しかしその後、蒲谷によると悟堂のところに結婚のあいさつにいったときは「おめでとう」と率直にお祝いしていただき別段しかられることもなかったとのこと。また後年、文化放送の担当者が悟堂の取材にいった時には、このエピソードに触れ「蒲谷君に悪いことをした」と語っていたそうです。
 黎明期の頃のことといってしまえばそれまでですし、悟堂と蒲谷の間でどのような細かいやりとりがあったのか今となってはわかりません。しかしながら、戦後の野鳥史にひとこまとして、記録と記憶に残しておきたいエピソードです。(2005年1月10日・起稿)

 

[注1]野鳥の音声を録音した場合、著作隣接権が生じると判断しています。著作隣接権は、著作物の創作者ではなくとも著作物の伝達に重要な役割を果たしている実演家、レコード製作者、放送事業者、有線放送事業者に認められた権利です。なお、著作権と同等の権利があるとされています。
[注2]若い人には、フォノシートは説明がいるかもしれません。ソノシートとも言いました。ボール紙のように厚いビニール製のレコードに対して、紙のように薄いビニール製のレコードです。同じように、溝が掘ってあって、レコードと同じプレイヤーで聞きます。薄いために本の表紙の裏に添付することもできました。今で言えばマルチメディアの先駆けでした。ただ、音はあまりよくなく、録音できるカセットテープの登場と普及で衰退してしまいました。
[注3] 私の調べでは、少なくとも下記の7点が該当します。
 日本野鳥の会・収録 1954-5 野鳥の声1-3 ビクターレコード [SPレコード各3枚]
 中西悟堂 1956 野鳥と共に-高原の鳥- 日本ビクター社 [SPレコード1枚]
 中西悟堂 1960 野鳥の歌 日本ビクター社 [LPレコード(25cm)2枚]
 中西悟堂 1963 野鳥の歌 日本ビクター社 [フォノシート4枚]
 中西悟堂 1965 野鳥の歌 日本ビクター社 [LPレコード(30cm)2枚]
 中西悟堂、本田正次 1967 原色県花・県鳥 東雲堂出版 [フォノシート1枚+184p]
 中西悟堂・監修 1976 日本野鳥大全集 日本ビクター社 [LPレコード枚数3枚]
[注4]当初、中古のため解説書が添付されていませんでした。その後、飯塚利一さんよりコピーをいただき、その内容を知ることができました。いずれもB6判、モノクロ、16ページの小冊子です。鳥の解説が中心で、最後のページには山階芳麿や黒田長禮の推薦の辞が見開きにわたって掲載されています。
 なお、第一集のあとがきには「尚、本録音は直接には本会軽井沢支部長星野嘉助君、東京支部幹事蒲谷鶴彦君、並びに蒲谷芳比古君のふだんのご努力を煩わしましたが、そもそも鳥声録音なる事業を実行に至らしめた課程については、東京支部諸氏の盛り上がったご声援を頂き、且つ直接間接のご助力を頂いておりましたし、とくに同支部幹事鈴木孝夫君は、蒲谷君ご兄弟と相提携して録音にも当たっておりましたことを、この際、本会として感謝の意を表するものであります。」
 星野さんと鈴木さんにかなり気を使っているような文章と読み取れますが、録音のほとんどを行った蒲谷兄弟はないがしろにされている感じは否めませんね。
 第2集には、あとがきはあるものの録音者については記述はなく、スタッフの記述もありません。
 第3集は、ブログに書きましたようにあとがきの下に下記のような表記となっています。

 Record1

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