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2022年11月28日 (月)

古い絵はがきの年代は?-六義園

 ネットオークションで、六義園の絵ハガキを手に入れました。
 カラー印刷ですが、見るからに古く時代を感じさせる絵ハガキです.

P1120305

 いったいいつの時代のものなのか、いつ頃の六義園の風景なのか、推定してみたいと思います。
 撮影場所は吹上浜からで、奥は左の心泉亭から正面の玉藻磯、右の灯籠、池には蓬莱島が写っています。手前は、吹上にあった桟橋に数人の来園者がいます。桟橋の左には、今はないヨシの植生が見えます。また、いかにも手作りの柵、手前の大きな岩は今はありません。現在では、池の岸まで芝生が植えられ、岸辺には立つことはできなくなりました。下掲の写真は、昨日にほぼ同じ位置から撮影したものです。季節は異なりますが、六義園そのものは大きな変わりがないように思います。

P1120309

 ただ、この位置からではマンションが写ります。また、今では樹木が生長していることがわかります。とくに、池のほとりにある大きなサツキがまだ小さいですね。
 季節は、女性のノースリーブのワンピースと全体の光線の感じは初夏を思わせます。ただ、樹木のなかに紅葉か立ち枯れしているような木があり、違和感があります。また、吹上からは午前中だと逆光になります。順光に写っていますので、昼間近かか昼過ぎの間もない時間だと思います。女性のファッションは、いかにも戦後の昭和時代を思わせます。左にいる女の子の髪型はおかっぱ。私の子ども時代の女の子は皆、この髪型でした。
 年代の手がかりは、もう一つ。絵ハガキの宛名面に「東京都観光協会」の文字がありました。この協会名を検索すると今はないことがわかりました。現在の公益財団法人東京観光財団の前身のようです。この組織は、何度か名前を変えていて、サイト内の沿革を見ると、昭和10(1935)年に東京府観光協会として設立し、昭和36(1961)年に社団法人東京都観光連盟になったとあります。ですから、東京府から東京都になった1943年から1961年まで、東京都観光協会と名乗っていたと考えられます。
 ということは、少なくとも写真は1961年以前に撮影されたものではないかと推測できます。私が生まれたのは1950年ですから、10才前後の頃になります、
 時代は高度成長期。東京オリンピックの開催が1964年ですから、開催に向けて東京の観光スポットを紹介する絵ハガキを協会が制作したものかもしれません。
 昭和40(1965)年頃から六義園の売店に関わっていたI高さんにおたずねしたところ、結婚して通いはじめた頃の風景で懐かしいとしみじみと絵ハガキを眺めていました。ただ、手作りのような柵は見たことはなかったとのことでした。数年で少しずつ変わったようです。
 いずれにしも、戦後であることは間違いないと思います。それも、1960年前後ではないかと、推測いたしました。

 

注:絵ハガキの写真は、撮影者に著作権があります。死後70年権利があります。仮に1950年に撮影して、すぐお亡くなりになっていれば、著作権は消滅していることになります。ただ、これを確認する手立てはありません。そのため、このような絵ハガキがありますということで、風景の一部になるよう絵ハガキそのものではない撮影の仕方をしています。もし、著作権者から権利を侵害しているというクレームがありましたら削除いたしますので、あらかじめご了承いただきたいと思います。

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