考証

2022年1月17日 (月)

誰が中西悟堂に鳥を教えたのか?-その1

 日本野鳥の会が昭和9(1934)年に発足して、須走探鳥会を行います。当時39才だった中西悟堂は、野鳥の名前を教え解説をし野鳥に詳しいオジさんとして登場します。
 それまでは野鳥を放し飼いにしている変わったオジさんから、これは面白いから会を作ろうまで悟堂を巡って周りが動き出したことになります。飼育されていた鳥は、おそらく数10種にすぎません。ですが、探鳥会を実施した須走には、もっとたくさんの野鳥がいるはずですし目の前で飼っている鳥の名前を言い当てるのと、遠くで鳴いている鳥の名前がわかるのではバードウォッチングの技量、知識はまるで違います。
 中西悟堂は、いったいどこで誰に野鳥を教わったのか、気になって調べました。
 私は、中学生時代に数年独学で鳥を見ていました。いつまでたっても、鳥の名前がわからないで苦労いたしました。たとえば、ツグミがわかりませんでした。しかし、日本野鳥の会東京支部(当時)の探鳥会、それも明治神宮という身近なところでの探鳥会に参加するようになって格段と野鳥がわかるようになりました。そのため、教わった幹事のK泉さん、I頭さん、K田さんなど名前を忘れることはありません。また、新浜探鳥会はマニアックでより厳しめの指導を受けました。その時の幹事のK野さん、A海さん、S水さんなどの名前を思い出します。大学の同好会では、先輩のT村さんから体育会系のようなバードウォッチングの指導を受けました。かよう、野鳥を教わった先生、諸先輩のことは忘れることはできないのです。
 松山資郎の『野鳥と共に80年』(1997)には、日本野鳥の会の創立の頃の話として「そのころ中西悟堂さんについて私が知っていたのは『蟲、鳥と生活する』(昭和7年7月)の著者であった。(中略)文学者だということだけしか知らなかった。」とあります。日本鳥学会、農商務省の鳥獣で調査を行い鳥類研究の王道にいた松山にしても、悟堂は鳥仲間としての存在は希薄だったことがわかります。それが突然、日本野鳥の会として活動を始めるわけですから、多少の戸惑いを感じています。いわば師匠の内田清之助にたのまれて不承不承、手伝ったという感じです。ですから悟堂が当時の王道の方たちと交流があってバードウォッチングを教えてもらった、学んだということはなさそうです。
 なお、私が独学で野鳥を学ぼうした昭和30年代は、図鑑が何冊が出版されていました。また、鳥を解説した書籍も神保町に行けばたくさん並んでいて、そこそこの知識を得ることができました。しかし、悟堂が鳥を学んだ頃は、野外で鳥を見るためのアイテムは貧しい時代です。ただ、大図鑑時代で内田図鑑(1914)、黒田図鑑(1934)、山階図鑑(1934)が揃っていました。以前、拙ブログに書いたように日本の大陸侵攻に伴って朝鮮バブル、満州バブルの時代で、好景気のなか大図鑑が出版されたことになります。
 また、ハンディな図鑑は、日本で初めてとも言える下村兼史の『原色鳥類図譜』(1932)が日本野鳥の会創立の2年前に出版されていますが、未見です。アップしたのは、6年後に改題して発行された『原色野外鳥類図譜』(1938)の下村兼史によるイラストです。当時のイラストのレベルであれば、おもな鳥の野外識別は可能であったと思われます。
P1110976
 不明なのは、双眼鏡の普及状況と価格です。軍用品ということで入手不可だった可能性があります。あるいは、カメラなどの光学機器の価格からかなり高価であったと想像できます。また、戦前の双眼鏡を見るとポロタイプで倍率は6倍、中央繰り出しではなく左右別々にピントを合わせるもの(現在の視度調整が左右に付いていると思ってください)であり、すばやい操作を要求されるバードウォッチングには一苦労したものと思われます。
 ところで、悟堂は自伝を何度も書いているので野鳥をどこで誰に教わったか、すぐに見つかると思いました。たとえば、『定本野鳥記 5巻』(1964)のサブタイトルは「人と鳥」であって、11人が登場します。当然、載っているものと思いましたが、関連する記述はありません。
 このような困ったときに開くのが『野鳥』誌の「25周年記念特集号」(1960)です。分厚い特集号のグラビアには「恩顧の人々ⅠからⅤ」や「思い出のアルバム」というコーナーがあって、81枚の写真が収録されています。ここにも残念ながら、野鳥を教わった人というようなタイトル、謝辞のある写真を見つけることができませんでした。
 ただ、同じ特集号のなかに悟堂の書いた「日本野鳥の会25年史 第1回」に日本野鳥の会の創立の目的を「富士須走で年々高田昴氏の教えを受けたり、小島銀三郎翁の鳥屋場でのただ見るだけの野鳥の習性を見届けたい」とあり、悟堂は高田昴と小島銀三郎から鳥を教わったようです。これがヒントになり、今回の考証となりました。(つづく)
[敬称は、略させていただきました。]

