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2022年12月10日 (土)

「野の鳥は野に」は、誰が考えたのか-その1

 日本野鳥の会の理念のなかに「日本野鳥の会は、1934年の発足当初から、創設者中西悟堂が唱えた『野の鳥は野に』という自然を本来のままに保護する主張を一貫して掲げてきている。」と書かれています。これは、日本野鳥の会のWebサイトにアップされています。
https://www.wbsj.org/about-us/report/principles-and-activities/principles-and-activities-1 
 この日本野鳥の会の理念は、私が職員だった時代に理念について何も書かれたものがないのはおかしいということから当時の塚本洋三副会長が中心となって、1990年頃に制作されたものです。私は、もっと平易な文章、である調ではなくですます調の方が良い。ときおり使われる難解な単語を使わないほうが良いという意見を言いました。市田専務理事から役員への反抗と取られ、叱られた思い出があります。
 今読み返して見ると30年前に作られたものですが、現在でも十分通用する内容だと思います。塚本副会長の苦労のたまものでしょう。
 しかし当時、私は日本野鳥の会のカレンダーを始め印刷物を制作する仕事が多かったのですが、「野の鳥は野に」のキャッチを使ったことは、ありませんでした。もっぱら私が中心となって日本野鳥の会のキャッチフレーズとして考案した「野鳥も人も地球のなかま」の方が多用しました。今でも、日本野鳥の会のWebサイトのトップにある会長と理事長あいさつの前にこのフレーズがアップされているのは、当時このコピーのために企画書を作った苦労を思い出し、正直うれしい気持ちになります。
 思い出話はこのくらいにして、「野の鳥は野に」の初出を調べてみました。
 ここ10年ほど日本野鳥の会のスローガン、悟堂(以降、敬称を略します)が提唱して「野の鳥は野に」がよく出てくるようになりました。まず、ウィキペディアの「中西悟堂」の項には、野鳥を造語したの前に『「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こした。』とあります。
中西悟堂協会のサイトには、”野の鳥は野に”のタイトルとともに「(前略)中西悟堂が『野の鳥は野に』を理念に昭和9年(1934年)に『日本野鳥の会』を創設し、戦後も日本の自然保護に力を尽くし、『人類にして鳥類』と評されるほど多くの国民に影響を与えた人物です。」とあります。
 ひとつに、悟堂の伝記『野の鳥は野に―評伝・中西悟堂』(小林照幸・2007)のタイトルの影響があるかもしれません。印象としては、この頃から「野の鳥は野に」をよく聞くようになったと感じています。
 まず、「野の鳥は野に 中西悟堂」などでネット検索してみました。
 ヒットしたなかに、黒田長久さんが日本鳥学会の会誌によせた悟堂への追悼文がありました。長久さんは、悟堂の2代あとの日本野鳥の会の会長を務めました。「紙碑」は1985年2月号に掲載されたものです。学者だけに悟堂を客観的に見ており、同じ業界で同じ世代を過ごした仲間の一文は、他の方たちの追悼文とは異なり、悟堂像の一面を垣間見ることができました。
 このなかに「それは、野の鳥は野にの悟りであった(「野鳥と共に」p.174参照)。「野鳥」という呼び名は、この時彼らに与えられた心の底から生れたものであったろう。」という一節がありました。これが「野の鳥は野に」でヒットしたキーワードとなりました。また、「野鳥」を造語とは書かず「彼らに与えた」言葉であるというセンスは、長久さんならではの言い回しでしょう。
 ただ『野鳥と共に』の174ページには「野の鳥は野に」の言葉はありません。該当ページの主旨は「放し飼いは多くの人に興味を貰っているが、はたして鳥たちのためなっているのであろうか」という疑問から「自身も自然のなかで、鳥と接したい」という思いにいたり『できることなら私の方から山野に出かけて、山野のあいだで鳥と直接親しみ且つ観察したい』と書いています。なお、この一文は175ページになります。
 「野の鳥は野に」にの言葉はなくとも、長久さんのご指摘のとおり主旨は「野の鳥は野に」であり、日本野鳥の会の発会、探鳥会の実施、『野鳥の共に』の執筆という流れの中で、悟堂の頭のなかに「野の鳥は野に」の思想が、萌芽していたことがわかります。しかし、「野の鳥は野に」のフレーズそのものはありませんでした。(つづく)

 

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