研究

2021年12月11日 (土)

伊香保の謎の鳥-鳴き声をアップ

 伊香保の謎の鳥は、蒲谷鶴彦先生のご存命の時より謎のままです。
 群馬県在住の森野洋一郎さんが録音され、蒲谷先生におたずねになったことがきっかけです。しかし、森野さんとは連絡が取れなくなり、謎がさらに深まったと当ブログで記事にしました。

 http://syrinxmm.cocolog-nifty.com/syrinx/2017/06/post-ed5b.html

 幸いなことに、このブログの記事を読まれた森野さんからコメントをいただきました。その後も連絡が可能となり、なんともインターネットの時代の便利さを改めて認識したしだいです。
 今回、森野さんから謎の鳥の音声をアップすることにより謎の解明に近づけるのではないかとご提案をいただきました。ということで、このブログにアップすることで、多くの方に聞いていただきたいと思います。また、同じような鳴き声を聞いた、あるいは録音できたという情報が寄せられることを期待しての公開です。

 音源の記録は、下記の通りです。
 録音:森野洋一郎
 日時:2001/05/26 03:50~04:50
 場所:群馬県立伊香保森林公園
 マイクから数百メートル先を、移動しながら断続的に鳴いていた。
 SONY TCD-D3(LINE INP), SONY ECM-959
 D3ヘッドアンプのノイズが多く、53dB 超低ノイズマイクアンプ使用。

 姿は、カッコウ、ホトトギスの仲間に見えたとのことです。
 そのため、ツツドリの亜種ではないかという説があることを紹介しておきます。
 ただ、ツツドリの分類がここ数年で変わっていますので確認しておきます。
 かつては、ツツドリはヨーロッパ東部から中国、日本まで繁殖分布しているCuculus saturatusとされていました。英名はOriental Cuckoo、またはHimalayan Cuckooが使われていました。日本のツツドリもこの学名が使われ、英名はOriental Cuckooでした。ただ、この種には亜種がいくつかあるとされていました。そのため日本のものは、亜種とした場合C. s. horsfieldiです。なお基亜種は、C. s. saturatusとなり、ヒマラヤから台湾まで繁殖分布しているグループとなります。
 参考のために亜種の時代の分布図を上げておきます(Dement’ev, G.P. & et al・1969)。

Oriental-cuckoo2

 最新の分類では、日本のツツドリの学名は、Cuculus optatusとなっています。そして、Cuculus saturatusの学名は、基亜種であったヒマラヤツツドリ(ヒマラヤカッコウと表記されていることもある)に付けられ別種としてあつかわれています。
 かつての種ツツドリは、ツツドリとヒマラヤツツドリ、スンダツツドリ(暫定の和名です。英名:Sunda Cuckoo、学名:Cuculus lepidus)
に分けられ、それぞれ種として分類されることになりました。このような改訂は、ツツドリばかりでなく多くの種で行われています。そのため、数年前の図鑑の記述では、旧称となっていることがありますので注意が必要となります。
 かつて蒲谷先生は、中学生が録音したセグロカッコウの鳴き声を同定し、日本初記録として発表されました(蒲谷鶴彦・1978)。結果、日本産鳥類が1種増えたことになりました。そして、今ではセグロカッコウの鳴き声が知られるようになり、各地で発見されるようになりました。
 森野さんから、お仲間の斎藤さんが録音されたセグロカッコウの鳴き声も送られて来ましたので、違いを知っていただくためにアップしておきます。セグロカッコウとの違いを聞き比べていただければと思います。

 音源の記録は下記の通りです。
 録音:斎藤 譲
 日時:2017/06/05 07:50~
 場所:群馬県立伊香保森林公園つつじの峰
 SONY ILCE-6000(α6000)AVCHD ハイビジョン動画から音響。群馬県で初めてのセグロカッコウ鳴き声確認、樹林帯で姿は未確認。


 謎の音声の公開により、日本産鳥類が1種類増えることになると、野鳥録音の醍醐味がさらに広まると思います。
 森野さん、斎藤さん、ありがとうございました。

参考文献
Dement’ev, G.P. & et al 1969 Birds of the Soviet Union Vol.I Israel Program for Scientific Translations
蒲谷鶴彦, 1978 セグロカッコウ(日本初記録)が鳥取県下に!-中学生がその声の録音に成功-野鳥 43(8):24-26. 日本野鳥の会

2021年10月13日 (水)