 

2021年12月24日 (金)

貴方は昭和のバードウォッチャー?

はじめに
 昭和時代が終わって30数年たってしまいました。この年の瀬、昭和生まれの私にとって昭和は遠くなりにけりと実感いたします。
 平成時代、日本野鳥の会の会員が1万人を超えて、アウトドアブームのなかバードウォッチャーが増えました。あれから30数年。バードウォッチングの傾向も変わり、新しい流れを感じます。当時、バードウォッチングを始めた友人の家に行くと、昭和時代に発行された本が並んでいます。その後、発行された新しい知識の詰まった図鑑や解説本は見当たりません。話をすると懐かしい昔話ができますが、昭和のバードウォッチャーがとり残されていることを感じました。
 ということで、貴方は昭和のバードウォッチングの知識で止まっていませんか?
 まずは、バードウォッチングの昭和度をはかるためのチェック項目です。昭和度が高ければ、これからは積極的に新しい知識を取り入れるようにしていただければと思います。そうすれば、野鳥をさらに楽しめると思います。お試しください。

 

■機材編
 望遠鏡のことをプロミナーという
 使用している双眼鏡は、ポロタイプの8×30
 オメガブランドの双眼鏡を使ったことがある
 野鳥録音は、パラボラが必要だと思っている
 録音機を回すと言ってしまう
 かつてのニコンの望遠レンズ、フォーカシングユニットの意味がわかる
 カメラの感度をASAと言ってしまう

 

■鳥学編
 伊豆沼で1万羽のマガンの中から2,3羽のシジュウカラガンを見つけるが楽しみだった
 北海道に行ったら、シマアオジだらけだった
 ツルシギ100羽の群れを見たことがある
 カワセミを「清流の宝石」だと思っている
 カッコウやホトトギスの仲間をトケンと言ってしまう
 北海道のタンチョウは、まだ1000羽以下だと思っている
 鳥島のアホウドリの数は500羽だと思っている
 オオムシクイをコムシクイだと思っている
 ニシオジロビタキをオジロビタキだと思っている
 ハヤブサ類はインコ類に近い仲間だと知らない
 リュウキュウコノハズクをセレベスコノハズクだと思っている
 日本のアホウドリは、2種類いることを知らない
 リュウキュウサンショウクイは、本州で越冬していることを知らない
 キジは、一夫多妻性だと思っている
 ジョウビタキは、日本で繁殖する鳥になったのを知らない
 イソヒヨドリは都会や内陸の鳥になったのを知らない
 日本三大探鳥地は、軽井沢、須走、比叡山だ

 

