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2023年1月 7日 (土)

黒田長久さんのことーその2

 ここで黒田長久さんの略歴をネット情報などからまとめておきます。
 1916年11月23日に生まれ、 2009年2月26日に93才で亡くなっています。死因は、急性腎不全とあります。長久さんについては、どこが悪いという話を聞いたことはありませんでしたので、急なことだったと思います。
 九州の福岡藩黒田家19代当主になります。関ヶ原の戦いで、徳川側の武将として活躍した黒田長政が先祖。「酒は飲め飲め飲むならば」の黒田武士の黒田です。長久さんも、この歌を歌うことがあり、まさに正調「黒田武士」です
 江戸時代、黒田家の屋敷は江戸の水源のひとつである溜池を埋め立てた地域にありました。現在の地名で言えば、赤坂、溜池、虎ノ門付近にかけてあった広大な敷地の屋敷でした。今ある議員会館も議員宿舎も黒田家の土地だったと聞いています。敷地のなかには鴨場もありました。この他、羽田にも鴨場を所有していました。大森貝塚を発見した「モースの日記(注:1)に黒田家の鴨場に行ったエピソードが書かれていますが、どちらの鴨場でしょうか」と、長久さんに聞いたことがあります。「羽田でしょう」とお答えだったと記録しています。
 父の長禮さんは、日本最初の鳥類研究者の一人で、論文数の多さでは、日本一かもしれません。私は一度、山階さんのパーティでお会いしたことがあります。すでに老境の域に達した感があり枯れ木のような感じで椅子に座っておりました。とても、話かける勇気はありませんでした。
 ちなみに長禮さんの曾お爺さんの黒田斉清(くろだ なりきよ)も博物学に傾倒し、当時来日したシーボルトと会見しています。博物学や生物学に造詣の深い家系で育ったことになります。
 長久さんの学歴は、学習院高等科を経て東京帝国大学理学部動物学科で鎌田武雄教授に学んだとあります。最初の職歴は、外務省で戦況が悪化し徴兵され5年間を近衛師団(天皇を守る役割を持った軍部)で陸軍中尉となります。ここでも、鳥との縁を切ること無く、伝書鳩を扱う鳩班長を務めていました。戦後は、1946年11月、GHQ水産局野生生物課長として日本に赴任した鳥類学者オリバー・ルーサー・オースティン・ジュニアと出会い、1947年から2年半、オースティンのもとで通訳や翻訳を手伝ったようで、いわば日本人秘書の役割をはたしていたようです。
 オースチンとは、日本の鳥類のようすを報告書にまとめています。たいへん入手しづらい資料ですが「GHQが調査をしたら、アホウドリやタンチョウが絶滅していた」という根拠となった報告書となります(注:2)。
 オースチンが昭和23,4年頃に撮影した「赤坂黒田邸から国会議事堂を望む」は、当時平屋のお屋敷の前に並んだ長久さんと奥さん、そして庭の向こうに国会議事堂が写っています。今ではビルに囲まれた黒田家がいかに国会議事堂に近いところにあったのかよくわかる写真です。また、オースチンと長久さんは、プライベートな写真を撮る、録らせる関係であったことになります。
 奥さんは、海軍中将・醍醐忠重侯爵の娘、和子さんです。
 著書は、多数あります。そのなかで大著であるとともに、日本の鳥学の発達に欠くことのできないタイトルとして、次の2冊が挙げられると思います。
 『動物系統分類学10(上)脊椎動物(Ⅲ)鳥』 (1962) 中山書店
 『鳥類生態学』 (1982) 出版科学総合研究所
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 この2冊は、鳥を研究する者にとっては。大きな指針となる内容です。なによりも分類も生態もこの本に書かれていることからスタートできるのですから、基礎の基礎をたどれることになります。
 私は、30代のときに父を亡くし同じ肝炎にかかっていることがわかり検査入院しました。そのとき、皆が働いているのに自分はベッドで寝ている悔しさから、本を読みまくりました。この2冊もそのとき、マーカーを引きながら読みました。これらの本を読んで思ったのは「今までこんなことも知らないで、よく連盟職員が務まったなあ」という反省です。先生と言われたり専門家ヅラしていたことを恥じました。
 ですから、探鳥会でこの本に書かれていることを披露するとリーダーに「へえ」と言う顔もされると困るのです。そのぐらいは、知っていて欲しいことなのです。あるいは、その質問は、この2冊を読めと言いたくなります。さらに、友人知人の書棚にこの2冊が並んでいないのは、不勉強だと思ってしまいます。(つづく)

 

 写真は、いつどこでか不明。私の髪型から日本野鳥の会退職後であることは間違いありません。中央に蒲谷さんが写っている貴重なスリーショットです。

Kuroda2

注1:エドワード・シルヴェスター・モース 1989 日本その日その日1~3   東洋文庫(原著は。1917年にボストンのHoughton Mifflin Harcourt社が出版)

注2:Austin,O.L.、 黒田長久 (1953) The Birds of Japan,Their Status and Distribution Bulletin of Museum of Comparetive Zoology at Harvard Collge Vol.109,No.4 ハーバード大学出版局

 

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