アオバズクの鳴き声-倍音の課題

 日本野鳥の会事務局のT岡さんから
「(アオバズクが)日の出近くで、ぼちぼち泣き止むというタイミングで、鳴き方が変わり、倍音?の入った声に変わりました。ややかすれた、色っぽい声になり、メスを誘っているのか?と勝手に想像してしまいます。一般的に、アオバズクは倍音が入った声で鳴くのでしょうか?」
 という質問をいただきました。だんだん、質問の内容が高度になってきて、そう簡単には答えられないものになってきました。
 ということで、倍音、またアオバズクの鳴き声について、調べて見ました。
 倍音の質問、かなり難問です。私自身、付け焼き刃の知識しかありませんので、間違っていたらごめんなさい。今までの知見からのコメントです。
 鳥の鳴き声によって倍音の有無、強弱があると思っています。蒲谷先生の時代の声紋表示では、倍音まで表示されませんでしたので、あまり語られることがありませんでした。しかし、コンピュータの発達により精密な分析が可能になった鳴き声の要素です。
 倍音があることで深みのある音、柔らかい音に聞こえますから、鳴き声の分析には重要な要素でもあると思っています。また、倍音の有無や強弱が、種類の識別の目安、個体識別の要素になると思います。
 アオバズクに限らず、近くで録音できると倍音が録れます。倍音がないと思っていたトラツグミも近くでクリアに録れたら倍音がかすかにありました。ですから、倍音は音が小さいため、音が大きく録れた場合、あるいは近くで録れた場合に得られると思っていました。しかし今回、アオバズクの倍音をチェックすると音の大きさより、鳴き方にあるかもしれないことがわかりました。
 私が録音できたアオバズクの音源をチェックしてみました。
 いずれも、新潟県粟島で録音。音声は、300Hz以下のノイズを軽減、ボリュームはそのまま、ノイズリダクションなどの加工はしていません。また、声紋は天地が0~3,000Hz、左右は0秒~約15秒です。
 粟島でアオバズクが鳴いている木の下に置いた録音機、これがいちばん大きく録れていた(-9db)には、1条の倍音が録れていました。

Brown-boobook1

 

 別の年に録音できた音の小さい音源ですが、倍音は4条ありました。

Brown-boobook2

 聞く限り倍音の多い方が少しこもった音に聞こえますが、大きな違いは感じません。
 別個体なのか、あるいは成長して声に張りがでるようになったのか不明ですが、音の大きさではないことになります。
 人間でも、甲高い声の出川哲朗と深みのある森本レオの違いがあり、声の魅力が異なるといったらわかりやすいでしょうか。
 これ以外、アオバズクの音源はたくさんありますが、倍音が表示されるほど大きく録れたことはなく、2例のみでした。
 なお、メインの音が-15dbの場合、1条目の倍音は-33dbでした。dbの計算は難しいのですが、ざっと10分の1のエネルギーしかない言えると思います。
 わずか2例ですが、T岡さんの録音のように倍音が出る鳴き方と出ない鳴き方をしている可能性もあるかもしれません。
 以前、日本鳥学会のポスター発表で、ツミの鳴き声で個体識別ができるというのがありました。いろいろな鳴き方の声紋が並んでいましたが、倍音はまちまちで、倍音の有無、強弱で個体識別の要素になるのではと指摘したことがあります。
 今のところ、同じ個体が倍音の有無、あるいは強弱の鳴き方をする、あるいは同じ種類でも倍音の有無や強弱があるという指摘は聞いたことがありませんので初知見になるかもしれません。
 倍音は意外と意外、大きな課題になるかもです。

2020年11月20日 (金)

コガラのさえずりの課題

 昨日、コガラのさえずりをアップしたところ、Facebookに興味あるコメントをいただきました。以前より課題としていた問題であり、ここで整理して起きます。もし、すでに観察、あるいは録音されていた方がいましたらご意見をいただければ幸いです。
 まず、関東地方のコガラの典型的なさえずりです。栃木県日光にて繁殖期2015年4月25日に録音したものです。

 ゆっくりと「ツチー、ツチー」を繰り返しています。はじめの「ツ」は3,500Hz、次の「チー」は5,000Hzと、1,500Hzほど高い音で鳴いています。他の音源では、4,400Hzと5~5,500Hzの音で鳴いているものもあり、高い低いの違いがあります。
 多くは、この2音の繰り返しでさえずっています。ただ、テンポがもっとゆっくりとした鳴き方、あるいはヒガラに近いほど早口の鳴き方をする場合もあります。逆にヒガラがゆっくりと鳴く場合もありますので、注意が必要な鳥です。
 そして、今回録音したバリエーションに似たコガラのさえずりです。日光で2014年3月9日にカミさんが録音したものです。