■一般教養編
 「鳥の群れがかぶる」の意味がわかる
 「木化け」が通じないで困ったことがある
 マイフィールドをホームグラウンドという
 野鳥図鑑は、1冊あれば良いと思っている
 野鳥への餌付けは、良いことだと思っている
 バードウォッチング専門誌の「Birder」を買ったことがない、そもそも存在を知らない
 ウンドミル(発電用風車)が野鳥に大きな影響を与えていることを知らない
 マイクロプラスチックが海鳥に悪い影響を与えていることを知らない
 太陽光パネルが自然にどのような影響を与えているか知らない
 旅行会社のバードウォッチングツアーの参加したことがない
 カラスの群れを見るとヒッチコックの映画「鳥」を連想する
 日本野鳥の会は財団法人だと思っている
 日本野鳥の会といえば、紅白歌合戦を思い出す
 日曜日の朝のNHK番組「さわやか自然百景」を「自然のアルバム」と言ってしまう
 
□採点
 あえて点数を付けません。お楽しみいただければ幸いです。これだけ引っかかった、たいしたことなかったと自己採点してください。その自己判断そのものが、昭和のバードウォッチャーの評価かもしれません。
 こうやって列記してみますと、最近のバードウォッチャーでもひっかる設問があるかもしれません。最新の研究の成果、鳥を取り巻く環境問題など、これらは情報を積極的に取り入れようとしないと入ってこない事柄です。
 日本野鳥の会の「野鳥」誌、文一総合出版社の「Birder」誌、日本鳥学会の学会誌、バードリサーチのメールマガジンなど。また、Facebookで山階鳥類研究所など学会系の方が発信しているニュースも最新の研究を知ることができます。ただ、これにはお金も時間もかかります。珍鳥ポイントで噂される不確かな情報、ネットに流される害毒とも言える書き込みに比べれば、それだけの価値があると思います。
 ネット上や珍鳥ポイントでの噂話の正誤を判断するのは、ご自身の知識と経験しかありません。昭和のバードウォッチャーから脱去するためにも日々精進です。

2021年9月19日 (日)

司馬江漢はセンカクアホウドリを見たか-続報

 一昨日、江戸時代の絵師・司馬江漢が平戸で見たのは、アホウドリに違いない。それも、もしかしたらセンカクアホウドリかもしれないという記事を書きました。
 さっそく、これを読んだS崎さんより、すごい情報をいただきましたので紹介させていただきます。
 S崎さんは、この鳥をどこかで見た記憶があり蔵書を調べたところ、京都府古書籍商業協同組合の『第21号京都古書籍・古書画資料目録』(令和2年6月発行)に司馬江漢≪水鳥図≫が載っていたとのことでした。添付された画像は、版画ではなく1点物の作品で表装されていました。

Shorttailed-albatross1

 江漢の著作権はありませんが、現在の持ち主の所蔵権はありますので、クレームがあった場合、削除いたしますので、あらかじめ了承ください。
 さて、大きく描かれている鳥は、肉をくわえたくちばしはピンク、頭から首の黄色、翼の白に黒い斑があることから、これもアホウドリに見えます。この鳥の左奥、遠くに3羽の同じ鳥が小さく描かれていますが、アホウドリが浮かんでいる姿そっくりです。
 例によって、添えられた文字を読むと大意は「名前は知らず、(略というか読めません)俗にダイ鳥、人の足元に来て肉を食らう、大きさ白鳥ほど有り、足鴨のごとし」ということで水かきのあることを示しています。
 この絵からもアホウドリであることは間違いないと思いますが、センカクアホウドリどうかの識別は難しいです。ただ、『江漢西遊日記』に描かれた絵が下絵で、これが本画である可能性もあり、平戸のアホウドリならばセンカクアホウドリかもしれません。
 S﨑さんによると、カタログでは120万円の価格が付いていたそうです。江漢が120万円は安いどうか微妙なところです。願わくば、博物館に所蔵されて欲しい資料です。
 S﨑さん、貴重な情報ありがとうございます。おかげさまで、情報を発信することで新たな情報を得ることができるネット時代の素晴らしさを実感することができました。

2021年9月17日 (金)