 やや早口で「チーチーチー」と繰り返しています。3,300から3,400Hzの間に音があります。昨日アップした音源では、2,800~3,600Hzに音があり「ツチー」に比べて低い音で鳴いています。厳密には昨日アップしたさえずりとは、声紋パターンに違いがありますが、聞くとほとんど同じように聞こえます。また少なくとも「ツチー」鳴きとは異なります。
 Facebookでは、日本野鳥の会オホーツク支部の花田行博さんから「この(「チーチー」)鳴き声、北海道のコガラと同じさえずりですね」さらに「本州で鳴く別な音声(「ツチー」鳴き)は北海道で聞いたことがありません。」とのコメントをもらいました。
 また、和歌山県の中村進さんからは「和歌山のコガラもこの(「チーチー」)声で囀ります。(略)高音の澄んだゆっくりと囀る囀りは聞いたことがないのです。」とのことでした。
 要するに北海道と和歌山県のコガラは「チーチー」鳴きで「ツチー」はしないことがわかりました。逆に関東地方のコガラは「ツチー」が主で、「チーチー」鳴きをときどきするということになります。
 コガラがさえずるのは、夏鳥の渡ってくる前の早春です。また、早朝で鳴きやんでしまうことがあります。身体が小さなだけに声量も少なく、録音のしづらい鳥でもあります。いつも見て聞いているようで、意外と録音していないことに気が付きました。図鑑の記述もCDに収録されている音声も関東地方在住の筆者が多かったため「ツチー」鳴きが流布されてしまったようです。少なくとも、今回の記事から地方による違いがありそうです。そして、普通種のコガラでさえ、こんな基本的なことがわかっていなかったに気が付きました。
 野鳥録音が全国に広がることで、少しでも是正されて行くと良いですね。そして、これから新しい知見がいくつも見つかるかと思うと楽しみです。

2019年12月30日 (月)

一度に2つの声を出せる-クロツグミ

 以前から気になっている野鳥の鳴き声についての課題があります。
 たとえば、『鳥類学』(2009・Frank B. Gill)の「鳥類は2つの独立した声をもつ」というコラムには、鳴管の左右の筋肉を別々に動かすことで異なった音を同時に発声して、よりさえずりを複雑にすることができると書かれています。翻訳本なので、具体的な例としてアメリカのモリツグミの声紋が載っています。
 日本の鳥で一度に違う音を出している例はないか、探してみました。
 ウグイスなど単純な節でさえずる鳥の声紋は見慣れていますが、声紋が重なって見えることはありません。おそらく、複雑なさえずりをするタイプの鳥が怪しいとオオルリやクロツグミに、あたりをつけて探してみました。
 音源をチェックすると、ヒヨドリやセンダイムシクイなどほかの鳥の声と重なっていたり、遠いために声紋が明瞭に出ないなど、思うようなサンプルを見つけるのは、たいへんでした。オオルリもクロツグミも、音が重なっているさえずりはなかなか見つかりません。基本、このような鳴き方をするタイプは少ないことは間違いなさそうです。
 最近のものから、チェックしていったのですが、昔に録音したクロツグミにそれらしい鳴き方をするものを見つけました。
 栃木県日光で1997年5月29日に録音したもので、まだDATの時代に外付けしたステレオマイクで録音しています。録音は23分28秒あり、この間休みなく鳴き続けていました。録音する前から鳴いていましたので、30分以上はさえずり続けていたと思います。
 このクロツグミは、節のパターンが10以上あり、これを不規則に繰り返していました。その節のなかにときどき声紋が重なっている部分がありました。なお、黄色の濃い部分と同じパターンで、上に出る色の薄いものは倍音で重なっている音ではありません。違うパターンで、同じ濃さの黄色が2つめの音です。
 以下、声紋とその部分の節の音源を上げておきます。なお、天地は0~24,000Hz、左右はそれぞれ違いますが、5秒程度です。
 1パターン。

Japanese-thrush1_20191230111901
 なかほどの「チュイーッ、チュイーッ」と聞こえる部分で、音が重なっていました。

 2パターン。

 Japanese-thrush2

  後ろのほうの「チーッ」という短い声の部分で、重なっています。

  3パターン。

 Japanese-thrush3

 後ろ部分の「チューチチ、チーッ」と2つの句で、重なっています。

 このような2つの音が重なった節は、ときどき出てくるだけです。また、5,000Hz前後、あるいはそれ以上の高い音の場合にやっている傾向がありました。いずれも、野外で聞いて「今、重なった音で鳴いた」とわかるものではないと思います。
 よりさえずりを複雑にする手段として鳴管の左右別々に器用な雄がもてるのか、次の課題です

2019年12月 5日 (木)

日本野鳥の会神奈川支部の「BINOS 第26集」

 日本野鳥の会神奈川支部より、研究論文集「BINOS 第26集」が送られてきました。
 Binos1
 毎年のことながら、ありがとうございます。
 論文4編、観察記録8編、調査記録3編が収録されています。この他、神奈川支部の行事や活動報告もあります。A4版112ページ、立派なものです。
 4編の論文のうち2編が、タイマー録音を駆使してのデータ収集を行っています。とくに、巻頭を飾ったこまたんと吉村理子さんの「行徳野鳥観察舎に保護されているアオバトのタイマー録音による鳴き声調査-はじめての繁殖期を迎えた前年生まれの個体の鳴き声」は、飼育下のアオバト幼鳥の鳴き声を8ヶ月にわたって録音しています。同じようにこまたんの「多摩動物公園におけるアオバトのタイマー録音による鳴き声調査-飼育下における鳴き声の季節推移とのその機能についての考察」では、雌も鳴くことを知りました。そして、それほど雄も鳴かないことも確認されました。どうりで、なかなか録音できないわけです。
 この他、観察記録の牧野田節子さんの「神奈川県大磯町高麗山におけるコウライウグイスの観察記録」は、録音データから声紋による確認をしています。これには、私もアドバイスをしたために謝辞を賜りました。
 この他にも興味深い発表が収録されています。
 どうぞ、詳しい内容、お申し込みは下記のサイトでご確認いただければと思います。
  http://wbsjk.blogspot.com/
  なお、2019年12月5日現在、まだ26集の内容、申し込みについての情報はアップされていませんが、いずれアップされると思います。

2019年10月29日 (火)

日光の鳥の古記録-シマエナガ

  『日光の植物と動物』(1936)の中の岸田久吉が書いた「日光の鳥類」には、シマエナガがリストに載っています。
 ヤマゲラがいるのですから、シマエナガがいてもおかしくないと思います。しかし、最近ではエナガの眉の薄いタイプが千葉県と東京都で記録されていて、その誤認の可能性もあると思ってしまいます。
 ということで、本文を当たってみます。
  「7.日光の秋の鳥界」の項のリスト、シジュウカラ科の欄に「シマエナガ」があります。また、「8.日光の冬の鳥界」の表にも「シマエナガ(!)」となっています。ビックリ・マーク付きです。この他、イスカ、ナキイスカ、ベニバラウソにも(!)が付いています。シマエナガは、秋から冬の鳥になっています。
 本文を読むと、鳥屋で捕獲されたことのある鳥の名前が並んでいて、そのひとつにシマエナガが出てきます。この文節は「佐藤善氏によると」と、書き始められ日光の鳥屋の歴史や方法が書かれているので、話の流れから、シマエナガなどの記録も佐藤氏の談なのでしょうか。いずれにしても伝聞記録で剥製があるわけではありませんし、岸田の観察記録もありませんでした。
 鳥屋は「とりや」ではなく「とや」と読みます。かすみ網猟で小鳥を捕らえて、捕らえた小鳥を市場に卸したり、その場で酒肴を出して客をもてなしたりしていたもので、寒村においては数少ない現金を得る貴重な産業であったと言えます。現在のかすみ網は化学繊維ですが、当時は木綿や麻でできていたと書かれています。
 日光もかすみ網猟がさかんで、地元の私と同年代(現在70才前後)の人でも、戦後の話としてツグミの焼き鳥を食べた話をしてくれます。また、戦前の日本野鳥の会の「野鳥」誌には日光探鳥会の帰り、こうして捕らえたヤマガラをお土産にした話が載っています。また、日光市に記念美術館のある小杉放菴は、渡りの季節には鳥屋に籠もって膨大な鳥のスケッチをしています。
  しかし、かすみ網猟は一網打尽に渡り鳥を捕らえてしまうので、戦後は違法となり取り締まりの対象となります。日本野鳥の会では、署名運動をしたり国会に働きかけるなどしてきた経緯があります。
 いったい鳥屋は、日光のどこにあったのか。わかれば、そこは渡りのルートになり、そこで待てば今でもいろいろな渡り鳥に会えるのではないかと日光の鳥仲間と考えたことがあります。
 小川の記録にも「とやの山」が出てきて、こちらは川俣に近く、かなり山奥となります。
 岸田の報告では「日光町の東の小山のなかの雑木林」、地名としては所野が出てきます。日光の市街地というのは、東西に長いので東の小山を特定するのが難しいのです。北東くらいに考えると、小倉山と外山があります。外山は、かなり急峻な山なので作業がしずらそうです。小倉山は、1時間もかからず登ることができます。また、昇り始めはいきなり階段状の山道ですが、頂上付近はなだらかで網を張るのには都合がよさそう。山の中腹には、水がわき出ているので調理にも便利。ということで、小倉山の可能性が高そうです。
 現在の小倉山、乗馬倶楽部から見上げたところです。
P1080731
 しかし、現在の小倉山では鳥屋はできません。というか、日光のどの山も無理です。かすみ網を張るためには樹木が低い、あるいはササ原に灌木が点在するような環境にしないとなりません。木が高ければ、その上を飛んで行ってしまうのでかすみ網にはかからないことになります。そのため、かなり鳥屋の設置できる山は限られます。
 今、日光の山を見ると、どこも頂上まで樹木で覆われています。戦後行われたスギやカラマツの植林が成長して山々を覆っていることになります。戦前や戦後間もない頃の日光の山が写っている写真を見ると、樹木は低いかササに覆われています。
 建材のスギ林にしろ、炭や薪のための広葉樹林にしろ、数10年で巡回して伐採していたはずです。そのため、どこかに裸地や伐開地がありました。しかし、今では樹木は手つかずで放置されている感じです。それだけに、もう鳥屋を設置する環境はなくなったことになります。
 『日光の植物と動物』(1936)には、まだまだネタがあります。ウチダハリオアマツバメ、ハシボソシロチドリ、アイゼンガラ、ベンケイガラ、キントキガラなど聞き慣れない鳥の名前が出てきます。もちろん鳥以外の章もあります。たとえば、岸田が書いている「日光のほ乳類」には、ニホンジカ、エゾジカ、タテガミジカの3種がいると書かれています。
 実は、ここ10日間カゼをひいてしまい、外に出られず。ヒマをもてあましての考証でした。皆さん、おつきあいありがとうございます。
 年取って身動きがとれなくなったら、こうした楽しみ方もありますね。すでに、その領域に達しつつありますが・・・