司馬江漢はセンカクアホウドリを見たか

 最近の鳥を巡る話題でセンセーショナルだったのは「アホウドリは2種いて、鳥島のアホウドリと尖閣諸島を繁殖地とするセンカクアホウドリがいる」でした。

 http://www.yamashina.or.jp/hp/yomimono/albatross/13two_spieces.html

 尖閣諸島にアホウドリが繁殖しているという報告は、領土問題が顕著化する以前にいくつかの報告があり気にはなっていました。それが別種であり、それもDNAから調べられたのですから間違いのない報告です。
 江戸時代には、鳥島と同じように尖閣諸島にもアホウドリのおびただしい数が繁殖していて、近世になって鳥島と同じように羽毛のために取り尽くされた歴史があります。鳥島については、動画記録があるなど、昔の栄華を知ることができますが、尖閣諸島についてはほとんど記録がないため、大きな問題にわりには知られていないのは残念です。
 江戸時代にセンカクアホウドリが記録されていないか、記憶をたどりました。『江戸のバードウォッチング』(1995)の執筆のおり、江戸東京博物館の図書室に通い、文献をあさったなかに司馬江漢(1747~1818)の『江漢西遊日記』(1815)があったのを思い出しました。
 江漢は、江戸時代の絵師です。西洋の画風を取り入れたり、当時としては型破りの芸術家だったと思います。私としては、たくさんいたはずのトキが浮世絵に描かれることがなく、江漢のみが描いているのを見つけています。
 『江漢西遊日記』の”西”は、江戸から見た西で、江戸から長崎までの旅行記です。 今では、ネットですべて読むことができます。

  https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1194191/5

 このなかに、センカクアホウドリと思われる鳥が登場します。時は天明9年(1789)の冬、場所は平戸あたり。ここでの鯨漁のことが、詳しく壮絶に描かれています。そのページの挿絵に「らい鳥」があります。

_2021_09_15_18_27_29_113

 絵を見る限りキジの仲間のライチョウではなく水鳥に見えます。絵の横には「くちばしはうす赤、頭はうす黄色、全身白、少し黒斑あり、沖カモメとも言う」とあり、これらからアホウドリであることは間違いないでしょう。
 また、このアホウドリは鯨漁の残飯を求めて集まって来たようです。私のつたない読解力で書かれていることを要約すると「この鳥、常に見る、鯨漁のときにどこからともなく来る。鯨を解体するとき重なるように来て、肉を食らうことしきりなり。陸を歩かない。大きさは白鳥のごとし」とあり、これらの記述からもアホウドリを想起させられます。
 センカクアホウドリは、アホウドリよりくちばしが細く短いという違いがあります。この絵の鳥も短めですが、全体のタッチからは区別は難しいかもしれません。
 なお、平戸は九州北部の長崎県ですから、太平洋側に繁殖地のある鳥島のアホウドリとは思えず、尖閣諸島などに繁殖地を持つアホウドリではないかと推測できます。クジラの解体とともに集まって来たのですから、もっと近くにある尖閣諸島以外の繁殖地から来た可能性もあります。
 いずれにしても江漢が見たアホウドリは、センカクアホウドリの可能性が大きいと思います。

2021年8月10日 (火)

音はどこから出ているのか

 暑さとコロナの蔓延、腰痛の3重苦のなか、読書と資料整理をしています。
 その間、面白い質問を受けたので考証してみました。
 「鳥は、くちばしを閉じても音が聞こえるが、どこから音を出しているのか」です。
 先日の芝川のオオヨシキリは、巣材をくわえたままさえずり、ふだんと変わらない節と音量で鳴いていました。私の過去の経験では、オオルリがさほど大きな口を開けていないのに、しっかりとさえずっていたのを観察したことがあります。また、ハシブトガラスも食べ物を口にくわえながら、大きな声で鳴いていたことがあります。
 人間は唇や舌、口腔をコントロールして音を出すのですから口にものが入っていたら、音を出しにくいことになります。鳥は、喉にある鳴管を震わせるのですから、くちばしや舌を使わないことになりますから、音を出せるということではないでしょうか。
 鳥がさえずっているシーンというと、大きな口を開けている動画や写真です。こうしたシーンを見慣れていると、この口がふさがっていたら音がでないと思ってしまうことがあるかもしれません。
 小鳥で言えば、皮膚の数mm下にある鳴管を震わせるのですから、喉から直接音が響いてくるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。また、ミソサザイなどがさえずっている様子を見ると、身体全体を震わせて鳴いています。いわば、全身で音をまき散らしているように見えます。
 このあたりの検証のしようがありませんが、音が出てくるのは口という先入観念は、鳥には通用しないのかもしれません。