2019年10月28日 (月)

日光の鳥の古記録-ヤマゲラ

 ついで、日本では北海道にしかいないはずのヤマゲラです。
 岸田によると、ヤマゲラの記録は「籾山徳太郎氏は、1929(昭和4年)11月日光町七里に於いて採集の雌を所存せられることを発表」とあり、「鳥」に論文として報告されていました。
 籾山徳太郎 1932 日本産鳥類の新産地報告一束 7 巻 33-34 号 p301-328
 タイトル通り一束で、小笠原から済州島まで採集された標本からの記録が28ページにわたり列記されているだけものです。ヤマゲラの項も岸田の報告以上のものはなく、名前と採集地と採集月までで、いきさつなどの記述はありませんでした。
 採集地の七里は、JR日光駅や東武日光駅の手前あたりの地名です。かつては、雑木林がひろがっていたと思います。写真は現在の七里、宅地造成され瀟洒な家が並んでいます。
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 1929年11月には、意味があると思います。実は、この1ヶ月前に東武日光駅が開業しているのです。国鉄日光線の開通は古く明治時代ですが、東武も開通したことで日光が身近になったことになります。新し物好きの籾山さんが、翌月に日光に出向いた可能性があります。そして、駅の周辺で採集をしたのでしょう。
 以前、黒田長久先生から、私が日光に通っていることを知ると、日光にヤマゲラの記録があると教えてもらったことがあります。さらに、その標本は山階鳥類研究所にあるのを見たと言われてびっくり。当時は、まだデータベースのない頃で、先生自身ご興味があって調べたのだと思います。
 現在では、データベースで存在を確認できます。
 https://decochan.net/index.php?p=2&o=ssp&id=24354
 日時や地名が籾山の論文と一致しています。また、籾山とともに中曽根三四郎が採取人に名を連ねています。
 中曽根は、伝説の剥製師です。松平頼孝氏の専属剥製師として名をはせます。
 松平頼孝は、帝国大学(当時)で飯島魁の教えを受けた初期の1人、小石川植物園の近くに植物園の半分ほどの広さもある屋敷があって、この敷地のなかに標本館や飼育小屋があったと言います。そのお抱えの剥製師ということになります。この標本館には剥製制作室があり、中曽根は住み込みで仕事をしていたようです。
 松平は、1926年破産してしまいます。その後、籾山の仕事をしたとあり、日光のヤマゲラの剥製は松平の破産から3年、籾山との関係が始まった頃と一致するのが、おもしろいです。
 中曽根は、戦前は御徒町に住み上野動物園の依頼で剥製作りをしました。しかし、戦災にあい家屋と標本は焼失。その後、蒲田に移り住みます。また、戦後まもなく籾山も没落し死去してしまいます。森岡弘之博士の話では、駐留米軍のRobert. B. W. Smith軍医大尉の依頼を受けて剥製を作っていたとのこと、剥製師という特殊な仕事ですが、戦中戦後の動乱期をなんとか生き延びたようです。当然、代変わりした中曽根剥製所は今でも蒲田にあり、散歩番組に登場したこともあるそうです。
 いわば、日光のヤマゲラの標本は、松平頼孝の破産を遠因に東武日光線の開通と歴史の偶然があったからもしれません。軽い標本ですが、歴史の重みを感じます。
 岸田の記録は、籾山の記録だけではありません。ご本人も見たと報告しています。
 1931年(昭和6年)4月下旬に「ムジナ窪から半月山あたりの林中」で「雌雄ともに数回目撃」とあります。ムジナ窪は、中禅寺湖の南岸、イタリア大使館跡の先、八丁出島の手前で半月山登山道の入り口の標識があります。ちなみに、籾山の捕獲した七里からは、日光市街地を抜けいろは坂を登らなくてはなら ず、直線で12kmほど離れています。

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 現在のムジナ窪付近の森です。木の高さと量は、キツツキ類には十分です。最近は、シカの食害で林床が裸地となっています。
 報告では、アオゲラを軽いほうといい、ヤマゲラを重い方といっています。「重い方は赤斑が至って小さかったり全く欠けていたりして居り、また下腹部はよごれた淡い草緑色きりで黒の縞を全く示して居らむ。即ち軽い方が普通のアオゲラで重い方が吾々にとっては珍しいヤマゲラなのであった」と書いています。
 ヤマゲラのほうが小型なのに”重い方”と表現しているのが気になります。また、時期的には巣立ちをしたアオゲラの幼鳥との誤認を疑ってしまいます。しかし、アオゲラの幼鳥は赤みが親より大きいのですが、赤みが小さいかないと言っていることから、やはりヤマゲラなのでしょうか。
 思い出すと、小川の記録に地元に住む荒井萬次郎の口伝記録として「あさぎ色のケラ」というのが出てきますが、これもヤマゲラの可能性があります。
 戦前は、日光には連綿と命をつないだヤマゲラの個体群が生き残っていた可能性があります。
 近年も本州のヤマゲラの記録はあるとされていますが、具体的な日時場所が明記されているものは見つけられませんでした。本州にはヤマゲラはいない、緑色のキツツキがいたらアオゲラだと思い込んでいる可能性もあります。
 ヤマゲラの鳴き声は特有です。これからも、鳴き声に注目している人が見つけてくれるかもしれません。

2019年10月27日 (日)

日光の鳥の古記録-ライチョウ

 『日光の植物と動物』(1936)の中の岸田久吉が書いた「日光の鳥類」は、小林重三の3枚のカラープレートを入れて40ページにもおよぶ長文です。
 それだけに、今では考えられないような記録が散見します。昭和初期の情報と知識、鳥業界の実情を知ることもできます。黎明期の記述のための誤記録して処理してしまうのはあまりにも惜しい記録です。なぜ間違えたのか、同定したのか考えるいろいろなことがわかってきそうです。
 そのなかでも、珍記録ベスト3は、ライチョウ、ヤマゲラ、シマエナガです。いったいどのようないきさつで観察され記述されたのか、追ってみました。
 ライチョウは、栃木県保安課の影山關丸氏の談として「赤薙山に以前確かに居たとのこと」と書かれています。また、黒田長禮(1927)の記事によると「大正1年または2年(1912、1913の頃、河内郡篠井の山で1羽捕らえられた」と伝えらていると言います。
 赤薙山は、日光連山のひとつ。標高2,010mです。黒田の篠井の山は、現在の河内郡には篠井の地名は見当たらず、日光に近いところに篠井の地名がありますが山らしい山は見当たりません。出典は「科学畫報」という雑誌でした。国立国会図書館ではデジタル化されていましたが、ネット公開はされていませんでした。

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 現在の小丸山からの赤薙山の展望です。いちばん高い所が頂上です。今の頂上付近は、ほんとんどが木に覆われていて草地はササ原となっています。
 ほかに記録はないか探してみたところ『栃木県産鳥類目録』(日本野鳥の会栃木県支部・1981)に、日光ではないものの「1946年以前にのみ記録された鳥類」のなかに、ライチョウがあり、1935年の那須岳の三斗小屋付近、年月日不明で1953年発表の那須岳で1羽、1948年に那須岳で3羽の記録が載っていました。ただ、標高が低いので疑わしいと解説されていました。
 岸田の記録は季節は不明なものの『栃木県産鳥類目録』の記録は、いずれも夏ですので、夏羽の季節です。そのため、ヤマドリなどのキジ類の雌や幼鳥などとの誤認が考えられます。また、三斗小屋は森のなかの温泉宿ですのでライチョウがいるような環境とは思えません。赤薙山も、頂上まで樹木に覆われていますので、ライチョウの生息環境とは思えず、やはりほかのキジ類の誤認かなと思います。
 あと、標高が高くても富士山にライチョウが居ない理由と同じで、那須岳は、60万年前からできはじめ、いまだ噴煙があがっていますから、こちらも最近できた山です。氷河が去り、ライチョウがとり残された頃には山はなかったことになります。
 ただ、ライチョウの記録はときどき報告されます。それだけ、ライチョウに居て欲しいという気持ちがあるからでしょう。

2019年10月23日 (水)

日光の鳥の古記録-小川三紀が見なかった鳥

 日光で、小川三紀さんが見た鳥と現在の鳥相とは、大きな違いがありません。
 しかし、よく見ると微妙な違いがあります。
 たとえば、今ではまずいない種類としては、コガモとヒクイナです。ヒクイナは、栃木県では1980年代前半までは平野部の河川や沼の周りや水田で見られ、奥日光の戦場ヶ原では普通に生息しており朝夕には鳴き声が聞かれ、雛連れの姿もよく観察されたと言われています。私が通いはじめたのは1991年からですので、すでに戦場ヶ原から姿を消したあと、関東地方では珍鳥になっていました。
 コガモは、古い図鑑を見ると「中部以北の山地、北海道で繁殖」と書かれています。過去の鳥類繁殖分布調査報告書の記録を見ると、意外と平地でも散見しています。記録が話題にならないのは、コガモがあまりにも普通種のせいでしょうか。ですから、いま繁殖しているマガモやオシドリの誤認とも思えません。
 小川さんの見ていない鳥について考察したいと思います。
 1編目の論文の最後に「7月中湯元に見ざる鳥類」と項があって、小川さんのフィールドの富士山麓にはいるけれど日光にはいなかった鳥として9種類あげています。なお、湯元は、戦場ヶ原も含まれています。
 オオヨシキリ
 コヨシキリ
 ホオアカ
 アオジ
 ツバメ
 アカモズ
 セグロセキレイ
 スズメ
 です。オオヨシキリは標高の高さからいなくてもよいかなと思います。
 コヨシキリは、私が通いはじめた頃は戦場ヶ原で毎年見聞きしていましたが、2000年代に入っていなくなってしまいました。
 ホオアカは、2編目の8月の記録で出てきますので、いました。今もいます。
 ツバメは、赤沼茶屋や近くのビジターセンターに巣をかけたことがあります。
 アカモズは、私の学生時代1970年代でも軽井沢にはたくさんいたので、日光でもいてもおかしくないということでしょう。
 セグロセキレイは、現在の中禅寺湖や湯の湖のほとりであればいます。
 スズメは、光徳牧場で見ることができます。当時は、家屋の密度が疎でスズメが巣を作るだけの番が集まらなかった可能性があります。
 アオジがいない理由を考えてみました。まず、昔の絵はがきをご覧ください。