2021年6月 6日 (日)

夜鳴くホトトギス類と鳴かないホトトギス類

 素朴な質問ほど、解答が難しいことがよくあります。
 あまりにも当たり前すぎて何の疑問もなかったことが質問を受けて気が付くと大きな課題であることに気が付きます。
 最近では「ホトトギスは、なぜ夜に鳴くのか」です。考えてみれば「ホトトギス類に夜鳴くものと昼しか鳴かないものがなぜいるのか」という疑問になります。
 とにかくこの季節、ホトトギスは良く鳴いています。一晩録音では、たえず鳴いています。ときにヨタカとの競演となり、野宿の目を覚まされます。ジュウイチも同じです。夜の録音をチェックしていて変わった声紋パターンが表れると、ジュウイチであることがよくあります。
 といって、ホトトギスもジュウイチも夜行性の鳥というくくりには入れられることはありません。昼間も鳴いているからです。しいていうならば、全日性の鳥ということになるのでしょう。
 いっぽうカッコウとツツドリが夜に鳴いているのを聞いたことも録音したこともありません。数あるカッコウとツツドリの中には、夜に鳴いた記録があるかもしれませんが、希な例だと思います。たとえば、今年の日光での録音から鳴き始めた記録を拾ってみると。
 ツツドリ 5月7日 午前4時21分。日の出時刻:4時42分(日の出前の21分前)
 カッコウ 5月29日 午前3時56分。日の出時刻:4時25分(日の出前の29分前)
 いずれも、日の出前の野鳥のコーラスが始まる30分前後の前に鳴き始めています。この時間帯は天気にもよりますが、晴天ならば明るくなっている時刻です。ツツドリもカッコウも昼行性の鳥であることは間違いありません。
 では、日本に最近進出して来たセグロカッコウは、どちらでしょう。私は、新潟県粟島での録音が最初です。このときは一晩録音に鳴きながら飛んで行くセグロカッコウをとらえることができました。時刻は午前2時頃、暗いなかです。ですから、セグロカッコウも昼間も良く鳴きますので、全日性の鳥と言えると思います。
 昨日、セグロカッコウの録音でお世話になったW辺さんから撮影に成功したとセグロカッコウの写真が送られてきました。拝見すると、とても可愛いのです。目がくりくりっとして可愛い印象の顔つきをしています。
 そこで気が付いたのですが、夜鳴くホトトギス類は目が大きいです。ホトトギス、ジュウイチも鳴きながら飛んでいます。粟島の渡って行ったセグロカッコウも闇夜のなかを飛んで行ったはずです。ある意味、フクロウ並の視力がなければ、鳴きながら飛ぶことはできないかもしれません。
 そう思ってカッコウとツツドリの顔を見ると、鋭い目つきをしています。顔の大きさに対して、目が小さい傾向があると思いました。
 顔の大きさとそこに占める目の大きさの比率をていねいに測定すれば、面白い結果がでるかもしれません。また、少なくともネットにアップされているこれらの鳥の写真をご覧いただければ、よろしいかと思います。
 この説のつっこみどころとしては、小鳥は夜渡るものが多いけど、目の大きさに違いがあるのかです。
 いずれにしても、なぜ夜も鳴くホトトギス類と鳴かないホトトギス類がいるのかの明快な説明はまだです。食性、托卵相手、それとも・・・。彼らの鳴き声を聞きながら、いろいろ想像してみていただければと思います。

2021年5月22日 (土)