 2

  「日光湯元戦場ヶ原三本松」です。今は、大きな駐車場と大規模な土産店が並んでいますが、この絵はがきを見る限りバラックのようです。三本松のお茶屋の創業は明治4年だそうですから、この絵はがきは少なくともそれ以降の風景だと思います。この真ん中の道が、今の国道ですから山の形は同じでもずいぶん風景が違うことがわかります。大きな違いは、ズミの林がないことです。その他の樹木もほとんどなく、平原が広がっています。
 アオジの生息地のコンセプトは、疎林。あるいは灌木林だと思います。現在の赤沼あたりがいちばん理想的な環境となります。それだけに、行けばかならずさえずりが迎えてくれます。その灌木がないのですから、草原好みのホオアカ、ノビタキはいてもアオジはいないか少なかったことになります。
 この他、現在見られて小川さんが見ていない鳥をあげると、オオジシギがいます。いれば気が付く鳥なので、見落としではないでしょう。いなかったことになります。
 オオジシギもアオジ同様に湿原の微妙な要素が欠けていたのか、それとも狩猟により減少していたため、生息していなかった可能性があります。
 ちなみに以前、紹介したジューイさんの論文にも、アオジとオオジシギは記録されていません。
 100年以上の時を超えて鳥の変化を比較できるところは、そうあるものではありません。湿原という不安定な環境だけに100年という時間は、大きな変化をしたと思います。鳥の変化からも、その片鱗をうかがうことができます。
 そう思うと、今のなにげない記録が将来とても貴重になると思います。

2019年10月22日 (火)