中西悟堂はオオコノハズクの声を聞いたか?-その2

 紹介した中西悟堂の「オオコノハズクの鳴き声について」は、メインタイトルが「随筆四題」であったため見過ごしていた記事です。
 最初に見つけたのは、藤原広蔵さんの「オオコノハズクの鳴声について」です。同じ年の6号に掲載されています。実は、このタイトルは『野鳥大鑑』執筆のおりの参考文献としてリストアップしたあった記事です。『野鳥大鑑』では、主立った雑誌の12月号に載っている総目録をすべてコピーを取り鳴き声に関するタイトルを探して、私がマーカーで印をつけ編集者のM形さんがコピーを取ってくれました。それを、分類順にファイルケースに入れて執筆のさいに目を通すという作業をしました。
 タイトルとしては追認した記事にあたるこちらのほうをコピーしてあったのです。ですから、元の記事を読んだのは今回がはじめでした。
 しかし、藤原さんの記事も興味深いので、ご紹介いたします。
 藤原広蔵さんは、日本野鳥の会大阪支部の2代目支部長を務めた方です。前身の阪神支部は、京都支部に次いで昭和12年に創立された老舗です。野外識別の開祖ともいえる榎本佳樹や中西家書生岡田康稔らが幹事であり、その指導を受けています。支部の思い出のなかに、飼っていたオオコノハズクで木菟猟を実際に試した話があり、飼育をしていたようです。
 本題です。
 藤原さんは、
 一年通じて「フー」あるいは「ホー」と一声づつ鳴いた。
 「ホッ、ホッ、ホッ、ホッ」は、1年半ほど飼った間に1回だけ聞いた。
  「ポスカス」については、警戒したときに「フッ」とか「ホッ」とか聞こえる音を出し、続いて嘴を「カス、カス」と鳴らす。これを離れて聞くと「ポスカス」と聞こえる。
 ということで、ポスカスは鳴き声と嘴を叩く音の誤認ではないかと書いています。
 「中西註記」があり「(前略)『オーォ、オーォ』(尻が上がる)という優しい声があって、これは仲間に話しかける声である。さらに機嫌のいい時には、咽喉で声をころがすようにして『クルルルル、クルルルル』と鳴くことがあった。」と書かれています。残念ながら、ポスカスについてのコメントはありませんでした。
 私が聞いた嘴を叩く音は、「パッチ」という感じの音で鋭い印象がありました。このあたりはオノマトペの感覚の違いがありますので、なんとも言えません。ただ、当時のバードウォッチャーが関心を持っていた鳴き声であることは、間違いありません。

2021年5月18日 (火)

中西悟堂はオオコノハズクの声を聞いたか?ーその1

 野鳥の神様といわれる中西悟堂が、オオコノハズクの鳴き声をどのように聞いていたか気になり、調べてみました。
 『野鳥と共に』(1935・巣林書房)には、オオコノハズクを飼育した話が載っていますので、少なくとも飼育下の記録があるはずです。ただ、飼育していたオオコノハズクは『虫鳥と生活する』(1932・アルス)によると、最初はコノハズクだと思って飼っていたようで、まだ野鳥の識別の知識が普及していない時代の話として割り引く必要がありそうです。
 なお、『野鳥と共に』には、オオコノハズクが鳴いたという記述はありませんでした。また、悟堂は彼女と言っているのですが、雌雄の判別をどのように行ったのかも不明です。
 また戦前、悟堂が住んでいた善福寺周辺は武蔵野の雑木林が広がり、オオコノハズクが繁殖していた時代です。『武蔵野』(1941・科学主義工業社)の鳥の章を悟堂が担当しています。これには「善福寺風致地区の鳥」のリストがあり、オオコノハズクは一年中いる鳥になっています。この本には、樹洞から顔を出すオオコノハズクの写真が載っていて「オオコノハズクの営巣せる樹洞(井荻にて)」とキャプションが付いていますので、野外で鳴き声を聞く機会はあったはずです。ちなみに、井草は現在の23区内、杉並区の地名でです。
 ただ、面白いのは悟堂は「コノハズクは霊鳥だが、オオコノハズクは当たり前の鳥で、あまり価値がない」と思っていたようです。そのため、記録はぞんざいになっているかもしれません。
 今回、Birder誌への寄稿するに当たって、再度調べたら日本野鳥の会の雑誌『野鳥』の1953年5/6月号に中西悟堂の「オオコノハズクの鳴き声について」という小文があるのを見つけました。これは、「随筆四題」というタイトルで、宮古島のサシバ猟、旧友・鹿野忠雄博士のこと、ミルウォーム(ママ)が、他の3題です。
 1953(昭和28)年は、終戦から8年経っています。私が3才の頃で、まだお米は配給、復員してきた人が町にあふれ、戦後の混乱が続いたと思います。にも関わらず、野鳥誌が発行されています。もちろん、わずか36ページ、紙も悪く私の蔵書は茶色に変色しています。しかし、表紙のジョウビタキは川合玉堂です。数ある野鳥誌の表紙のなかで、1、2を競う素晴らしい絵です。