日光の鳥の古記録-小川三紀の見た鳥

 『日光の植物と動物』(1936)では、ジューイさんの次に出てくるのが小川三紀さんの報告です。日光の鳥の論文では、日本人初となります。
 小川さんについては、山階鳥類研究所のサイトに詳しいので、ご興味のある方はこちらへ。
 http://www.yamashina.or.jp/hp/hyohon_tosho/ogawa_minori/m_nenpyo.html
 肖像写真を見ると、ジューイさん同様に優男です。厚めの唇と広い額が風格を醸しだしています。彼も32才で亡くなり、ジューイさん同様、短命でした。
 小川さんは、オガワコマドリのオガワです。彼は、明治9年(1876年)に静岡に生まれます。そのため、鳥について初期の論文は、静岡や富士山の報告があります。そして、その次が日光です。
 この頃の鳥の研究者といったら文久元年(1861年)生まれの飯島魁さんしかいません。それも専門は鳥でなくて海綿ですから、日本で最初の鳥の研究者と言えるでしょう。ちなみに内田清之助が1884年、黒田長禮が1889年、山階芳麿が1900年に生まれています。ですから、小川さんが最初の日光の報告を書いた21才の頃、内田は3才、黒田と山階はまだ生まれてなかったことになります。
 また図鑑は、日本で最初の成島譲吉、籾山鈎の『有益鳥類図譜』(1893)しかなく、この本がどれだけ一般的であったか疑問です。また、つぎの飯島魁の『保護鳥図譜』(1898)は、小川さんの日光行き翌年の発行です。加えて当時の保護鳥しか載っていないのですから、図鑑はないに等しい時代です。ただ、双眼鏡は持っていたようで「双眼鏡にて注視するが判明せず」などの記述があります。
 最初の論文は、明治30年(1897)10月17日から8日間にわたり日光から足尾にかけての採集旅行です。次が、29才の明治38年(1905)7月1ヶ月間にわたり滞在した記録で、論文は2編に分かれています。
 ただ『日光の植物と動物』(1936)では、岸田は記載されている鳥の名前を列記しているだけです。興味深いのは、今はない和名が出てくることです。たとえば、10月の記録では「ミヤマショウビン、ヤマセミ(カワチョウ)、一二紅」、7月の記録では「ゼニトリ、シマゲラ、あさぎ色のケラ、ギンチョウ」が謎です。ゼニトリは、メボソムシクイとわかりますが、これらの鳥たちがどんな文脈で出てくるのか、あるいは解説されているのかで解明できるのではと思いました。ということで、動物学雑誌をネット検索したら、こちらもダウンロードできました。20年前は、東大農学部の図書館に行って調べたのに、なんとも便利な時代になったものです。
 論文は、最初のものが14ページ、2編目が17ページ、3編目が13ページもあります。
 その前に、一二紅はネット検索して解明しました。ヒレンジャクのことでした。赤い尾羽が12枚あるからとのことでした。ちなみに、キレンジャクは一二黄だそうです。
 本文を見ると「日光町の鳥屋に剥製標本として在りたるものは、一二紅、石燕、カワテウ、ミヤマショウビン等」とあり、剥製として販売されているものなので季節は関係ありませんでした。ところで、石燕はイワツバメでしょうが、カワテウ=カワチョウ、ミヤマショウビンは不明です。岸田のいうようにカワチョウがヤマセミならば、ミヤマショウビンはアカショウビンのことでしょうか。たとえば、ヤマショウビンであれば「珍しい」「はじめて見る」とかの形容詞が付いて良いと思うので、消去法でアカショウビンでしょう。
 7月の記録のシマゲラなどは「此所に住する荒井萬次郎に此地の鳥況を聞きたるに次の答えを得たり」で出てくる鳥でした。「Pici 4種あり」のあとに「しまげら、あかげら、あおけら、あさぎ色のけら」とかかれています。現在の日光のキツツキ類と対比させるとシマゲラはコゲラ、あさぎ色のケラはアオゲラの雌ではないでしょうか。
 さらに荒井さんの話の続きとして「次の鳥類は華厳付近へ出現すると云う」のなかで「ぜにとり(何?)、ぎんちょう(何?)」が出てきました。いずれも「(何?)」と付記されていました。ぜにとりについては、2編目の最後に正誤表がありメボソとなっていました。しかしながら、ぎんちょうは謎のまま。日光地方の方言か、荒井さんのいう通称かもしれません。
 日光地方の方言は、断片的に記録していますが、ギンチョウは聞いたことはありません。推測するに、華厳あたりにいる灰色の鳥かなと思いますが、思い当たる鳥はいません。せめて、大きさや尾が長いなどの特徴を聞いておいて欲しかったです。
 また、不明だった鳥3種が最後に書かれていました。
 「湯本にて夕方度々鳴く小鳥1種」
 「菅沼に於て山林中に飛び入たる鳩大の鳥の1種」
 「とやの山にて『ツガ』の樹上にて昌に高音を張りたる小鳥1種」
 です。ちょっとしたクイズですね。ちなみに「とやの山」は「金田のとや(金澤のとや?)は湯元より北方凡そ1里半許」と書かれています。湯元から北へ向かう道は川俣に向かう山王林道しかなく、6Kmほどいくとかつて西沢金山があり、金の採掘がされていました。このあたりかと思います。誤記も誤伝も含めての推測です。
 以下、推測します。
 夕方度々鳴く鳥は、マミジロではないでしょうか。小川さんは捕獲していますが、鳴き声はわからなかったかもしれません。
 菅沼の林のなかに飛び込んだのは、アオバトかな。
 とやの山の鳥は、高音で鳴くからアオジではないかと思います。じつは、この報告にはいても良いはずのアオジが出てこないです。
 ついでながら、超大先輩の記録にケチをつけるようで申しわけありませんが、10月の報告のなかに不思議な記録がありました。「(中禅寺湖歌が浜付近にて)森林に凡そ鶫大の鳥にしてその声穏かにジシシシ、ジシシシ、・・・・・・、ジシシシ、ジシシシ」と鳴きつつ飛行くものあり、この調優にして愛すべし是有名なジュウイチならん」という記述です。10月にジュウイチが鳴くのか、その鳴き声が穏やかで調べ優しく聞こえるのかということで別の鳥だと思います。
 ジュウイチの鳴き声は、どちらかというとけたたましいというか切羽詰まったような鳴き声に聞こえると思います。まだ、レコードのない時代。鳥の鳴き声についての情報が乏しい頃のこと、いたしかたありません。
 では、何かというとこれが難しいです。10月中旬の中禅寺湖のほとりの森で、ツグミくらいの大きさ、木の間を鳴きながら飛び、その声は穏やかで優しく聞こえる鳥です。渡って来たばかりのキレンジャクというのはいかがでしょうか。

 Ogawa1
 2編目の論文の挿絵です。簡素ながら、雰囲気のある絵です。
 念のために論文のタイトルを下記しておきます。いずれも、国立国会図書館のサイトで見ることができます。
小川三紀 日光足尾地方に於ける秋季の鳥類  動物学雑誌 12(146):436-439
小川三紀 1905  日光山麓西北方面に於ける夏期の鳥界視察(第1)  動物学雑誌 17(202)250-255
小川三紀  1905 日光山麓西北方面に於ける夏期の鳥界視察(第2)  動物学雑誌 17(203)283-300

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