Yatyo1
 後記を読むと編集は、後に神奈川支部の支部長となった鈴木秀男さんでした。「思いがけない印刷所の事故のため」発行が遅れたことをわびています。当時は、そんなことがあったのですね。
  前置きが長くなってしまいました。悟堂が聞いたオオコノハズクの記述を要約します。
 オオコノハズクの鳴き声は、従来ポスカスとかフーッーが多い。
 私は、いずれも聞いたことがない。
 飼っていたものがヴォウ、ウォウ、ウォウ、ウォウ、ウォウしか鳴かなかった。
 しかるに最近、偶然知ったところでは、ホッ、ホッ、ホッともオッ、オッ、オッ、オッとも聞こえる声。
  アオバズクより低く、ホーとは声を引かず、4,5声続ける。
 「ホッ、ホッ、ホッ、ホッと区切って、4,5回つづけるその声は、私の受け取り方では、少しも不気味ではなく、優しい声だがやはり明らかにフクロウ類のタイプである。」
 と結んでいます。
  ホッホッ系であること、優しい声、ホーとは伸ばさないなど、記述を総合すると悟堂は、実際のオオコノハズクの鳴き声を聞いたことになります。お坊さんの悟堂が、木魚の音、あるいはリズムを連想しなかったことは気になりますが、よほど近いか飼育個体の可能性があります。また、小さな声、音であることが強調されていないことも室内で聞いた可能性を裏付けます。
 加えて「しかるに最近、偶然知ったところでは」では、いつどこでどのような状況で聞いたのか書いていないことも、飼育下の個体であるためかもしれません。
 いずれにしても「ポスカス」は、悟堂も聞いたことがなく、はたしてオオコノハズクなのか、それとも他の生き物の誤認なのか、謎の鳴き声です。
 
中西悟堂 1953 随筆四題 オオコノハズクの鳴き声について 野鳥 Vol.18,No.3,p18-19

2021年5月15日 (土)

『昭和の怪鳥・木魚鳥』-「野鳥」誌

 黒瀧山の木魚鳥の話を聞いた2009年当時、ネット検索したらヒットしたのは黒瀧山のある南牧村のサイトだけでした。その後、ときおり検索しましたが、拙ブログのタイトルが加わるだけ。今回、Birder誌からの原稿依頼を機会に検索したら、「野鳥」誌バックナンバー 1975年がヒットして『昭和の怪鳥木魚鳥』というタイトルが出てきました。ここ数年で日本野鳥の会の雑誌のタイトルがアップされたようです。
 『昭和の怪鳥木魚鳥』は、1975年1月号(No.340)の影山豊さんの記事でした。当時の野鳥誌は、樋口広芳さんの「鳥学講座」と高野伸二さんの「識別講座」の2本柱で、充実した内容でした。珍鳥情報も多く、この年の12月号には現会長の上田恵介さんの「大阪にシロハラクイナ」がありました。熱気が伝わってくる誌面です。
 財団法人になって5年、事務所と職員がいて活動が本格的になった頃です。ただ、職員は国民健康保険などに自前で入っていた頃で、今ならばブラックの烙印を押されたかもしれない事務所でした。
 そんな時代の誌面に、木魚鳥が載っていたのです。
 幸いにしてバックナンバーが手元にありましたので、記事をアップいたします。なお、蒲谷剛彦さんにお願いして影山さんの消息を調べてもらいましたが、すでにお亡くなりになっていました。そのため、掲載の承諾を得ることができません。もしご異存のある方がおりましたら削除いたします。 
Syouwanokaityou
 掲載誌面は「れたあず」、いわば雑誌の会員コーナーです。タイトルは「昭和の怪鳥木魚鳥」ですが、木魚鳥には「ポクポクドリ」のルビがふってありました。
 内容は、昭和49(1974)年の4月、影山さんのご近所の樹齢300年のケヤキの木から毎夕7時頃になるとかならず「ポクポクポク」という不気味な音がするようになった。近所のお寺の木魚の音かと抗議をしたが、お寺ではない。鳥の声らしいいうことになり、影山さんにお鉢が回ってきた。
 日本野鳥の会奥多摩支部の先輩・岡薫高さんもわからない。NHKに依頼して番組で取り上げられ新聞や週間誌に載ったために、毎晩2~300人の人が集まる騒動になった。警察は来るは、ゴミの始末に苦労する上に屋台が出る始末。
 高野伸二先生と蒲谷鶴彦先生にも来てもらったが、あいにくその夜は聞かれなかった。両先生に録音を聞いてもらったが「一度も聞いたことがない声だ」とのこと。
 この声は5月末頃まで聞かれ、6月になるとパッタリと止んだ。
 野鳥の会の方々で、正体を知っている方がいらしたら教えて欲しい。
 以上が、概略です。
 鳴く時期、時間、環境からかなりオオコノハズクの可能性が高いと思います。
 ただ、オオコノハズクの鳴き声は、かなり小さいので、話題になるほど聞こえるかという懸念もあります。影山さんが高野さんと蒲谷さんに聞かせたテープが残っていれば、確認できるのですが、今となっては無理でしょう。
 この記事を読んで、かすかに思い出しました。「謎の鳥の声がして屋台が出た」くらいの記憶です。当時、私は日本鳥類保護連盟の職員でした。高野さんは編集委員でほぼ毎月、蒲谷さんは企画委員で年1回、会議でお会いしております。お二人、あるいはどちらからか、聞いたのでしょう。たぶん、当時はそんなこともあるんだくらいの認識で、今となっては、もう少し詳しく聞いておくのだったと後悔しています。

参考文献
影山豊 1975 昭和の怪鳥木魚鳥 野鳥 Vol.40,No.1,p6-7

2021年5月 5日 (水)

トラツグミの鳴き声か?-六義園

 このところの六義園へ向けて行っている録音にトラツグミらしい鳴き声が入っていました。そのため、午後11時~午前7時までの8時間の長時間を行っています。
 昨夜の録音を見ると、この強風は今朝の6時前くらいからで、夜はそれほどでもありませんでした。そのため、深夜の状況をチェックするとトラツグミらしい鳴き声が録音されていました。
 TASCAM DR-05で録音、ボリュームの増幅、1,000Hz以下のノイズの軽減、ノイズリダクションをかけています。

 これが本当にトラツグミなのでしょうか。
 まず、録音されていたのは午前3時20分です。トラツグミらしい時刻です。
 ただ、19分の間に7声あるだけでした。ふつうトラツグミの間は3秒~4秒、いずれにしても秒単位です。昨夜の鳴き声は、間の長いところは7分24秒、短いところでも31秒の間隔が開いています。この鳴き声は昨夜だけでなく、以前にも録音されています。この長い間がトラツグミらしくないのです。
 ちなみに、ここにアップした音源は間を詰めています。
 夜中に7回高い音を立てる作業を行っているとも思えず、やはりトラツグミの鳴き声なのでしょうか。
 いずれにしても、このように長い間を開けて鳴くトラツグミに出会ったのは初めてです。

より以前の記事一覧

2022年1月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